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Oct 10,1964・・・・・2020
1964年10月10日、東京五輪開会式当日の昼下がり、
私は従弟とその友人Kと逗子の海でボート遊びに興じていた。
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昨日の荒天が嘘のように海は穏やか
秋の陽光を浴びてキラキラと波間が輝いていた。

一艘の釣り船が近づいてきた。

「取れたてのアワビ、サザエにトコブシだー、
 安くしとくぜ、どうだ・・・・」

厭も応もない。

それから1時間後、冷えたビールに新鮮な海の幸、
目の前のテレビからは真っ赤なブレザーに身を包み
一糸乱れぬ日本選手団の行進が誇らしげに躍動していた。
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「オリンピックって、こんなに素晴らしいものなのか!」

以来49年の月日がたった今、
順調に行けば2度目の五輪が
7年後に身近で行われることとなった。





もしも私が日本人ではなく第三国民であり、
政治・経済・紛争等の諸条件を排したとすれば
今回の三つの国の中で何処にオリンピックを開催させたかっただろうか?

ナンバーワンがアジアとヨーロッパの架け橋、
東ローマ帝国からの長い歴史を持つイスタンブール、
次が3度目の挑戦となるマドリッドで
東京は3番手でしかなかっただろう。

しかし、現実的に私は日本人、
更に、世界がより複雑となった為、
様々なファクターが入り乱れることとなった。

5,6年ほど前には、今さら東京もなかろう
日本でやるならば別の都市での想いだった。

しかし、地方分権とは掛け声ばかりで
東京の一極化は好むと好まざるに係らず避けようもない。

バブルが弾け飛んで、リーマンショックが直撃
日本を代表するトヨタも大きなショックに見舞われた。

そこに加えて大震災から福島原発問題、
国政の出動はどこまでもスローモー。

日本を覆う閉塞感に風穴を開けるには
東京での五輪開催は格好な材料となるだろう。

圧倒的優位で臨もうとしていた矢先に起こったのが
福島原発の汚染水の流出問題、
各国の質問はこの点に集約され
日本の代表団は対応にあたふたした。

「東京危うし!」

そこを救ったのが国の元首に因る
力強い福島原発絶対安全宣言であり、
蓋を開ければ東京の圧勝となった。

今回は誠に意義のある開催都市決定となった。

何故なら、喜びはふたつある。

ひとつは東京で2度目の五輪開催、
そして、もうひとつは福島原発問題の解決最優先である。

後者の解決なくして五輪の円滑開催は出来ない。

国民ならずとも世界が待ち望んだ安全宣言が
世界注視の場面で遂に出た。

最後に2度目の東京五輪に望むことは
1964年の五輪の様にあくまでもスポーツ優先の大会にしてほしいことだ。
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昨今の五輪エンターテインメント化との決別、
これが出来たならば世界に誇る2020東京オリンピックとなるだろう。
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by shige_keura | 2013-09-09 22:40 | スポーツ | Comments(0)
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