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晩秋の向島 -話芸の達人ー
弘福寺のお墓参り、
お墓の主人は「話芸の達人」である。

名前は小沢昭一、
残念ながら昨年12月10日に世を去った。

小沢さんの口調を思い浮かべながら
下の一文をお読み願いたい。
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「北海道は秋になりますと、朝夕ぐっと冷え込んでまいりまして、
 もののあわれを感じさせるというか、
 女性は人の肌のぬくもりが恋しくなるんだと申します。
 夜更、自分の吐く息が白く見えるとき、
 たまらなく淋しくなって、・・・・・・
 北海道の女性は、隣に肩を並べている男に
 身を寄せてくるという。

 これを狙わなくて何が秋の北海道の旅でありましょうや。
 シャケがなんだ、ジャガイモがなんだ。」
               (「小沢昭一的こころ」芸術生活社)
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小沢ファンならずしても堪らないだろう。

「・・・でありましょうや」、これぞ、話芸の達人小沢節の真骨頂だ。

小沢さんは東京の代田橋付近で生まれ
4歳の時から十数年蒲田で過ごし、
当時の滑りどめ学校と小沢氏自身が仰る
麻布学園に通われた。

この、蒲田・麻布の生活体験が
のちの多芸多才の小沢さんの活力の源となってゆく。

小沢さんは32歳の時、昭和36年10月に
ここ向島・弘福寺にお墓を建立した。


何故、先祖と所縁のない向島を
墓所と定めたのであろうか?





今は昔に近い頃、
盟友・野坂昭如さんが参議院に立候補したとき
小沢さんは応援のため選挙カーに乗って
渋谷方面から浅草に入っていった。

これから先は、小沢さんご自身の文章である。

「高速道路を出て橋を渡ったとたん、
 全く別の国へでも来たかのように、
 町の人々の反応は冷淡になり、
 冷淡どころか、野坂の名前すら知らないような手ごたえのなさに、
 私はガクゼンとした。(中略)

 野坂の歌ではないが、私と浅草の間には、
 「深くて暗い河がある」のであろうか。

 やっぱり、私はヨソモノなのであろうか。

 でも、それでも---
 私は浅草が好きだ。
 「深くて暗い河」を「エンヤコラッ、今夜も舟を漕いで」
 私は浅草へ行く。
 「ロ-アンドロ-」である。

 隅田川を挟んだ対岸、
 向島の川っぺりの寺が気に入って、
 私はそこに自分の墓を建て、永遠の栖(すみか)と決めた。
 私の墓から私のヒトダマがピョンとはねれば、
 浅草の灯が見えるようである。
 私は、だから永久に浅草のそばにいる。

 川のひとつへだてたところが、ミソなのかもしれない。」
       (「ぼくの浅草案内」 ちくま文庫)

きっと小沢さんはスカイツリーには目もくれず
今も古き良き東京・江戸の香りを残す浅草の町、
その日々のうつろいを川を隔てて眺めているのだろう。
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それにしても、誰にも真似が出来ぬ味わいのある話芸、
小沢さんはどのようにして熟達したのだろうか?

次のブログに続く

参考:「向島花日和」  三田 完氏
画像提供:坂本 正勝氏
by shige_keura | 2013-11-02 11:06 |
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