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キャデラックを愛したスラッガー -前篇ー
野球ファンの方ならスラッガーの言葉は知っておられるだろう。

SluggerはSlug,「強く叩く」の意味から
強打者、中でも長距離砲の打者に使われる言葉だ。

日本のプロ野球界、貴方の思い出のスラッガーは誰だろう?
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自分とほぼ同世代の時代では田渕選手が先ず浮かぶ、
現役世代では西武の中村選手がスラッガーに相応しいのではないか。

王選手も長距離砲ではあるがスラッガーのイメージは無い。

何故ならば、私の中のスラッガーのイメージは
打率は3割に届かぬ程度で確実性には欠けるが
ボールを遠くに飛ばせる力は抜群の打者なのだ。

ならば、生涯打率、0.275、本塁打525本の清原選手は
スラッガーの有適格者なのだが、どうであろうか?

彼は私のスラッガーのイメージとは違う打者、
何故ならば彼の打球は右方面に伸びてゆくことが多い。

右打者のスラッガーならば
バットを強振して思い切りレフト方面に引っぱたいて欲しいのだ。

目をアメリカ、メジャーリーグに移すと
史上、最高のスラッガーと私が思う
ラルフ・カイナー氏が2月6日亡くなった。
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享年、91歳の大往生だ。



カイナーは22歳でピッツバーグ・パイレーツに入団したが
僅か10年で現役を終えた。

彼の野球人生はまさに太く短く、
僅かな現役生活の中に凄い記録が凝縮さている。

生涯打率こそ0.279であるが
10年間でかっ飛ばした本塁打は369本、
新人の年に早くも本塁打王を獲得し
7年連続ホームランキングの座を守った。

あの、ベーブ・ルースですら6年連続なのだから
ラルフ・カイナーのもの凄さがお分かりいただけるだろう。
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更なる驚きは、新人(1946年)の翌年、
カイナーは早くも50本塁打の壁を越え、
2年後に再び50本の壁を破った。

一人で2度の50本の壁を超えたのは
ナショナルリーグではカイナーが初めてだった。
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このころ、球団の共同オーナーであった歌手のビング・クロスビーは
機会あるたびにカイナーをハリウッドに引きまわした。
               (ハリウッドのパーティ、エリザベス・テーラーの隣で)
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しかしながら、彼の野球生活は暗転する。

ひとつには慢性の腰痛に悩まされたこともあるが
球団社長との確執に根本的な原因があった。

カイナーの入団以降、観客は飛躍的に増えたが
パイレーツの成績は芳しくなかった。

1952年終盤、既に37本の本塁打を放ったカイナーに対して
球団社長は来年の年棒を9万ドルから7.5万ドルに引き下げると通告した。

本塁打王を目指している選手に対しての酷い宣告、
その理由がふるっている。

「カイナー君、今年は君が居ても最下位だ、
 もし、来年、君が居なくても最下位には変わらない」

やる気が急速に萎むのも当然である。

1956年僅か10年の現役ながら数々の記録を残し、
多くのファンに愛されたカイナーはフィールドを去った。

カイナーがファンに愛されたもう一つの理由は
彼ならではの面白い語録にある。

現役時代の代表的なセリフが、
「首位打者はフォードに乗り、
 本塁打王はキャデラックに乗る」というものだ。

但し、カイナーの弁護の為に言っておくが、
彼の英語で言ったことを正確に訳すと
「シングルヒッターはフォードに乗り、
 ホームランバッターはキャデラックに乗る」である。

カイナーはそこまで首位打者のを馬鹿にしては居ないが
本質的に本塁打を愛する男だった。

彼の言葉は現役引退後益々冴え渡り
リスナーを喜ばせてゆくのだが、
それは日本での長嶋語録を彷彿とさせる。

次のブログではカイナー引退後の迷セリフと
長嶋茂雄さんとのちょっとした係り合いについて紹介しよう。
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by shige_keura | 2014-02-18 17:46 | スポーツ | Comments(0)
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