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背番号15変遷記 -元祖トルネードー
読売ジャイアンツを応援し始めたのは60数年前の事、
その当時、背番号15を付けていた選手が
1月18日、83歳で亡くなった。

岩下守道と言っても御存じない方が多いだろうが
私にとっては印象深い選手だった。

当時の彼の役目は1塁の守備固めに終始した。

何故ならば、同じポジションには
打撃の神様と称された川上哲治が居たのだから勝負にならない。
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しかし、岩下とて、若干線が細いとは言え
左右に打ち分ける打撃フォームはしなやかだった。

それに守備を見れば無骨な川上に比べ
エレガントでスマートなプレーを見せてくれた。

川上哲治1958年引退、
岩下にレギュラーのチャンス到来と思われた同じ年に
彼は国鉄スワローズに移籍してしまう。

早稲田実業で甲子園を沸かせた王貞治が
鳴り物入りで入団したからだ。
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しかし、1年目、王は期待外れ、
「王、王、三振王」と野次りまくられた。

同じ年、国鉄に移った岩下は打率0・280を残し
ベストテンの第8位に顔を出す成績を残した。

高校出の新人・王に負けてたまるかの
闘志がもたらせたものではないだろうか。

岩下のあとを継いだ背番号15の選手は
これも、大きな期待を掛けられた木次文夫だった。
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彼は松商学園から早稲田に入り
4番で主将の重責を担い、
本塁打は長嶋の8本に次ぐ7本を記録した。

当時、六大学は漸く背番号制を導入、
主将は10番と決められていた。

木次は早稲田野球部史上最初の背番号10をつけた選手だ。

因みに2代目の背番号10は
早稲田実業でスラッガーで鳴らし
国鉄スワローズに入団した徳武だった。

巨人が木次を獲得した理由は
期待通り成長できぬ王貞治にあった。

ところが、王は木次の入団に刺激されたかのように打ち始めた。

1塁以外守る場所のない木次は
たった2年間で巨人を去る憂き目を味わった。

木次のあとを次いで背番号15を付けたのが
今回の主人公と言っても良い城之内邦雄である。






城之内が巨人に入団したのは1962年の事だった。

巨人の監督は川上哲治の2年目、
当時の巨人の泣き所は投手だった。

別所、大友のあとを受けた藤田元司は肩を痛め、
堀本律雄も新人王を取ったものの
成績は急降下、トレードに出された。

巨人は社会人日本ビール(現・サッポロ)のエースだった城之内と
法政二高のエースとして甲子園全国優勝をした柴田勲を獲得した。
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いかに巨人が投手に苦労していたかは
その年の開幕戦、対阪神2連戦の先発投手に
第1戦城之内、第2戦柴田と新人投手に任せたことに如実に表れている。

巨人史上、唯一無二、例外中の例外の出来事だった。

結果は連敗、
特に5回も持たずノックアウトされた柴田は
投手失格の烙印を押され、
その後スイッチヒッターの俊足選手として
巨人9連覇のレギュラーメンバーとなっていった。
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一方の城之内は元祖・トルネードと称された
独特の野性味あふれるフォームで頭角を現していく。

特に夏場の阪神戦ではエース・小山と投げ合って
1-0で完封勝利投手となるまで成長した。

その年、城之内の成績は24勝12敗、防御率2.57、
文句なしの新人王に選ばれた。

因みにセントラルリーグの新人王で20勝以上挙げた投手は
城之内以降、37年時が経過した1999年の上原浩治(20勝)ただ一人である。

当時、私の城之内投手に対する印象は
出来不出来が激しく全幅の信頼が置けぬとのものだった。

それは多分に打者から顔をそらし、
横を向いて投げるフォームにあったのだと思う。
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何しろ城之内の投げ方は規格外、
教科書に全く外れた投げ方だったのだ。

ところが、城之内は巨人と言うよりも
プロ野球の歴史の中にあって安定感抜群の投手だったのだ。

下に挙げた投手たちは
プロ野球に入団してから5年で100勝を挙げた人たちだ。

入団5年で100勝であるから単純平均で年に20勝、
とてつもない記録と言えよう。

稲尾和久   139勝44敗
杉浦忠     130勝51敗
杉下茂     113勝66敗
梶本隆夫   106勝77敗
城之内邦雄  101勝62敗
秋山登     101勝107敗
金田正一   100勝94敗

プロ野球史上、たった7名が成し遂げた大記録、
城之内が恐らく最後の投手となるだろう。

名投手、大投手と言えども、
鈴木、池永は99勝、尾崎が98勝、米田・93勝、別所・89勝、
江夏と藤田が88勝、村山実は86勝に留まっている。

城之内は相手に点を与えないこと(完封)でも秀でていた投手だった。

以下は主な投手の完封率(完封試合÷先発試合数)である。

名前     在籍期間   先発数  完封試合  完封率
村山実     14      348    55      15.8
江夏豊     18      299    45      15.1
金田正一    20      569    82      14.4
稲尾和久    14      304    43      14.1
小山正明    21      583    74      12.7
江川卓      9      252    27      10.7
米田哲也    22      626    64      10.2
堀内恒夫    18      408    37       9.1
杉浦忠     13      217    18       8.3

城之内邦雄  11      271     36      13.1

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城之内は荒々しい投球フォーム同様
気性の激しい男と言われていたが
私は本質的には物静かな紳士で気づかいの男だったと思う。

その一面が出たのが1969年、
巨人V5の年の10月10日の対中日戦の時だった。

先発した城之内は4回まで相手を1点に抑え
3-1で巨人がリードしていた。

勝利投手の権利が掛かった5回
彼は潔く静かにマウンドを降りた。

後を継いだのはあと1勝で400勝達成の金田正一、
めでたい彼の大記録を優しくバックアップしたのが城之内だった。

現役を退いたあと、彼は無口なスカウトとして
全国を歩き回り埋もれている好素材の発掘に努めた。

その中で、彼が発掘した最高の宝物は
三冠王を3回獲得することになる落合博満だった。

もしも城之内さん以外の人がスカウトであったなら
落合はプロに行かなかったのではないか?
私はそんな気がしてならないのである。
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by shige_keura | 2015-01-24 21:29 | スポーツ | Comments(0)
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