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歴史の彼方の甲子園 -2-

迎えた決勝戦、嘉農の前に立ちはだかったのが
初出場とはいえ、優勝候補としての評判高かった中京商業だった。

中京商業を率いていたのが岡田源三郎(1896-1977)。

彼は東京生まれ、早稲田実業在学時、
捕手として1915年大阪府の豊中グラウンドで行われた
第1回夏の大会(正式名称:全国中等学校優勝野球大会)に出場した。
               (第1回大会始球式)
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その後、彼は1923年、第3代目の明治大学野球部監督として
ニ出川、湯浅、田部等の名選手を育てた。

岡田監督は捕手の目から嘉農を分析、
特に3試合で16盗塁と走り回った機動力に目を付けた。

「嘉農の足を封じよ!」
監督の厳命に見事こたえたのが中京商業バッテリー。
               (決勝戦の模様、嘉農本塁憤死)
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決勝戦の結果は4-0、中京商業の完封勝ち、
嘉農の盗塁はゼロ、まさに羽をもがれた鳥、
甲子園の空高く舞い上がることは叶わなかった。
               (嘉義農林高校 準優勝!)
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この時の中京商業の捕手を務めたのが野口明(1917-1996)、
嘉農にとって相手が悪かった。

野口明は有名な野口4兄弟の長男、
明を筆頭に、二郎、昇、渉はいずれもプロ野球で活躍した。

明は明治大学から東京セネタ-ズを経て
中日ドラゴンスの捕手として活躍、
あのフォークボール元祖と言われる
大投手・杉下茂とバッテリーを組み1954年の中日初優勝に貢献した。
               (中日ドラゴンズ日本一祝勝パレード・1954年)
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もう一人、嘉農にとって手強い相手が
中京商業のマウンドを守った吉田正男(1914-1996)だった。
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岡田監督に徹底的に鍛え挙げられた吉田は
夏の大会東海予選6試合を全て完封し甲子園に乗り込んできた。

早実4-3、秋田中19-1、広陵5-3、松山商3-1、嘉義農林4-0

決勝まで駒を進めるにあたり、
秋田中学戦以外は接戦を制した中京は
嘉農を完封で退りぞけ初優勝を成し遂げた。

その後、吉田投手は中京商業3連覇の立役者として活躍し
6季連続甲子園、その成績は23勝3敗の素晴らしさである。

特に通算勝ち星23勝(2位はPLの桑田真澄、20勝)は
永遠に破れない不滅の記録と言われている。

以下は明日以降に続く。
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by shige_keura | 2015-03-12 09:04 | スポーツ | Comments(0)
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