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燃えなくて良かった!
「○○は燃えているか」。

映画ファンならば○○に入る言葉が
パリであることは良くご存知の筈だ。

1966年、フランスの巨匠、ルネ・クレマンが
第2次大戦時のパリ解放を描いたノンフィクション小説をベースに
手掛けた映画のタイトルが「パリは燃えているか」である。
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では、この言葉は誰がどのような状況で言ったものだろうか?

時は1944年8月25日、場所はドイツ軍占領下のパリである。
独軍占領下と言っても、連合軍のノルマンディ上陸作戦以来、
ドイツ軍は後退に後退を重ね、パリ解放も時間の問題となっていた。

この日、総統・ヒトラーが作戦部長のアルフレ-ド・ヨーデルに
苛立ちを隠せず、3回にわたって聞いた言葉が
「パリは燃えているか」(Is Paris Burning?)である。
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すなわち、ヒトラーは世界一美しい街、
パリを徹底的に破壊しようとしていた。

ノートルダム寺院を皮切りにルーブル美術館、オペラ座等々、
歴史ある美しい建造物すべてが灰塵の危機にさらされていた。

それではヒトラーはパリの街を忌み嫌っていたのか?

そうではない。彼はパリをこよなく愛していた。
では、何故ヒトラーはパリを破壊しようとしたのか?? 

それは、すでに負け戦を覚悟していたヒトラーは
彼の大好きな街・パリを連合軍側に奪われるぐらいならば
徹底的に破壊し尽くそうと思ったからなのだ。
               (ホテル ル・ムーリス)
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命令を受けたのがパリのホテル・ル・ムーリスに
本拠を置く独軍総司令部、防衛司令官・コルテッツ将軍だった。

彼とて美しいパリを壊したくはなかったが
命令にそむけば彼の愛する妻子は処刑されてしまう。

               (6月6日、連合軍の「ノルマンディ上陸」)
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パリの破壊はもはや時間の問題だった。
一方、破壊工作成就の報せが来ないヒトラーは苛立ちを募らせていた。
独軍の防衛線を突破した連合軍の足音はパリに迫って来た。

「風雲急を告げるパリ」
果たしてパリは救われるのか?










そこに登場するのが中立国・スウェーデン総領事、
パリ生まれのノルドリングである。

彼はコルテッツを翻意させるべく密かにホテルに潜り込んだ。

さあ、そこからは今公開中の映画「パリよ、永遠に」をご覧になれば良い。
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将軍と総領事二人の緊張感あふれた
虚々実々の駆け引きが繰り広げられる。

将軍役は「真夜中のピアニスト」で
セザール助演賞を得たニエル・アレストリプ。

総領事に扮するは今年69歳、
「あるいは裏切りという名の犬」で
渋い味を出したアンドレ・デュソリエ。

静かな中に火花を散らす攻防、
これぞ男対男の対決である。

         (映画・「パリは燃えているか」でコルテッツ将軍を演じたゲルト・フレ-べ)
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オリジナル・タイトルは「Diplomatie」、
本当の「外交」とは如何なるものなのか?
それを知るだけでも見る価値十分の映画である。

結末は如何にも欧州映画らしく
見ようによっては辛口、日本映画にはない趣である。

驚きはこの作品の監督が1979年、
傑作「ブリキの太鼓」を世に出したドイツ人、
フォルカ-・シュ-レンドルフであるということ。

この作品はドイツ映画として初めてカンヌ映画祭のグランプリに輝き
アカデミー外国映画賞も受賞した。

本年77歳、その切れ味は衰えることはなく、
ドイツ人としてドイツをそして第二次大戦を
客観的に観る目には敬服のほかはない。
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by shige_keura | 2015-03-21 23:18 | | Comments(0)
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