タイトルの読み方は共に同じ、カキツバタである。
「いずれアヤメかカキツバタ」、優劣の判断が難しい例え、 両雄共に皐月が旬の花である。 カキツバタは古来はカキツハタと呼ばれていた。 すなわち、昔はこの花の汁を摺って 衣に染める為の染料として使われたことから 「掻付花」或いは「書付花」(カキツキハナ)と呼ばれた。 現在の漢字「杜若」と「燕子花」、何故二つあるのか? 定かではないが共に漢名の借用である。 ただ、杜若はツユクサ科のヤブミョウガであり 燕子花はキンポウゲ科に属しているというから 一体全体、どうなっているのか?何だかよく分からない。 私が親しんだ漢字名は「杜若」であり 「燕子花」をカキツバタと読むと知ったのは今日が初めてだ。 さて、カキツバタは愛知県の県花である。 それは「伊勢物語」で有原業平が 三河国・八橋でカキツバタの歌を詠んだことに発している。 「から衣、きつつなれにし、つましあれば、はるばる来ぬる、たびをしぞ思ふ」 この歌は「折句」と呼ばれる技法が取り入れられている。 すなわち、各句のはじめの語を繋げると「かきつはた」になるのだ。 又、この歌は京都を旅立ち東下りの途中で詠んだもので、 句のひとつの解釈として次のように説明されている。 「慣れ親しんだ唐衣のような妻を京都に置いてまで はるばると田舎まで来てしまったものだと思うと切なくなる」。 随分と殊勝な気持ちを表わしているが、 美男と言われた業平、正直言って余りピンと来ない。 明日から暦が変わり5月になろうとするとき、 ここは青山にある根津美術館。 美術館の企画は尾形光琳の展示会、 300年忌記念特別展「燕子花と紅白梅」と題して行われている。 尾形光琳は江戸中期を代表する画家であり 現代に至るまで日本の絵画、工芸、意匠に多大な影響を与えている。 「琳派」という言葉があるが「琳」は明るい光と美しい玉を意味し 華やかな金屏風、蒔絵が一派の特長であり、 御察しの通り尾形光琳の「琳」を源としている。 光琳の初期の代表作が「燕子花図屏風」ならば 後期の集大成が「紅白梅図屏風」となる。 紅白梅のデザインは光琳が生涯に渡って研究した 俵屋宗達の傑作「風神雷神」の構図をヒントに取り入れている。 燕子花の傑作はふたつあり、 ひとつはメトロポリタン美術館所蔵で、 その名も「八橋」、まさしく「伊勢物語」に由来している。 根津美術館所蔵が目の前にある「燕子花図屏風」、 金箔を下地に紫色をしたカキツバタが 大胆な構図の中に緻密に描かれている。 尾形光琳をたっぷりと楽しんだ後は 都会のオアシス、庭園散策が待っている。 ここは明治39年、初代・根津嘉一郎が 起伏に富んだ地形に惚れこんで購入し 深山幽谷の趣のある庭園にしつらえたものだ。 全てが緑に染まったかのようなお庭、 石畳の小路を歩いていくと 風雅な茶室や石造物が点在している。 暗い美術館内でひそめていた息が一気にはきだされるかのよう、 気分爽快、真に気持ちが良い。 階段を一歩一歩下りて行くと そこに不意に紫の一群が目に飛び込んできた。 池に咲く今が旬のカキツバタ、 ここは慣れしたしんだ杜若を使わせてもらおう。 初夏の昼下がり、燕子花を描いた光琳の傑作と 池に群れ咲く杜若ふたつのカキツバタを存分に満喫した。
by shige_keura
| 2015-05-04 10:29
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