川の流れは人の心を和ませる。
住んでいる土地に、趣のある川が流れていると おのずとホッとした気分になり、 仕事のストレスを忘れさせてくれる。 金沢には有名な川がふたつある。 ひとつは犀川、もうひとつは浅野川であり、 前者を男川、後者を女川と呼ばれている。 それは、金沢で生まれた文豪・泉鏡花が 1919年発表した長編小説「由縁の女」に 浅野川を「女川」と表現したことから犀川を「男川」と言うようになった。 二つの川を見れば命名も合点がゆく。 (室生犀星の名前と所縁のある犀川) 川幅の広く直線的な犀川に対し、 浅尾川の流れは曲線的であり、繊細な女性を思わせる。 当時金沢に住んでいた家が近かったせいもあるが 私は風情ある浅野川の方が圧倒的に好きだった。 卯辰山の山裾にある我が家から 坂を下ること5分ほどで浅野川に到着、 そこに架かっている橋が「天神橋」 その名前は卯辰山の頂上に天神様を祀った社があったことに由来する。 元禄年間にはすでに橋が架けられていたと言われてるが 今の橋はデニールセン・ローゼによってデザインされたアーチ橋の一種だ。 汽車の鉄橋を思わせる造りであり、 土地の老人は餓鬼の頃、橋の上に昇る競走をやっていたとか。 高所恐怖症の私には若い頃でもとても出来たものではない。 天気が良い日には上流の遥かかなたに 霊峰・白山の神々しい姿を拝むことが出来る。 反対側、下流に目をやると 200mほどの処に木の橋の姿が目に入る。 名前は「梅の橋」、梅は前田家の紋どころ、 ここも泉鏡花の「義血侠客」の舞台となったところだ。 (「梅の橋」から「天神橋」を望む) 明治43(1910)に初代の橋が完成、 その後2回の流失を経て現在の姿となり テレビ・映画に数多く登場する活躍を見せている。 更に下流に足を伸ばすと5分ほどで「浅野川大橋」に到着する。 独特のアーチ造りの石の橋、前田家の開祖、 利家が文禄3(1594)北国街道に架けたのが始まりと言われている。 「梅の橋」から「浅野川大橋」の間の右側が東茶屋街、 「浅野川大橋」から下流に向かう左側が主計町の茶屋街、 その昔、金沢の旦那衆が足繁く通った場所である。 午後になると検番から三味が流れてくるが、 音色から芸妓さんの艶で姿を想像するのも 茶屋街散歩の良い所だ。 今回の北陸路の旅、久しぶりにかつての散歩道を 昔日を思い出しながら心地よくブラブラした。 今でも友禅流しはやっているのだろうか? 桜の時期の浅野川園遊会は 相も変わらぬ賑わいを見せているのだろうか? 灯篭流しの静謐な雰囲気は今も変わっていないだろうか? 時の流れは灯篭流しのよう、 最初は遅いように見えているが 気がつくと目の前を通り過ぎて行く。
by shige_keura
| 2015-06-26 21:30
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