言い飽きて,聞き慣れた言葉のひとつが
「時が経つのは早いね」、「歳とともにあっという間に1年が過ぎる」。 まったくもってその通り、気が付けばクリスマス近し、 そして新年を迎える。 夏以降、ブログをお休みしていたのはそれなりの理由があった。 簡単にいってしまえば多忙を極めたからだった。 この歳で仕事が降ってくるのは、ある意味でありがたいことなのだが、 さすがにブログまで手が回らなかったというわけだ。 この機会に、2015年を振り返ってみると、 最大の行事は老夫婦が孫の手を引き(逆かもしれぬが) ロンドンに出かけたことである。 「希望する中学に入ったら好きなところに連れて行ってやる」。 この言葉が嬉しい仇となって 祖父母と孫のおかしな「三人旅」が7月末に実現した。 (いざ、ホグワーツ特急に乗って! ハリー・ポッター・スタジオ) ローマ、パリを競り落として、 英国のロンドンを孫が選んだ最大の決め手が 映画のヒーロー、ロビンフッド、シャーロック・ホームズ そしてジェームズ・ボンドの存在にあった。 (ハリー・ポッター・スタジオ) 「僕は映画評論家になりたい」。 この言葉は小学校6年生の時、 私が言った言葉であり 当時としては相当に変わったガキだったことだろう。 (ストーン・ヘンジ) 両親はそれなりに慌てたらしく、 評論家では食べていけないという言葉を聞いたような覚えがある。 (バース、ローマ時代の浴場跡) (浴場跡の地下に今でも湧き出る温泉) 大人になるにしたがって打算が働き、 寄らば大樹の陰とばかり自動車メーカーにもぐりこみ、 日本の経済成長期の追い風に乗って のうのうとしたサラリーマン生活を送った結果が今である。 (大英博物館) とはいえ、映画は私の人生の傍らに常にあり、 特に昔の作品のことなら一晩中でも話したい口なのだ。 この血がどうも孫に伝わったようで、 彼の映画への集中力は人並み外れたものがある。 その真価が発揮されたのがロンドン・ナショナルギャラリーでの出来事だった。 ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」、モネの「睡蓮」、 カラバッジョの「エマオの晩餐」等の名画の前を 足早に通り過ぎていた彼の足が一枚の絵の前でピタリと止まり微動だにしなくなった。 作品は英国を代表するターナーが 1839年に描いた「戦艦テメレール号」だった。 一時の沈黙が流れた後、彼はこう言った。 「この絵は007のスカイフォールの時に出てきたものに違いない。 映画の最初の方で、ボンドが若返った武器担当者のQとここで会ったんだよ!」。 「スカイフォール」は爺も観たのだが、 その場面は全く記憶になかったが、 帰国後、孫の観察眼に舌を巻くこととなった。 絵に描かれている「戦艦テメレール号」は ネルソン提督率いる英国海軍が1805年のトラファルガーの戦いで スペインの無敵艦隊を破った時に大活躍した戦艦である。 しかし、その後、時を経て船の老朽化が進んだため 解体のやむなきに至り小型船に解体の場に曳かれていく場面を描いている。 すなわちこの絵はかつての主役が 表舞台から消え去ろうとしている瞬間を描いたものなのだ。 そして「スカイフォール」ではナショナルギャラリーの この絵が重要なキーとして登場してくる。 本作品のの底流に流れているのが「世代交代」、 それを象徴するものとして英国で最も人気のある絵を使ったのである。 孫が、この絵の持つ意味をどこまで理解したかは分からぬが 映画に対する集中力の高さは生半可なものではない。 彼は将来の映画監督の夢見て早くも脚本作り精を出しているとのことだ。 その成果が将来どのように反映されていくのであろうか。
by shige_keura
| 2015-11-29 22:15
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