標題の言葉はフランスのジャン・アンリ・ファーブル(1823~1915)の言ったものだ。
ファーブルの「昆虫記」は同じ世代の人なら 例え読んだことがなくてもその名前は絶対に知っているはずだ。 爺も児童文学書として読んだ記憶があるものの その内容はおろかファーブルの人間像も全く覚えていない。 今回、NHKのテレビテキストで紹介されていた 「ファーブル昆虫記」を読んでみたところ、これがなかなかに面白い。 1800年代末までサソリは周りを火で囲まれると 自分の体を刺して自殺すると言われていた。 ファーブルは実際にサソリを火で取り囲んだところ 燃え盛る火のなかでパニックを起こし動かなくなった。 しかし、ファーブルが火の中から取り出して冷たい石の上に置いたところ、 サソリは1時間ほどして動き出した。 すなわち、サソリが動かなくなったのは 自殺したからではなく単にショックで気を失っただけだった。 ファーブルの凄いところは昆虫のありのままの生態をを観察し 自分の目で見た事実だけを一貫して述べてきたことだ。 だから、彼の文章は誠に興味深いし説得力がある。 ファーブルより若干先輩ながら同じ時代を生きたのが 「進化論」で有名なイギリスのチャールズ・ダーウイン(1809~1882)である。 ダーウインはファーブルのひらめきと観察眼の鋭さに注目していた。 ダーウインが1859年に世に出した「種の起源」、 ここで彼は生物は下等なものから高等なものへと進化したことを述べている。 同時に、ダーウインは著書の中でファーブルを「類い稀なる観察者」と取り上げている。 両者はお互いを評価し親交もあったのだが ファーブルはどうしても進化論を信ずることができなかった。 その根底にあったのが自分の目で見たことしか信用せず 理論を作り上げることを嫌ったからなのである。 当時、最新として評価された「進化論」に反対したことで ファーブルは学界からはなかなか認められぬこととなっていった。 今では、ご承知のように昆虫を研究する人にとって ファーブルはバイブルの如き存在になったのだが。 冒頭の「サソリの自殺」に関連するが、 ファーブルは死についての具体的なイメージを持つのは人間だけだと言っている。 「人間以外はいかなる生物も自分で命を絶つという最後の手段を知っていない。 なぜなら、そのいずれも死ということを知らないからである」。 ファーブルはまた、唯一死を知る生物の人間が なぜ戦争という愚かな殺し合いをやめないのかと 「昆虫記」の中でたびたび説いている。 更には、道徳を知るはずの人間が なぜ野蛮な行いを続けるかについても疑問を投げかけている。 ファーブルが生きた時代はクリミア戦争、普仏戦争 そして第一次大戦と続く戦争の時代であった。 この時代に生きたファーブルは次のように言っている。 「人間の道徳が進歩し、殺し合いをやめるようになるには、まだまだ時間がかかる。 しかし奴隷制は廃止され女子教育は普及してきたことから、 我々人間は非常にゆっくりとであるが、すこしずつ良い方向に向かっている」。 ファーブルが死んでから今年でちょうど100年、 彼が言ったように人間の道徳は進歩しているのだろうか? 世の中は少しずつ良い方向に向かっているのだろうか?
by shige_keura
| 2015-12-02 11:10
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