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京都一泊二日 ~先陣争い~
宇治で思い出したことがもうひとつ、
それは「宇治川の合戦」での先陣争いである。

子供のころ、ヒーロー源義経が大活躍した
「源平盛衰記」を好んで読んだご同輩も多いと思う。
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かくいう私も絵物語の義経の活躍に胸躍らせた覚えがある。

「源平盛衰記」にはいくつかの山場があるが、
人気ベストスリーを挙げるとすれば、
「一ノ谷の合戦」の鵯越えの逆落とし、
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「屋島の合戦」に於ける、弓の名手、那須与一が
海に馬を乗り入れ遥か彼方の扇の的を射ぬいた離れ業であり、
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ここ、「宇治川の合戦」での佐々木高綱と梶原景季の先陣争いとなろう。
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暗誦するまで夢中になった「源平盛衰記」なのだが、
恥ずかしながら、つい最近まで酷い勘違いをしていた。

それは、「源平盛衰記」に出てくる主な戦いは
すべて源氏と平家の間で繰り広げられた戦だと思っていたことだ。

そもそも「源平盛衰記」とは応保年間から安徳天皇の寿永年間まで、
約20年間に及ぶ源氏と平家の盛衰興亡を
全48巻にわたって述べている軍記物語である。

主な内容は源氏と平家の争いなのだが、
中には源氏勢力の中での主導権争いも登場してくる。






「宇治川の合戦」は寿永年間に起きた
源氏の義仲と鎌倉の頼朝の命を受けた源義経、
すなわち源氏同士の戦いなのである。

当時、義仲は孤立を深めながら
後白河法皇を後ろ盾として京都に陣を張っていた。

一方、義経軍は総勢2万5千を持って
宇治川を渡り京に攻め込もうとしたときに起きたのが
講談本等で有名な先陣争いである。

一方は白馬・池月を駆る、佐々木高綱、
方や、黒鹿毛・磨墨を操る梶原景季。
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勝負は馬の腹帯に気を取られた
景季を出し抜いた形となって高綱の勝利となる。
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先陣争いから約900年後の今、
目の前に滔々と流れる宇治川はまさに大河にして急流、
名馬二騎の一騎打ちは迫力に富んだ争いだったことが容易に想像できる。
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「百聞は一見に過ぎず」とは本当によく言ったものである。

尚、名馬二頭は頭領・頼朝から拝領されたものだが、
共に大田区に縁がある馬として語り伝えられている。
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大田区馬込には磨墨を葬ったとされる塚が残っており、
すぐそばの古刹・万福寺には梶原景季の墓と共に
磨墨の像が建てられている。
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一方、洗足池の畔には池月の像が祀られているが、
次のような伝承が残されている。
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石橋山の戦いで一敗地にまみれた源頼朝が
落ちのびるため洗足池に投宿していたところ
池の水面に美しく映える馬が天馬のごとく出現した。
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頼朝は吉兆と捉え、この馬を池月と名付け愛馬としていたが、
西国出陣の折に、家来の活躍を願って拝領したという。

大田区の馬込はその字のごとく、
大昔から牧場とされていたので、
両馬の伝承も真実味を持って迫ってくる。
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by shige_keura | 2016-03-09 22:12 | | Comments(0)
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