お金、切手にこれほど使われている建物もないのではないだろうか?
宇治平等院の鳳凰堂と 屋根の上に飾られている鳳凰だ。 私が今でも持っている、昭和26年発行の24円切手には 鳳凰が羽を広げた平等院鳳凰堂がモチーフとなっている。 続いては昭和32~33年の100円硬貨の裏のデザイン、 昭和51年発行の150円切手にも屋根の上の鳳凰が描かれている。 そして、現在も使用されている1万円札の裏は鳳凰であり 10円硬貨には鳳凰堂が使われている。 世界遺産として多くの人々が訪れる宇治平等院、 その創建については次のような話が伝えられている。 もともと、この地には9世紀末頃、 「源氏物語」の光源氏のモデルとされる 左大臣・嵯峨源氏の源融の別荘があった。 それが宇多天皇の手に渡り、 天皇の孫である源重信を経て 長徳4年(998)摂政・藤原道長の別荘「宇治殿」となった。 道長の子、頼通は永禄7年(1052)「宇治殿」を 寺院と改めたのが「平等院」の起源である。 何故、寺院としたかの背景には この時代に存在した「末法思想」がある。 「末法思想」とは釈迦入滅してから1,500年後には仏法が廃れ 末法の世が到来すると多くの人は信じ、 その到来に対する深い恐怖感を人々は抱えていた。 自分自身も末法を信じていた頼通は、 まさに末法元年(1052年)に別荘を平等院とし、 翌年には極楽浄土をイメージした鳳凰堂と庭園を創建した。 鳳凰堂が極めて高い価値を持つのは 現存する希少な平安時代の建造物であるということだ。 京都は1467年の「応仁の乱」で灰塵と化し、 それ以前に作られた建造物の殆どが焼失した。 従って、平安時代の貴族が建立した寺院が 建物、仏像、壁画、庭園まで残っているという意味で 平等院は貴重な存在なのである。 ただ、平等院も建武3年(1336)の 楠正成と足利氏との戦いの折に被害を受けたのだが 鳳凰堂だけは奇跡的に災害を免れた。 尚、鳳凰堂は建物の姿かたちが 鳳凰が羽を広げている姿に似ていること、 屋根に鳳凰の飾りがついていることからの通称で 本来の名前は「無量寺院」、平等院の阿弥陀堂の位置づけである。 平成の修復(2012年9月~2014年3月)を終え 色鮮やかに蘇った鳳凰堂はまさしく 極楽浄土を永遠に語り継いでいるようである。
by shige_keura
| 2016-03-12 20:57
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