熊本市から車で南に小1時間ほど南に下る。
山間部に咲く山桜に見とれているうちに 山地に囲まれるようにした人吉盆地の中心、人吉に到着する。 市内中心には熊本県唯一の国宝である青井阿蘇神社がある。 珍しい茅葺屋根の本殿に見入った後、 ふと目についたのが寄進の石塔に彫り込まれている一人の名前。 そこに書かれているのは川上哲治、 ここは戦後のプロ野球に赤バットを引っ提げて 巨人の4番として大活躍した男の故郷である。 人吉は清流・球磨川沿いにあるので米作りに適し、 米焼酎造りも昔から盛んである。 又、新鮮な川魚の宝庫でもあり、 隠れたる鰻の名店がここにある。 その名前は「上村」、朝の10時過ぎから店を開け、 時分時には長蛇の列となる人気店だ。 店内はこれぞ昔の人吉村の風情、 椅子席前の囲炉裏が興趣をそそる。 ここの鰻は勿論、関西風、 すなわち腹開きした鰻を蒸さずにそのまま焼き上げる方式だ。 実際の所、私は鰻は断然の関東派、 蒸してトロッとした口当たりの良い鰻が大好物である。 「江戸っ子はなんてったって背開きよ! 腹開き?? 切腹なんて縁起でもねえ!!」。 と、今まで思っていたのだが、この店で考えを改めた。 お重を開けると分厚い鰻が4 切れ、 更にご飯の間に2切れ、計6 切れの鰻が現れる。 「しまった!ホテルで朝食を何でたくさん食べてしまったのか!」。 後悔しながら食べ始めると、何とすいすいとお腹に収まっていくではないか。 香ばしく焼き上がった鰻は 今までの関西風に感じていたシツコサはどこにも感じられない。 むしろ、関東風の鰻に比べすっきりとした味わいだった。 店内には仲代達也さん、そして大先輩でもある故小沢昭一さんのサインもあった。 小沢さんのサインは1971年、 丁度、飯塚の「果穂劇場」旗揚げ公演の時期と重なる。 無事、公演を終えた先輩は ここで至福の一時を過ごされたのだろう。 何しろ、この店の名前が良い!「寿福酒造蔵」!!、 創業明治23年(1890)を誇る焼酎の蔵元である。 この店は球磨焼酎街道と言う名前があるほどの 焼酎蔵元がひしめく地域で唯一の女性杜氏である。 (寿福さんと秘蔵の焼酎、金5万円也) 名前を絹子さん、寿福絹子、 名前を聞いただけで2,3本買ってしまう気になると思いませんか、男性諸氏。 入るとすぐに絹子さんが現れて炉端沿いに案内される。 「コーヒー飲むよね、どこから来たと? あれ!東京から、それはそれは、 私は50年前は丸の内でOLしてたんよ。 給料少ないでしょ、そんでもって池袋で夜のバイトしたら “これ者”に騙されそうになっちまってさ、東京って怖かー!!って思ったね」。 (こちらは1999年生大古酒、金5千円也) 絹子さんの話は面白く ずっと聞いていたいのだがそうもいかない。 「どうせ買うなら45度の一升瓶だよ、 東京だって送れるから問題なか!」。 そっちに問題なかったって、 こっちの懐具合に問題あるとよ。 (寿福酒造場のトレードマークともいうべき「武者返し」) 焼酎の名前も「武者返し」、 熊本城独特の石垣の廂(ひさし)を表す言葉で名高いが、 ここの女将にかかっては世の男性は騙すどころか 引っくり返されてしまうだろう。 いやー実に面白く客あしらいが絶品である。 絹子さんの言葉は続く 「焼酎は我が子たい。 発酵するときのブクブクという音は我が子の産声なんだから 元気に健やかに育てねばいけんよ」。 挙句、絹子さんの子供を3人も いそいそと買う東京からの客があった。 しかし、熊本の人吉、「実によか所ばい!!」
by shige_keura
| 2016-04-10 13:18
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