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遥かなる昭和・本物のタレント群像 -7-
1974年と言えば戦後そろそろ30年に差し掛かる頃の12月6日、
場所は東京武道館で超満員の観客を集めた
伝説のコンサートが開かれた。

このときの16,000人を数えた観客の盛り上がりは
1966年のビートルズ初来日コンサート以来であると伝えられている。

名付けて、「中年御三家 ノーリターン・コンサート」、
熱狂的なファンをそれぞれに集めていた
小沢昭一(当時45歳)、野坂昭如(44歳)、永六輔(41歳)、
司会進行役を務めたのが愛川欣也(40歳)と中山千夏(26歳)だった。

小沢昭一さんは小生の中学・高校の大先輩、
今から思えば何としてもこのイベントは見逃すべきではなかった。

とにもかくにも言葉の達人をこれほど揃えたコンサートは
空前絶後と言うべきに違いない。

今となっては当時の模様を録音でしか知ることはできないのだが、
それだけでも十分に当時の盛り上がりを窺えることが出来る。
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司会者の滑稽な紹介でひとりずつ舞台に登場し、喋りと歌を披露する。

当時、浅田飴のコマーシャルをしていた永六輔。

「遠くに行こうと行けまいと、お経を詠もうと詠めまいと、
 咳・声・喉に浅田飴、赤坂珉珉会長(その筋に有名なチャーメン屋)、
 浅田飴で鍛えた喉の持ち主、永六輔」の紹介で登場。

あとは独特の口調で場内を沸かせる。

どうぞ永さんの顔と喋りを思い出しながら読んでいただきたい。
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「後ろに3人の写真がありますよね。
 海軍兵学校で戦争に参加した小沢さん、
 学徒出陣寸前の野坂さん、
 焼け跡にコスモスが咲く中、飢えと戦った私、
 それぞれ2歳ずつ違うのね。

 育った環境が違うから、僕の顔には厳しさがないけれど、
 ・・・女性をくすぐる甘さがありますよね・・・・・」。

当時、サンヨー・レインコートの
テレビ・コマーシャルに出演していたのが野坂昭如。
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「雨が降ろうが降るまいが・・・・外はいつでもサンヨー・レインコート、
 浮浪児出身、感化院卒、四畳半襖張替業」の紹介で登場した野坂さんは
例の早口ながら訥々と語る。

「我々御三家に優る歌手は居ないわけで、
 今年の十大ニュースなんだ、きっと。
 今日は酒を一切飲まず、歌詞を見ることなく独りでやります。
 トム・ジョーンズと一緒にってオファーがあるって聞いたんだけど、
 あんなドサ周りと一緒にはごめんだね」。






最も満場を爆笑の渦に巻き込んだのが我が先輩の小沢昭一さん。
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「ハモニカ吹こうが吹くまいが、秋に死のうが死ぬまいが・・・・、
 大道芸幹事、特殊浴場組合長、小沢昭一」の紹介のあと、
 彼の飄々とした語りが爆笑を誘う。

「結構な寄合いって言いたいのだけれど、
 こんな会にこんなに集まるなんて世の中間違ってるね。
 あとの二人はあれで真面目にやっちゃって、稽古なんかするんだよ。
 今までいい加減にやってきたんで支持されてきたんだから
 真面目にやっちゃいけませんよ。
 あの真面目な人、ちょっと票が足りないんだよ。
(野坂の国政選挙出馬をおちょくっている)

 戦争が終わってね、僕は欲が深いから
 そこらじゅうの軍服なんか全部袋一杯に詰め込んで
 東京に帰ったら焼け野原で親父、お袋が着るものもないのね。
 だから、袋から軍服だしてみんなに着せたら、
 家が軍隊みたいになっちゃった。

 焼け跡で10年過ぎて・・・・トルコが好きになったのね。

 しかしなんだね、日の丸振るのと、教育勅語はいやだな・・・・・、
 そんなことよりトルコへ行った方がいい。
 ・・・・・・、ここは論理が分かりにくいよね、俺も繋げにくい・・・」。

あとは、お得意のハモニカの演奏が
時にはしんみりと時にはリズミカルに続く。
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話術の至芸・最高トリオのコンサート、
もしもDVDが発売されたら真っ先に買いに行こう!

素晴らしき哉、懐かしき哉、中年御三家、
ノーリターンとなったのは残念至極の極みである。
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by shige_keura | 2016-07-31 11:06 | | Comments(0)
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