目の当たりにする惨状に言葉を失った。
同時に、浮かんだのが芭蕉の句である。 「無残やな かぶとの下の きりぎりす」。 (隅石一本で辛うじて支えている飯田丸五番櫓) この句は芭蕉が加賀の国を訪問した時詠んだものであり 熊本城とは何ら関係ない。 恐らく、兜~加藤清正~熊本城の連想が 頭を駆け巡ったのだろう。 今年の3月22日から24日にかけて熊本を訪問、 天下の名城熊本城の威風堂々たる姿に見とれた。 (2016年3月訪問時) それから1ヶ月もたたぬ4月14日に 熊本地方は大地震に見舞われ 城も甚大な被害を蒙ったことを新聞、テレビで知った。 そして11月、再び熊本訪問の機会を得た。 熊本城の惨状! 見ると聞くとは大違い。 根こそぎ倒れている大木、崩れ落ちている城壁、 瓦が滑り落ちむき出しになっている屋根、 わずか一本の柱でかろうじて崩壊を免れている城…。 特に築城(慶長11年、1606)以来の姿を維持し、 熊本城の美の象徴とまで言われてきた 「長塀」もところどころ崩れ無残な姿をさらしている。 (3月訪問時の長塀) (11月、修復中の長塀) 県のシンボルであり県民の誇りでもある 熊本城の変貌が熊本の人たちに与えた影響は計り知れぬことだと思う。 城の復興計画が今始まっている。 しかしながら、どこまで再建できるのか?するべきなのか? 城の復旧よりもいまだに仮設住宅で 不自由を余儀なくしている人たちの救済の方が優先すべきではないのか? 県内でも議論百出、 熊本トータルとしての復興計画の一本化はされていないようだ。 湯水の如き金を城の復旧に注ぎ込み 完全に元の姿に戻すよりも 地震の被害は被害として後世に伝える復旧に取り込むべきだと思う。 自然災害、とりわけ地震の凄さを改めて肌で感じた。
by shige_keura
| 2016-11-23 18:23
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