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野球場の聖地 (日本篇)
1923年、メジャー人気球団の
ヤンキース本拠地球場である
ヤンキースタジアムが完成した。

こけらおとしの相手が宿敵レッドソックス
この試合の入場者は74,217人
球場に入りきれなかった人が
20,000人以上もいたという。

この球場は別名、”ルースの建てた家”と呼ばれた。

それはヤンキースにベーブルースが加入したことで
人気急上昇!!!

それに嫉妬したジャイアンツのオーナーが
ヤンキースに貸していた球場ポログラウンドからの
撤退要求をしたことで自前の球場を
建設せねばならなくなった為である。

なんだか日米共にジャイアンツオーナーの言動は
似ているように思われる。

さて、ヤンキースタジアム建設の翌年
1924年、日本の西宮市に
一つの野球場が建設された。

これぞ、日本の野球場の聖地
”甲子園球場”である。



この球場は、当時、日本には参考となる球場がなく
ニューヨークのポログラウンドを
参考として作られた。

但し、似ているのは
特にバックネット裏の外観であり
グラウンドの形状は全く異なっている。

何故なら、ポログラウンドは
不定形球場が多いアメリカでも
特に異彩を放っているからだ。
(上空から見るポログラウンド、センターフェンスまでの異常な距離!!)
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何しろ、ライトまで258フィート
レフトまで280フィートなのだが
センターまで、なんと475フィート!!!
本塁から中堅への奥行が極端なのである。

話を日本の球場に戻るが、
西宮市、武庫川支流の埋立地に建設中の球場は
当初、その場所の名を取って”紅洲遊園地”と呼ばれていた。

それが、完成の年、1924年は
丁度”甲子年”(きのえね)に当る為
”阪神電車甲子園大運動場”と命名された。

つまり、最初は競技場が
主目的のグラウンドだったわけである。

それが、その年の夏、
早くも全国中等学校優勝大会(高校野球夏の大会の前身)の会場となったため
以降、甲子園球場で呼ばれることなり
現在に至っている。

さて、1934年、東京に日本で始めての
プロ野球球団、大日本野球倶楽部が誕生した。

これが今の読売ジャイアンツの前身である。

これに対抗すべく
関西に大阪野球倶楽部(タイガースの前身)が1935年に誕生し
甲子園球場を本拠地とした。

ジャイアンツの本拠地球場の後楽園が
建設されたのが1937年であるから
甲子園球場こそ名実共に
現存する日本の野球場聖地に相応しい球場なのだ。

甲子園球場は完成以来
幾つかの改築を施してきた。

観客の白いシャツで
スタンドが雪を頂くアルプスを思わせることから
名づけられた”アルプススタンド”を初め
”大鉄傘”の撤去、改築、
”ラッキーゾーン”の設置、除去等々だ。
          (甲子園のナイター風景、胸がワクワクしてくる)
c0135543_18521198.jpg

しかしながら、概ねは昔ながらの
面影をとどめている所に
甲子園球場の聖地としての価値があると思う。

ただ、この球場の歴史も
平坦な道を歩んでばかり来たのではない。

最大の危機は1990年代に訪れた。

このとき阪神電鉄首脳は
甲子園のドーム化を殆ど決定した。

ところが、幸か不幸か
バブルがはじけ緊縮財政のやむなきに至り
西梅田再開発を優先したが為に
今の甲子園は生き残ったのである。

甲子園の耐用年数は約80年、
従って2010年完成を目指し
来年には大改修に入る。
         (甲子園球場名物、正面入り口を覆う蔦)
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改修に当って、幸いなるかな
球場の外観、名物の蔦を初め
グラウンドの形状、
オープンエアー、黒土、天然芝
そのすべてが継承されると言う。

野球ファンにとっては全く有り難い事だ。
願わくは永遠に甲子園は今の姿を伝えて欲しい。

今、私は瀬戸際の巨人ファンだ。

後退の始まりが後楽園球場が消え
味無い東京ドーム誕生の時だった。

水原、川上、千葉・・・・・・そして
藤田、長嶋、王が活躍した
後楽園球場が無機質のドームに変わった時
正直ガッカリしたし
ひとつの歴史が終わった寂しさを禁じ得なかった。
          (後楽園球場での長嶋選手現役引退式)
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球団の黄金時代!
それは、そのチームに相応しい本拠地球場があってこそだ。

今の、ジャイアンツの凋落!!

そのひとつの原因は
戦後のプロ野球の中心地として
9連覇の偉業を初め
西鉄に3連勝4連敗等、苦楽を共にした
本拠地球場後楽園を無残にも
痕跡さえ残そうともせずに取り壊したことにあるのではないか。

言うなれば、巨人の今の惨状は
後楽園球場の怨念、祟りによるものではないだろうか。
          (東京ドーム、鬱陶しくも天井を灰色で覆う屋根)
c0135543_18574314.jpg

そうでもなければ、
ジャイアンツ選手達の
プロとは思えぬひ弱さ、怪我の多さは説明出来ない。

読売巨人軍のフロントよ、
今からでも遅くは無い、
後楽園球場の跡地のどこかに神社を作り
一心不乱にお祈りした方が良い。
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by shige_keura | 2007-11-08 09:05 | スポーツ | Comments(4)
Commented by enzou at 2007-11-09 10:13 x
私の後楽園球場の思いでは中学生の兄に幼い弟と共に巨人・中日のダブルへッター見に行ったこと。水道橋駅に差し掛かるとスタンドが見え、早く行こうと気持ちが高ぶる、席はバックネット裏の2階席、第一試合が長引き、第2試合が終わったのが10時近く? 母が心配して駅まで迎えに来た。
何故か、中日のセカンド 国枝?を覚えているような気がする。
Commented by shige_keura at 2007-11-09 17:48
コメント有難うございました。

まさか、昭和29年、10歳の年の巨人対中日の
ダブルヘッダー、季節は8月ではないでしょうね。

この年、中日は魔球フォークボール杉下の活躍で
優勝したのですが、私も優勝がかかったダブルヘッダーを
1塁側の2階席で野球好きの伯父と見ていました。
超満員でしたね。

巨人は中日に連敗し、がっくりしたのを良く覚えています。

中日の方は監督の天知はじめ、西沢、児玉、杉山、本多等を
覚えていますが国枝は????

何しろ、頼みの与那嶺、川上が杉下のフォークボールに
きりきり舞いさせられて手も足も出なかったなか、なんと
投手の別所がホームランを打ったのを覚えています。

確かに第2試合の終了は遅かったと思います。

でも、まさか同じ試合じゃないよね。
Commented by enzou at 2007-11-14 13:11 x
記憶はおぼろ、しかし、暑かった、水道橋の袂で氷、冷やしコヒーを売っていた。10歳とすると弟が6歳、確かそのへんだった。もしかすると同じひだったかも、国枝でなく、今久留主? 牧野? 思い出さないな
Commented by shige_keura at 2007-11-14 18:03
確かに暑い日だったですよ。

第一試合の薄暮ゲーム、スタンドは白一色、超満員だったのを
覚えています。

ひょっとすると、同じ試合だったのかもしれません、奇遇ですね。
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