プロ野球記録、数多くある中で
最も偉大なものは”フルイニング連続試合出場”だろう。 生まれついての頑健な体に加えるに 日頃の厳しい鍛錬、 怪我に強い体質、 そしてプロ野球人としての高度な技術、 これらが総て揃わないと達成できない。 従って、長いプロ野球の歴史にあって 500試合以上フルイニングを続けた選手は たった5人だけだ。 阪神の中心選手、金本は 昨年1,000試合連続の偉業を達成し、 2位の選手の持つ記録、700を 大きく引き離している。 2004年8月1日、 この日は金本選手が701試合連続を記録して 球界第1位となった日である。 では、このときまで第1位の座にあった人は誰か? 元広島の衣笠選手ではない。 彼の記録は678試合でストップした。 今日の主人公 元阪神タイガースの名三塁手 三宅秀史選手がその人である。 三宅選手の現役生活は15年。 その間、彼は一度も3割を打ったことがない。 生涯平均打率は0.252、 通算本塁打も100本である。 この数字だけからは 打者としての彼は精々並の上になってしまう。 しかし、こと守備に関しては 三宅選手は超の上に超がつく スーパー選手だった。 当時の巨人、川上監督はこう評していた。 「三宅と長嶋の守備? 大人と子供の違いがあるのじゃないか」 ショーマンシップに徹し 易しいゴロでもファインプレーの如くさばく長嶋、 素人はヤンヤの喝采を送る。 一方、三宅はと云うと 難しいゴロを易しく難なくさばく。 しかも、必要最低限の動きしかしない。 まさに、玄人好みの達人だった。 上の画像を良く見て欲しい。 この柔らかなスナップスロー!!! 本塁の封殺を狙ったクロスプレーにもかかわらず どこにも力みと無駄な動きがない。 そういえば、彼の力感溢れるプレーは記憶に無い すべてが淡々と無駄なく運ぶ。 当時、熱烈な巨人ファンの私としては 守備も長嶋の方が三宅より上と 思いこもうとしていた。 しかし、少なくとも三塁線のゴロの処理は どう贔屓目に見ても長嶋に勝ち目は無かった。 当時のプロ野球 人気チームの三遊間を見て欲しい。 巨人には華やかなりし、長嶋に広岡、 西鉄には野性味溢れる、中西と豊田。 そして、阪神には堅実無比、水も漏らさぬ 三宅に吉田!!!!! 野球ファンにとって なんと恵まれた時代であった事か。 更に阪神には三宅、吉田に加わるに セカンドに職人、鎌田が居た。 この3名はシートノックだけでも 金が稼げると評されていたものだ。 舌を巻く守備の三宅だが 実は私は彼のバッターボックスの雰囲気が大好きだった。 静かにスタンスを決めるや否や あとは微動だにせず、じっと投手を見つめる。 あたかも、黒澤明の名作、 「七人の侍」の静かな剣士 宮口精二演じた久蔵だった。 敵ながらあっぱれ!!!とは彼のことだった。 この三宅を或る日、 突然不幸が襲う。 時は1962年9月6日、 試合開始直前の甲子園、 ベンチ前に選手が出て肩慣らしを行う。 阪神先発投手の投げたボールが 手元大きく狂い 脇でキャッチボールをしていた 三宅の右目を直撃してしまう。 ぶつけたのが、 誰あろう、針の穴を通すといわれた コントロール抜群の小山投手だ。 何で、彼が手元を???? 運命の皮肉である。 この日で彼の記録が途絶えたばかりか 以降、視力が戻らぬ彼は別人となってしまった。 彼の背番号16は 岡田に引き継がれていくが 阪神の背番号16は私の中では 三宅秀史選手である。
by shige_keura
| 2008-01-19 09:17
| スポーツ
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