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思い出のプロ野球選手 -9-
1925年開幕した東京六大学野球、
長い歴史の中で
数多くの名投手が
神宮のマウンドで光り輝いた。

しかしながら、在籍通算40勝以上記録した投手となると
たった4人と数が限られる。

勝ち星順に48勝の山中から
江川、若林、関根と続く。

何故かは分らぬが
総て法政出身者であるのが興味深い。

本日の主人公は
この4人の中の誰かである。

話変わって、プロ野球の世界、
9連覇を成しとげた川上巨人時代の事である。

1965年パリーグからひとりのベテラン外野手が
代打の切り札として巨人に移籍してきた。

入団して間もなく
彼はチームメートから
親しみをこめてこう呼ばれた。

”お父さん”

何故なら、当時39歳の彼は
巨人軍の中での年上は
コーチも含め川上監督ただ一人だったからだ。

巨人の”お父さん”と呼ばれた選手、
関根潤三さんは
当時巨人に数多く移籍してきた助っ人の中で
高倉と並んで最も頼り甲斐のあるバッターだった。



関根さんのことを詳しく御存知ない方は
どこか話がおかしいのでは?と思われているだろう。

何故なら、六大学で40勝以上記録した投手が
どうして代打の切り札で巨人へ????

これは全く間違いではない。

ここが関根さんの物凄い所なのだ。

関根さんは投手としての法政時代
恐らく今後半永久的に破られる事がない
六大学記録を持っている。

ひとつは1949年秋の投球イニング、
133回2/3である。

もうひとつは在籍通算投球イニング、
658回はダントツの首位である。

関根さんは1950年
万年下位球団の近鉄パールズへ
投手として入団。

以降8年間エースとして活躍
65の勝ち星を積み重ねた。

この中で驚くべき事が
入団1年目に起こっている。

この年、投手として僅か129打数の内
彼は4本の本塁打を放っている事だ。

このように打撃にも非凡の才があった関根さん
自分の意志で1957年、打者に転向する。
c0135543_959262.jpg

その後、1965年現役を退くまでの
通算打率は2割7分9厘、
本塁打52本と近鉄の中軸として活躍した。

関根さんの凄い点、
それは全く目立たない事、
そして全く力みがない事、
すべてが”柳に風”の如く自然体の振る舞いだ。

身長172センチ、体重68キロ
プロとしては恵まれた体格ではない。

一度ある席上でお見受けした関根さん
人懐こい笑顔、
なで肩で華奢な体型、
プロ野球人と言うよりか
如才ないビジネスマン風情であった。

巨人に移籍した開幕試合、
ランナーを3塁において代打で起用された関根さん
年とは思えぬ弾丸ライナーを
フェンス際までかっとばした。

試合を決定付ける
駄目押し点をたたき出した関根さん
好々爺のような笑みを浮かべながら
ベンチに引き返した時の仕草が忘れられない。
c0135543_100219.jpg

何時までも、飄々とした語り口の解説で
我々を楽しませてください。
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by shige_keura | 2008-03-21 09:19 | スポーツ | Comments(0)
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