1950年代の後半、
それまでは映画が唯一の娯楽であった所に テレビの普及が様相を劇的に変えていった。 テレビに映る力道山の雄姿、 躍動する長嶋茂雄、 栃若の力と技の攻防。 そして、日本初の世界王者 白井義男のクレバーなボクシングスタイル。 (白井選手とトレーナー、カーン博士) 1955年に行われた世界タイトルマッチ、 白井義男対パスカル・ペレス、 テレビの視聴率は瞬間とは言え、 何と96.1%を記録したという。(電通調べ) そして、当初は街頭テレビに群がった人たちも 高度成長化によって 我が家で自由にチャンネルを回せるようになった。 その頃の人気番組のひとつが アメリカから輸入された 連続テレビ番組である。 ストーリーは単純至極 映像技術は今と比べ物にはならない。 しかしながら”夢とロマン”を求めて 豊かな国、アメリカの番組を 多くの人が楽しんでいた。 かく言う私もその一人。 今日から、”テレビが面白かった頃”の標題のもと あのころ楽しんだ番組を振り返りたい。 「スーパーマン」 アメリカが生んだ最大のヒーロー、 そのテレビシリーズが日本で紹介されたのが 1956年のことである。 (スーパーマンとガールフレンドのロイス記者) 番組冒頭のお馴染みのナレーション、 覚えているようで覚えていない?? ならばここに、全部紹介しよう。 ”弾丸(タマ)よりも速く、力は機関車より強く 高いビルディングもひとっ飛び! 空を見ろ!鳥だ、飛行機だ、 あっ、スーパーマン!! そうです、スーパーマンです。 遠い星から来た奇蹟の男、 彼はクラーク・ケントと名乗り メトロポリスの新聞社、デイリープラネットの記者となり 正義と真実を守る為 日夜戦い続けているのです” 「あんな番組なんて下らなくて 見ちゃいなかったよ」 と、言っているご同輩。 そんなことはないだろう! あなたも絶対に手に汗握って 画面に食い入っていたはずだ。 何故ならば、この番組 最高で74.1%の視聴率を誇ったのだ。 これは東京五輪、 女子バレーボール決勝戦の視聴率 66.8%を超える驚くべき数字である。 だから昔の悪餓鬼 今のこっちの爺様も、 あっちのジイサンも 絶対見ていた筈である。 何しろスーパーマンなのだから 絶対勝つのは分っている。 そしてお馴染みのの変身から 空へ向って飛び出していく。 (右がクラーク・ケント、実はスーパーマン) 毎回ワンパターンの話の中に 日本人の好む勧善懲悪の魅力を 見出していたのかもしれない。 そして勿論、豊かなアメリカ社会を 好奇と興味の眼で眺めていたのだろう。 シリーズは1958年で終了するが その翌年、スーパーマンに扮した ジョージ・リーブスが死体で発見される。 スーパーマン役のイメージが拭いきれず それがもとでの自殺と当時は断定された。 しかしながら身体に残された打撲痕によって 映画業界のスキャンダルに巻き込まれた 殺人事件であるとの説も根強く残っている。 とにかく、この事件が 子供たちに与えた影響は甚大だった。 何しろ、不死身のスーパーマン 死ぬはずは無いと 皆が信じていたからだ。 時にリーブスの享年は55歳、 後に映画で同じ役を演じたのが クリストファー・リーブで 彼は52歳の時、心臓発作でこの世を去る。 何故か、スーパーマン役者は短命だ。 最後に、あのテレビ人気シリーズ 後半はカラー化されていく。 しかしながら、日本は未だ白黒テレビ時代、 カラーのスーパーマンが 放映されたことはなかった。 まだまだ、日本とアメリカの間には 大きな貧富の差が横たわっていた時代である。
by shige_keura
| 2008-05-21 12:09
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