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思い出のプロ野球選手 -14-
本日の主人公の愛称は”うどんこ”である。

この人は、長嶋選手と同期、
6大学、プロを通じて活躍したバットマンだ。

そして、この人の最大の特徴は
見たことも無い特異なバッティングフォームだ。

と言えば、同年輩の旧野球少年は
”ははーん”と思い当たるだろう。

そう!ご賢察の通り、
明治大学、大洋ホエールズで活躍した
近藤和彦選手である。
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愛称の、”うどんこ”は
近藤を逆さまに読んだだけだが
まさしく、こねた”うどん粉”のように
粘り強い好打者だった。

闘志は外見に表さない
静かなる男のタイプである。

しかしながら、
投手にとってこれほど
いやらしいバッターはいなかただろう。

詳細な記録は残っていないものの
当時、投手に平均で
どの位の球数を投げさせたか調べた所
近藤選手が圧倒的首位にいたということだ。



近藤選手を語るには
その奇妙ななバッティングフォーム
通称、”天秤打法”を抜きには語れまい。

先ずは両手を20センチ以上も開けて
バットを握る選手は彼以外には存在しない。

近藤選手は左バッター、
右手でバットを握る位置は顔の少し上、

ところが、左手の握りは肩の前だから
バットのヘッドの部分が握りより下がっている。
思い出のプロ野球選手 -14-_c0135543_9315173.jpg

これだけでも妙なのに
構えたバットは絶えずゆらゆらと揺れている。

まさに、行商人の担ぐ棒、
”天秤”打法の命名は至言である。
思い出のプロ野球選手 -14-_c0135543_9323323.jpg

投手が投球モーションには入ると共に
バットは頭上に担ぎ上げられる。

球が離れたその刹那、
バットのヘッドが跳ね上がり
そこから一直線にボールをミートしていく。

真似ようとしても出来るものではない。

近藤選手は明治大学の中心選手だったが
大学当時はオーソドックスの打ち方だった。

それが、どうして
このような劇的な変化を遂げたか?

影響を与えたのが
当時、大洋に在籍していた
ホームラン打者、青田昇さんだ。

近藤選手が入団直後
腕相撲をした青田さんは
彼の腕力の無さに愕然とする。

そこで、青田さんはアドバイスをした。

「この腕力でプロのスピードに負けないようにするためには
 出来るだけ早くバットを球に向って振り下ろすしかない」

そこから、近藤さんの苦悩が始まる。

そして、或る日
彼が中学校の時に親しんだ
剣道の竹刀の素振りが閃いた。

どこでどう繫がったかは
私には良く分らない。

しかし、プロ野球史上
稀に見る妙なフォームは
剣道を参考に生まれたことは確かだ。

それ以降、近藤選手は
打率2位が4回を含む
実働16年で2割8分5厘の成績を残した。

彼は自分の欠点を補う術に長けた
優秀な賢い選手だったのだと思う。

打撃フォームと並んで
彼が才能を発揮したのは脚力だ。

近藤選手は大学当時より
鈍足で聞こえていた。

ところが、投手の癖を盗み
又、時には全く走る素振りを見せず
相手を油断させ、
1961年には盗塁王(35)を獲得した。

当時は職人芸を誇る選手が沢山居たが
事、打撃のフォームに関しては
近藤選手の右に出る選手は居なかった。
by shige_keura | 2008-06-04 09:39 | スポーツ
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