10日付けのブログ、「野球とベースボール」について
ENZOU氏より、”鐘太鼓禁止令”の ご提案があった。 まさに、大賛成である!!! 同時に、ベースボールを野球に訳した人物の紹介があったので この機会に調べてみた。 調べた結果、野球と訳した人物は どうも正岡子規ではないらしい。 確かに、子規は自分でも野球に親しみ ”四球”、”直球”、”打者”等 数多くの言葉を生み出した人物だ。 又、彼の句には 野球に対する並々ならぬ 愛情が見て取れる。 ”春風やまりを投げたき草の原”、 ”球受ける極秘は風の柳かな” この句は彼が既に身体を悪くしてから詠まれたものか? それは分らない。 しかしながら、のどかな一日 草原で野球に興じる様子が感じ取れる 素晴らしい句であると思う。 それでは誰が野球と訳したか?? それは1870年に鹿児島県に生まれた 中馬庚(ちゅうまん かなえ)という人物らしい。 彼は一高時代名2塁手としてならし 明治草創期、学生野球の育ての親とされている。 それは1894年、彼が一高卒業直後 ”ベースボール部史”執筆の時だった。 それまではベースボールの特定の訳語はなく ときたま、”底球”と書く場合があったそうだ。 その理由は分らない。 中馬氏は”底球”だと テニスの”庭球”と紛らわしので 他の訳語を考えた。 その結果、 「テニスは庭でするもの、 ベースボールは野原でするもの」 との考えのもとに”野球”と名づけたと言うことだ。 即ち、中馬氏も歌人、正岡子規も ベースボールに対する思い入れ、考えは同じだったのだ。 お二人にとって見れば 鬱陶しい屋根に囲まれた野球が現れる事は 夢にも思わなかった事だろう。 ドームの中での鐘・太鼓、 騒音以外の何ものでもありませんわ。
by shige_keura
| 2008-06-17 10:00
| スポーツ
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