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思い出のプロ野球選手 -16- (後編)
スタルヒン氏は白系ロシア人である。

では”白系ロシア人”とは何だろう??

”白系”という呼び方からして
何やら差別的な響きを感じてしまう。

白系ロシア人とは一般的に
旧ロシア帝国国民で
共産主義革命の際に
事情があって国外に脱出
或いは亡命した人たちを言う。

何故、白と言うかだが
これは赤(共産主義)に対する意味を含めている。

             (若き日のスタルヒン氏)
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日本にも多くの白系ロシア人が
海を渡ってやってきた。

スタルヒン氏以外にも、
神戸の老舗洋菓子店オーナー、モロゾフ氏、
同じく神戸のチョコレート菓子屋、
”ウイスキーボンボン”で名高い
ゴンチャロフ製菓のオーナー達が白系ロシア人である。



ビクトル・スタルヒン氏は
1916年モスクワから東に車で5時間、
ニジニタギールと言う
鉄鋼で栄えた町で生まれた。

             (スタルヒン氏の僅かな幸せの時代)
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彼の幸せな生活はたった2年、
父が職業軍人であったことが原因で
ロシア革命の波をまともにかぶってしまう。

家族3人は中国のハルピンに逃れ
一時的に住み着くが
長くは止まることができず
放浪に放浪を重ねて
1925年に北海道の旭川にたどり着いた。

6年にも及ぶ放浪の間
彼が見につけた処世術は
”何事にも逆らわず
 常に微笑を浮かべている”ことだった。

             (旭川中学時代)
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旭川中学に進み
野球で才能を表した彼であるが
甲子園の出場は
何れも地区大会の決勝で敗退した為に
叶わなかった。

1934年に読売新聞社は
日米野球を企画主催し
全日本チームを組織した。

そのとき、スタルヒン氏の才能に目を付けた読売は
学校側の了解もなく勝手に
チームの名簿に名前を加えてしまう。

             (巨人入団時、左端が白石勝己、
              その隣りが藤本定義)
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更に、読売巨人軍を作るに際して
読売は彼の無国籍に注目し
人物保証の約束と引き換えに
入団させてしまう。

以降、彼は沢村等が戦争で居なくなった
巨人の屋台骨を一人で背負い
毎試合のように投げ続けた。

又、その活躍は
投げるだけに止まらなかった。

ある年、彼は4回もサヨナラヒットを記録し
自軍の勝利に貢献した。

これは、現役の阿部選手と並ぶ
巨人の歴代タイ記録である。

彼の大活躍の間、
不幸にも戦禍は拡大し
彼の意思に反して
スタルヒンの名前を
須田博と改名させられた。

             (プロ野球も当時敵国の言葉は使用不可となった
              胸のマークもGIANTSに代わって”巨”の字)
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彼の成績は
1943年、44年と急降下する。

その理由は二つある。

ひとつは酷使の為に
肋膜炎を病んだこと。

もうひとつは
敵性外国人と見做され
軽井沢に抑留され
強制労働者の生活を余儀なくされる。

但し、当時のプロ野球記録には
この事実の記述は無く
ただ、病気の為休養とあるだけだ。

更には、彼の抑留中
二つの悲劇が襲う。

ひとつは妻のレーナが
苦しみに耐えられず
彼のもとを去ってしまったこと。

もうひとつは、
読売がスタルヒン氏を
石持て追わんが如く退団させてしまったことである。

あれだけの功労者にもかかわらずである。

戦後、プロ球界に復帰した彼は
恩師、藤本定義を頼って
パリーグの弱小球団を渡り歩く。

彼の右腕から繰り出されるボールは
しかしながら、往年の輝きを失っていた。

             (最晩年、1955年トンボ・ユニオンズ時代
              通算303勝をあげるもののこの年は7勝にとどまった。
              寂しげな表情が印象的)
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1955年、300勝を置き土産に
スタルヒン氏は現役を引退する。

そして、その2年後に悲劇が起こる。

同窓会出席の為
彼が運転していた自動車が
路面電車の玉電と衝突
乗用車は大破し即死してしまう。

当時といえども、
40年の生涯は余りにも短い。

彼の死に関しては
事故死ではなく
自殺とも取り沙汰されている。

しかし、そんなことを
詮索すること自体が非礼であろう。

ここは東京の多磨霊園。

             (多磨霊園の正面入り口)
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正面入り口を入ると
直ぐ右手にあるのが”みたま堂”、
その裏手にあるのが外人墓地だ。

             (外人墓地の一角、この裏手に氏のお墓がある)
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ここにスタルヒン氏の遺骨は
ご両親と一緒に分骨されている。

しかし、本当のお墓は東北の横手にある。

再婚した奥様の弟さんが
住職をされているお寺に
ご夫婦共に葬られている。

今は申し訳ないが
横手まで行く余裕は無い。

せめて出来る事は
多磨霊園の墓前で
お祈りすることぐらいである。

             (多磨霊園、ご両親と一緒にに分骨されているお墓)
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             (旭川にあるスタルヒン球場と氏の銅像
              いつしか訪れたいものだ)
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”時代の波に翻弄された・・・”
との一言では説明できない
悲しすぎるスタルヒン氏の一生である。
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by shige_keura | 2008-09-03 08:56 | スポーツ | Comments(2)
Commented by enzou at 2008-09-04 13:10 x
久しぶりです。
スタルヒン氏の玉電(確か砧近辺)事故のラジオニュース鮮明に覚えている。
私が14歳の時だったのですね。
なぜ彼に強い印象を持っているのか?自分でも良くわからないけど、
お墓まで行ったとは貴兄は偉い。
Commented by shige_keura at 2008-09-04 13:16
enzouさん、コメント有難うございました。

多磨霊園のお墓、事前に良く調べておいてよかった。
何故ならば英語も日本語の表示も無いので、
事前に知らなければ見過ごす所でした。

何時の日か、旭川から横手まで回りたいと
思っていますが実現できるでしょうかね??
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