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真夏の京都 (昔の御人は!!)
清少納言といえば
平安時代の女流歌人にして
枕草子の著者。

源氏物語の紫式部の
よきライバルとみなされた才人だ。

私が清少納言について
これ以上知っていることは
ただ一つ。

小倉百人一首に出てくる歌である。

”夜をこめて鳥のそら音ははかるとも
 よに逢坂の関はゆるさじ”
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この歌は清少納言の代表的作品、
だからこそ、百人一首にも取り上げられているのだろう。

ただ、恥ずかしながら
この歌の文句は知っていても
その意味するところは
今日まで知らなかったのである。




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7月22,23日
真夏の京都旅行。
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最初の訪問先が
皇室と縁深い
御寺”泉涌寺だった。
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カンカン照りの下
寺の名前の由来となった
泉を見学した時
ふと、その隣りに
清少納言の句碑が眼に入ったのだ。
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その句碑に彫りこまれていたのが
先の歌だった。

”夜をこめて鳥のそら音ははかるとも
 よに逢坂の関はゆるさじ”

何故にこの句碑がここに???

聞けば、その昔
当地に彼女の父であった
清原元輔の山荘があり
清少納言自身も
晩年はここに隠遁生活を送っていたそうだ。

さて、この歌は
取り巻きの男性の一人
藤原行成に贈ったもの。

その意味は、
”未だ夜の明けやらぬうち
 鶏の鳴き声を真似て騙そうとしても
 中国の函谷関ならともかくも
 私と貴方が会うという
 逢坂の関を通ることは許しませんよ”
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ここに、何で”函谷関”が出てくるかだが、
これは”史記”の故事を
清少納言が引用しているからだ。

即ち、秦の国から追われた孟嘗君が
函谷関に逃げてきたものの
この関は鶏が鳴かぬと開かない。

そこで、部下が鶏の鳴き真似をして
関を開かせたという話。

さー、このような歌を贈られた藤原行成、
黙っているわけにはいかない。

彼の清少納言に対する返歌が、

”逢坂は人越えやすき関ならば
 鳥鳴かぬとも開けて待つとか”

流石に昔の教養或る人はと感心したが、
一体全体、どちらがどちらに惚れているのだろう?

結局の所、何がなんだか今もって良く分らぬが
これを典型的な”下種の勘ぐり”と言うのだろう。
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by shige_keura | 2008-07-29 09:37 | | Comments(0)
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