手元に一冊の本がある。
題して、「昭和史の家」 発行は1989年、 まさに昭和の終わらんとするときの本だ。 昭和に活躍した有名人の 味わいのある棲み家が紹介されている。 有名人は26名、 政財界、文豪、学者、俳優、歌舞伎役者、画家、 錚々たる面々に伍して スポーツ界からは唯一人 水原茂さんの家が紹介されている。 目黒区、緑ヶ丘の水原邸。 決して豪邸ではないが 彼の西欧好みが漂ってくるかのような 小洒落た佇まいを見せていた。 水原さんは すべてに一流を追求し 徹底的な洒落者だった。 背広、ワイシャツ、靴 全てが彼のこだわったブランド物、 帽子はボルサリーノ 時計は勿論ロレックスだった。 (水原邸の帽子掛けにあるボルサリーノ) かつて、水原さんは こんな言葉を漏らしたことがあった。 「俺が惚れたんじゃない、 向こうが俺のファンだったんだ。 電話で会いたいと言うんで・・・・・・・・ 俺も若かったしなー」 ここでの相手とは田中絹代!! 水原茂と同年生れの彼女は 当時松竹キネマ、いうよりか 日本を代表する大女優だった。 戦前、彼の現役時代、 宝塚、奥様族、女学生言うに及ばず 大女優までもが熱を上げた相手 それが水原茂だった。 惚れたのは女性ばかりではない。 あの、歌舞伎界の大御所、 6代目尾上菊五郎が 水原さんの華麗な守備を見て唸った。 (慶応当時の水原茂) 「あの慶応の三塁手は 鍛えれば間違いなく 日本を代表する舞踊の名人になる」 水原さんの若き日、 かくも華々しい”もてもて時代”の事は詳しく知らない。 しかしながら、巨人軍の監督として 3塁コーチャーズボックスでの立ち姿に その片鱗を十分に窺うことが出来た。 ベルトに手をやって自信満々、 傲然と戦況を見守る姿。 思わぬ苦戦、うつむき加減で 自軍の打開を図る姿。 スタンドに吸い込まれて行くボール、 先ずは帽子を頭上で打ち振って打者と握手 ホームへ向う打者に拍手を送る姿。 どれもが一枚の絵だった。 水原さんはこのとき 自分の立ち姿が最も美しく見える 工夫を施していた。 それは、高価な鹿革の股引を ユニフォームの下につけていたのである。 しかし、そのような工夫をしなくても 水原さんのダンディぶりは 他を寄せ付けなかった。 ただ、彼の魅力を ダンディとだけでは 語りつくす事はできない。 水原さんは筆舌に尽くせぬ 多くの試練を受けてきた。 早慶戦の”リンゴ事件”の主役として 大学を除名処分になりかけた事。 (リンゴ事件で騒然とする神宮球場 グランドに投げ込まれたリンゴを三塁手水原が 早稲田側に投げ返した事に端を発した大事件) 賭け麻雀の疑いで 拘留されたこと。 中で最大のものが 苦難の戦争体験だった事は間違いない。 人生の光と影、表と裏 すべてを知り尽くした人間 それが戦後の水原さんなのだ。 水原さんの魅力。 煎じ詰めれば、 徹底した”硬骨”と勝利への”執念”、 その一方で、 敗戦を敗戦として受け入れる”潔さ”。 そして現役時代の”華やかさ”からは 想像もできぬほどの 監督姿から流れてくる”悲劇性”。 即ち、相反する両面が ないまぜた所に 水原さんの男としての魅力が 凝縮されていると思う。 明日は、私の知る水原さん 男としての潔さと 淋しさ溢れる心情を語りたいと思う。
by shige_keura
| 2009-01-09 10:23
| スポーツ
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