Top
カテゴリ:旅( 439 )
出雲~松江~米子~広島~丸亀~高松 -9-
 成田屋、音羽屋、中村屋も勢揃い


讃岐と言えば金毘羅様なのだが、
長い長い石段を上る前にぜひ訪ねてみたい場所があった。

石段を登る直前、左に緩やかにカーブしている坂を上がると
目的の歌舞伎小屋が見えてきた。
c0135543_20292870.jpg

芝居小屋の名前は「金丸座」正式には「旧金毘羅大芝居」と言い、
現存する歌舞伎小屋の中で最古のものである。
c0135543_20303559.jpg

芝居小屋の歴史を辿ると、
江戸時代は三都以外では常設の芝居小屋は禁止されていた。

ただ、歌舞伎の大衆人気は高く、
それに応えるため金毘羅でも年3回(3月、6月、10月)の
金毘羅大権現のお祭りの際に上方の役者が仮設小屋で芝居を披露した。
c0135543_20314888.jpg

その後、常設を望む強い声に後押しされ
天保6年(1835年)三都以外の地で初めて
常設の芝居小屋(「金毘羅大芝居」)が金毘羅に建てられた。

明治以降芝居小屋の名前は「稲荷屋根」、「千歳屋」を経て
現在の「金丸座」となった。

そして昭和35年(1970年)、国の重要文化財として認定されたときに
正式名称を「旧金毘羅大芝居」と名付けられた。

但し、このとき、小屋は老朽化していたため
文化財としての保存を図る為移築復元計画が検討され、
昭和37年(1972年)現在の地に建てられた。

この時以来、東西の歌舞伎役者から強い出演希望が出た結果、
昭和60年(1985年)第1回「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が行われ、
以来、毎年春の風物詩として全国の歌舞伎ファンに親しまれている。
c0135543_20324756.jpg

訪れたときは春浅い3月、
芝居小屋は4月に行われる
第5代中村雀右衛門の襲名披露公演の準備前だった。

そのため、幸いして江戸の香りを残す芝居小屋の中を、
普段は見られぬ場所まで、
つぶさに見学することが出来た。
c0135543_2044747.jpg

低い入口を背をかがめ中に入ると
大相撲で見慣れた桝席が広がっている。
c0135543_20481360.jpg

役者になった気分で舞台の上から観客席を見渡す。
c0135543_20454312.jpg

この小屋では舞台の上だけではなく
観客席の上からも雪や花が散るように天井に隙間を設けている。
c0135543_20472724.jpg

更には奈落(地下)で見る花道のせりだし、廻り舞台
そして役者さんの控えの間等々興味深い小屋ツアーが続く。
c0135543_2050053.jpg

特に役者が移動する通路は狭く、階段は極めて傾斜が強く、
特に女形の役者にとっては重労働であることが理解できた。
c0135543_20502825.jpg

「金丸座」の定員は740名と地方としては立派なもの、
日本最古の舞台で演じられる歌舞伎、
一度は実際に観たいものである。
c0135543_20511794.jpg

[PR]
by shige_keura | 2017-04-22 21:20 | | Comments(0)
出雲~松江~米子~広島~丸亀~高松 -8-
栗がないのに栗林公園

c0135543_1973662.jpg

今回の旅で訪れた島根県の足立美術館の庭園は
アメリカの専門誌でナンバーワンとして評価されている。

そして、高松の栗林(りつりん)公園も第9位に入っているばかりか
フランスのミシェランガイドで星三つを得ている美しい公園だ。
               (随一の撮影スポット、「飛来峰」からの眺望)
c0135543_1984080.jpg

ただ、その佇まいから公園と言うよりか
庭園と呼ぶ方が相応しく思われた。

明治時代の文部省の教科書によると
「栗林公園は日本の三庭園、水戸の偕楽園、金沢の兼六園、
 そして岡山の後楽園よりも美しい」と書かれていた。
               (南湖に浮かぶ楓島を望む)
c0135543_19101915.jpg

美しい公園の起源は16世紀とされているが
「栗林荘」と栗の字がついたのが延享2年(1745年)
高松藩主、松平頼恭の時代となる。
c0135543_19113343.jpg

ただ、訪れて不思議に思ったのは
栗林と名乗っているにもかかわらず
どこにも栗の木が見つからなかったことだ。
c0135543_19124031.jpg

名前の由来となった栗林は
最初の頃は確かに存在していたそうだ。
c0135543_19133172.jpg

ところが代々の藩主の鴨猟の際に
邪魔となると言うので伐採されてしまった。
c0135543_1914942.jpg

いずれにせよ公園の見どころの松の緑は誠に美しく
朝日に映えて清々しいばかり。
c0135543_19144444.jpg

これだけの庭を維持しているのが頷けるように
多くの関係者が立ち働いている。
c0135543_19151320.jpg

一心不乱に道を掃き清めていたおばさんが
ホウキの手を休めて、
見どころと道順を親切に教えてくれた。
c0135543_19155359.jpg

多くの庭師が立ち働く栗林公園、
芸術的に切り揃えた松を鑑賞、
朝の散歩を気持ちよく楽しんだ。
[PR]
by shige_keura | 2017-04-21 11:42 | | Comments(0)
出雲~松江~米子~広島~丸亀~高松 -7-
丸亀に過ぎたるのもが・・・・・

「家康に過ぎたるものがふたつあり、
 唐の頭と本多平八」

徳川家康の世をうたった戯れ歌である。

つまり家康は秀でたものをふたつ持っていた。

ひとつが唐の頭(当時珍しかった中国到来の兜)と
名臣の本多平八郎(忠勝)という意味になる。

これを丸亀に当てはめると、
「丸亀に過ぎたるものがふたつあり、
 弦一館に扇の勾配」、とでもなるのだろうか。

11万人足らずの小都市にこのように素晴らしいものがあったのか・・・
と言ったならば丸亀の方々に失礼になるのだろうが。
               (猪熊弦一郎美術館、後ろはJR丸亀駅)
c0135543_136369.jpg

戦国時代の城造り、そして現代アート、
新旧ふたつの素晴らしい作品は丸亀駅の目と鼻の先に並んでいる。
               (大手門より天守閣を望む)
c0135543_138653.jpg

丸亀城は日本全国で当時の天守閣を残している
12の城のひとつである。

因みに12城は以下の通りとなる。
  
 城名    旧国名     県名

弘前城     陸奥      青森
松本城     信濃      長野
犬山城     尾張      愛知
彦根城     近江      滋賀
姫路城     播磨      兵庫
松山城     備中      岡山
松江城     出雲      島根
丸亀城     讃岐      香川
松山城     伊予      愛媛
宇和島城    伊予      愛媛
高知城     土佐      高知

続きを読む
[PR]
by shige_keura | 2017-04-19 22:09 | | Comments(0)
出雲~松江~米子~広島~丸亀~高松 -6-
情の人

巨人を9連覇に導いた川上元巨人監督の言葉から始めよう。

「意の広岡、知の森、情の藤田」、
いずれも巨人出身の名監督を評した言葉だ。

広岡は万年Bクラスのようなチームを
意のままに鍛えるのが向いている。

森はある程度出来上がったチームを
彼の知力で動かせばよい。

若手中心のチームには藤田の情が
チームの一体感、信頼感を高めていく。

今治から丸亀に向かう途中、
西条、新居浜と大好きな藤田さん出身地の標識が現れて胸が熱くなる。

藤田さんは新居浜の出身、
甲子園とは無縁の西条北高校から慶應に入学した。
c0135543_10152041.jpg

野球部初日の練習、
藤田さんがブルペンで投げ始めた瞬間、
それ以外の時は止まったかのようだった。

「誰だ?あいつは!!すげー球だな!!!」。

おまけに、投球フォームの格好の良さ、
あたかも大空に向かって羽ばたく鷹のような
伸びやかさと力強さがあった。
c0135543_1025217.jpg

その伸びやかさは今見る
風光明媚な瀬戸内海の景色と繋がっていることを感じた。
c0135543_1032426.jpg

慶応時代の成績31勝19敗は、
志村と並び宮武三郎に次ぐ2位。

抜群の成績ながら1年以外、
中心選手として優勝の経験はなかった。

ノンプロの日本石油時代に日本一を味わうも、
巨人の現役時代は一度として日本一になれなかった。

それでも彼は黙々と淡々と投げ続けた。
c0135543_10261521.jpg

巨人入団初年は17勝で新人王、
翌1958年、29勝、1959年は27勝で
連続MVPの栄誉を得たが日本一の美酒は味わえなかった。
c0135543_10264712.jpg

172センチ、夏場には60キロを切る痩身を使った全力投球、
いつしか藤田さんには「悲運のエース」、
「球界の紳士」とのニックネームが付けられていった。

続きを読む
[PR]
by shige_keura | 2017-04-16 13:38 | | Comments(0)
出雲~松江~米子~広島~丸亀~高松 -5-
尾道から

c0135543_14352654.jpg


c0135543_14411116.jpg

本州と四国を結ぶ道路は三本、
最も西に位置しているのが西瀬戸自動車道路であり
本州側の起点が尾道である。

今回の旅で残念だったのは
時間の関係で尾道を見学できなかったことだ。

ただ、通りすがっただけではあるが
緩やかな坂、見下ろすは瀬戸内海、
風光明媚でたおやかな町の表情が窺えた。
c0135543_14364935.jpg

尾道と言えば映画、小説に数多く登場するが
我々世代にとって最も親しみ深いのは
小津安二郎監督の代表作「東京物語」となろう。

続きを読む
[PR]
by shige_keura | 2017-04-15 10:11 | | Comments(0)
出雲~松江~米子~広島~丸亀~高松 -4-
上質なること絹の如し

               (冬の色濃い中国山地を抜け広島に向かう)
c0135543_911935.jpg


その時、彼は広島にただならぬ噴煙が上がるのを見た。
c0135543_9124638.jpg

その直後、黒い雨が彼の頭上に降り注いだと言う。
c0135543_9134890.jpg

1945年8月6日、広島に原爆が投下された時の事だ。
c0135543_9142482.jpg

彼とは後に六大学、プロ野球で活躍した広岡達郎さんのことだ。
当時13歳の広岡さんは歴史に残る暴挙の時、
呉の軍需工場で勤労奉仕活動をしていたのだった。

今回の旅は奇しくも若かりし頃、熱烈なファンとなった
三人のプロ野球人縁の地を巡る旅ともなった。

三人は共に巨人で活躍した藤田元司さん、水原茂さん、
そして広岡達郎さんである。

続きを読む
[PR]
by shige_keura | 2017-04-09 17:30 | | Comments(0)
出雲~松江~米子~広島~丸亀~高松 -3-
庭園もまた一幅の絵画なり

米子から車で小1時間ほどにあるのが安来市。
安来と言えば「安来節」であり、
滑稽な仕草のドジョウすくいの踊りと共に全国に知られている。
c0135543_21492465.jpg

しかし昨今では足立美術館で日本ばかりか
世界にその名前を轟かせることとなった。
c0135543_2151533.jpg

なにしろ、アメリカの日本庭園専門誌である
「Sukiya Living Magagine/The Journal of Japanese Gardening」誌による
庭園評価の結果、14年連続日本一に輝いているのだ。

因みに2016年のベストファイブはこうなる。

1.足立美術館
2.桂離宮(京都)
3.山本亭(東京)
4.御所西 京都平安ホテル
5.養浩館庭園(福井県)

続きを読む
[PR]
by shige_keura | 2017-04-07 08:38 | | Comments(0)
出雲~松江~米子~広島~丸亀~高松 -2-
-米子と言えば・・・-
c0135543_18291944.jpg

天守閣が国宝指定となっている松江城、
別名千鳥城を駆け足でめぐり
初日の宿泊地である米子に到着する。
c0135543_183099.jpg

地方活性化の声がむなしく聞こえるほど
米子の街はさびれていた。
c0135543_1831322.jpg

旧市街の河童橋周辺も荒廃、
かつては漁師たちで賑わった飲み屋街も閑散としている。
c0135543_18314468.jpg

お勧めの居酒屋「稲田屋」、
猛者海老、ひと干しの烏賊をはじめ
当地の味に満足したがお客は入ってこない。
c0135543_18322584.jpg

c0135543_18325973.jpg

昔日の米子は戻ってこないのか?

続きを読む
[PR]
by shige_keura | 2017-04-03 18:36 | | Comments(0)
出雲~松江~米子~広島~丸亀~高松  -1-
-雨にけむる出雲大社-
               (出雲大社)
c0135543_14594660.jpg

全国で最も早い桜開花が東京で伝えられた頃、
三泊四日で山陰~山陽~四国の駆け足旅行を試みた。

羽田から飛行機で出雲へ飛び、
レンタカーで松江から米子。
               (松江城)
c0135543_1505977.jpg

翌日は足立美術館見学後広島。
               (足立美術館)
c0135543_15122442.jpg

               (原爆ドーム)
c0135543_15132296.jpg

3日目は尾道からしまなみ海道を経て
四国へ初めて足を踏み入れた。
               (しまなみ海道)
c0135543_1524328.jpg

最終日は金毘羅本宮にある「金丸座」見学後、
約800段の石段を上がって本殿へお参りし、
高松空港で車を乗り捨てて空路羽田、
忙しくも中身のある旅となった。
               (「金丸座」・現存最古の歌舞伎座)
c0135543_1535086.jpg


続きを読む
[PR]
by shige_keura | 2017-03-30 15:19 | | Comments(0)
早春の熱海 ~ヨーロッパの旅館~
「ヨーロッパの旅館」、これが昨年10月末
“ひらまつ”グループが始めた
リゾート・ホテルのキャッチフレーズだ。

レストラン・ひらまつはホテルオークラで修業した
平松博利氏が、その後日本人として初めて
パリでオーナーシェフとしてミシェランの星を獲得したことで有名になった。
c0135543_10311578.jpg

今や、“ひらまつ”と言えば広尾の「ひらまつ本店」をはじめ、
代官山、銀座の“ASO”、ポールボキューズ、オーベルジュ・ドゥ・リルトーキョー、
アイコニック等のフレンチの名店を展開し
世のグルメ、グルマンにとっては堪らない存在となっている。

その“ひらまつ”が昨年の7月に賢島に
「ヨーロッパの旅館」をキャッチフレーズとしたリゾート・ホテルを開設した。
c0135543_10323279.jpg

今回滞在した熱海のホテルは昨年10月末開いたもの、
更に、矢継ぎ早に昨年末、箱根仙石原に三軒目のホテルを開設した。
c0135543_10341071.jpg

どのホテルも部屋数は少なく、熱海の場合も13室、
まさしく私が欧州に生活している頃愛用したシャトーホテルのコンセプトである。

シャトーホテルとは欧州の各所に点在している
貴族の館、僧院等をリゾート・ホテルとして改築したものである。

セールスポイントのひとつが
都市型のホテルに比べ小さいので
サービスが行き届いていることだ。

二番目は当時から地産地消を掲げ、
腕の良いシェフが腕によりをかけた料理を提供してくれることだ。

つぎにホテルのロケーションの大半が
街中の雑踏を離れ郊外の森の中、
或いは海辺に位置しているので、
ゆったりとした気分で真の休暇を満喫できるのが嬉しいことだ。
                (地中海に面したプチ・ニース)
c0135543_10351281.jpg

例えば、フランスのマルセイユ郊外に
地中海に面して建つ“プチ・ニース”、
プロバンス地方の山間に分け入った場所に
陽光を浴びて佇む“ボーマニエール”で過ごした時間は今でも忘れられない。
               (プロバンスの山間にあるボーマニエール)
c0135543_10363156.jpg

自家菜園で太陽を浴びて育ったトマト、ズッキーニや葉物、
地中海の海の幸に山の獲物を
ワインと一緒にやるのは至福のひと時である。

今回の熱海ではホテル側の格別な計らいで
思いがけず、ゆったりとした日本間に泊まれることが出来た。
c0135543_10384778.jpg

目の前に広がるのは伊豆の海、
すぐそばに浮かぶは初島、遠くに大島が霞んでいる。
c0135543_1049698.jpg

露天風呂でゆっくり身体を温め、いざ夕食!
c0135543_1050098.jpg

先ずは兎のリエットをおつまみにシャンパン。
c0135543_10513592.jpg

相模湾の赤座海老の備長炭・炭火焼、
蒸しアワビに肝のソース、フォアグラ等々、
シェフの選りすぐった食材に舌鼓を打つ。

勿論、紅白のワインが食事を盛り上げてくれる。

チーズにデザート、満ち足りた気分、
部屋に戻って一休みののち、
もう一度ゆっくりと温泉でくつろぐ。
c0135543_10532440.jpg

満天の星空、ゆったりと時が流れていく。
c0135543_10544991.jpg

[PR]
by shige_keura | 2017-01-28 22:12 | | Comments(0)



2007年9月末にこちらに引っ越してきました。
→過去のブログを見る


ホームページ 



LINK 


LINK FREE

このブログの写真・テキストの無断使用はお断りします。

(c) 2007 shige_keura. All rights reserved.