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カテゴリ:旅( 430 )
熊本~天草の旅 -四郎の呪縛―
天草と言えば誰しもが思い浮かべるのが天草四郎、
若くしてキリシタンを率い
幕府に反旗を翻した「島原の乱」で討ち死にした悲運のヒーローである。

天草に足を踏み入れたと同時に目立つのが天草四郎関係の宣伝、PR。
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「天草キリシタン記念館」、「天草四郎メモリアルホール」、
「天草パールセンター」、「藍のあまくさ村」、「鬼池港」等々、
至る所に彼の像が建立されている。
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天草の観光は天草四郎一色、
すべては彼に委ねられているようだ。
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それでは、この作戦が功を奏しているかというと首を傾げざるを得ない。

まず第一に天草四郎の実態が歴史のなかで、
解明されていないことが多すぎるのである。

江戸初期のキリシタン信奉者
実は豊臣秀頼の落胤をはじめ、
出生地についても天草諸島、熊本の宇土、或いは長崎と諸説ある。

               (幕府側の拠点となった富岡城跡)
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1621年或いは1623年に生まれ、
1637年の島原の乱のときに
十字架を掲げてキリシタンの総大将を務め原城で討ち死にしたというのだが・・・・。

十代の前半にして軍を率いることが現実的でないとの疑問もあるし、
そもそもこの戦いがキリシタンと幕府の争いではないとの説が今や一般的なのだ。

「島原の乱」は領主の圧政に立ち上がった単なる農民一揆であり、
そこに攻める方も守る方もキリシタンを担ぎ出したという背景がある。

一揆側としては奇跡を起こしたキリシタン信者を大将に掲げることで
聖なる戦いとの色彩から、より大きな力が湧いてくる。

一方の徳川幕府は家光の時代、
まだまだ徳川は盤石とは言えなかった。

従って、どこかで幕府の強大な力を見せつける必要があった。

そこでキリシタン嫌いの家光が考え出したのが
キリシタン弾圧に名を借りた一揆側と豊臣残党の殲滅作戦だった。

確かに一揆側には豊臣の流れを汲む者も居たという説がある。

従って、天草四郎の名前を売れば売るほど
話が嘘っぽく思われてくる。

しかも天草四郎には悲劇の影、暗いイメージが付きまとっている。

               (大江天主堂)
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それは天草の持つ風光明媚な自然と
余りにも大きなギャップを感じさせてしまう。

               (大江天主堂にあるルルドの聖母)
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天草四郎を売れば売るほど不自然さは強調され
天草の全体イメージを暗くしているようにも思われた。

               (埼津教会)
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「脱天草四郎」こそ今の天草が真剣に考えなければいけないのではないだろうか。

               (富岡城跡より天草諸島を見下ろす)
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天草諸島が持つたおやかな自然、
豊かな海の幸、山の幸をもっともっとアピールするべきである。
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by shige_keura | 2016-11-28 09:54 | | Comments(0)
熊本~天草の旅 -肥後の石工-
私は読んだことがないが
「肥後の石工」(ひごのいしく)という児童向けの本がある。
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江戸時代に肥後の国をより良くするために
石橋作りに心を砕いた男たちの物語。

そこからアーチ式橋(眼鏡橋)造りの名人集団
「肥後の石工」の名前が生まれた。

「肥後の石工」の凄さを物語る数字がある。

全国に残っている眼鏡橋の数はおおよそ1,000、
そのうち9割が九州に存在し、
その3割以上が熊本県(肥後の国)に集中している。

更に、名工たちは隣の薩摩の国に呼ばれ、
国を守る重要な橋梁建築を任された。

彼らは本拠地・熊本だけではなく
九州全般に影響力を及ぼしたのである。

石工たちは阿蘇の大噴火がもたらした火砕流が
冷却してできた溶結凝結岩が
石材に適していることを見抜き、
米どころの肥後の国をより豊かにするための
水路橋、往来橋を急流の難所、要所に架橋していった。

益城郡を流れる堂々たる緑川に
船津峡と呼ばれた交通の要所にして難所があった。

江戸時代の初めに架けられた木の橋は次々と流失していった。
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そこで立ち上がった72名で組織された肥後の石工のプロ軍団は
1846年に難工事の末にアーチ式の、いわゆる眼鏡橋を架けた。
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橋の名前は「霊台橋」(れいだいきょう)、
おそらく霊魂尽きるほどの努力の結果、
台地に根を生やすかのように完成した橋と言う想いが込められているに違いない。
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この橋は1966年に上流に鉄橋が出来るまで、
船津峡谷の難所を行き来する人たちにとって
千人力の力を発揮したことは間違いない。
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「霊台橋」から峡谷を登っていくと
緑川の支流、阿蘇の外輪山の南側を流れる五老ヶ滝川がある。

その川に江戸時代、1854年に架けられたのが
「通潤橋」(つうじゅんきょう)の名前がついている眼鏡橋である。

この橋の役目は名前が示す通り、
潤いを通すための橋である。
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すなわち、周辺の水に恵まれぬ台地に
灌漑と飲料の目的で作られた橋、
これのおかげで肥後五十四万石の健全な運営が可能となったのである。

「通潤橋」は日本の独自技術で実現した
最初の噴水管(逆サイフォン)として
「肥後の石工」のものづくり技術の高さを今に伝えている。
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「肥後の石工」、老爺となった今、
遅きに失したが、名児童文学書をひもとこう。
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by shige_keura | 2016-11-25 08:51 | | Comments(0)
熊本~天草の旅  -無残やな・・・・ー
目の当たりにする惨状に言葉を失った。

同時に、浮かんだのが芭蕉の句である。
「無残やな かぶとの下の きりぎりす」。

                (隅石一本で辛うじて支えている飯田丸五番櫓)
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この句は芭蕉が加賀の国を訪問した時詠んだものであり
熊本城とは何ら関係ない。

恐らく、兜~加藤清正~熊本城の連想が
頭を駆け巡ったのだろう。

今年の3月22日から24日にかけて熊本を訪問、
天下の名城熊本城の威風堂々たる姿に見とれた。
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               (2016年3月訪問時)
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それから1ヶ月もたたぬ4月14日に
熊本地方は大地震に見舞われ
城も甚大な被害を蒙ったことを新聞、テレビで知った。

そして11月、再び熊本訪問の機会を得た。

熊本城の惨状! 見ると聞くとは大違い。
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根こそぎ倒れている大木、崩れ落ちている城壁、
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瓦が滑り落ちむき出しになっている屋根、
わずか一本の柱でかろうじて崩壊を免れている城…。
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特に築城(慶長11年、1606)以来の姿を維持し、
熊本城の美の象徴とまで言われてきた
「長塀」もところどころ崩れ無残な姿をさらしている。
               (3月訪問時の長塀)
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               (11月、修復中の長塀)
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県のシンボルであり県民の誇りでもある
熊本城の変貌が熊本の人たちに与えた影響は計り知れぬことだと思う。

城の復興計画が今始まっている。

しかしながら、どこまで再建できるのか?するべきなのか?
城の復旧よりもいまだに仮設住宅で
不自由を余儀なくしている人たちの救済の方が優先すべきではないのか?

県内でも議論百出、
熊本トータルとしての復興計画の一本化はされていないようだ。

湯水の如き金を城の復旧に注ぎ込み
完全に元の姿に戻すよりも
地震の被害は被害として後世に伝える復旧に取り込むべきだと思う。

自然災害、とりわけ地震の凄さを改めて肌で感じた。
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by shige_keura | 2016-11-23 18:23 | | Comments(0)
箱根八里・日帰りの旅 -王様の気分で足湯に浸る-
ここは目の前に芦ノ湖の眺望が開ける
カフェレストラン「ベーカリー&テーブル」である。
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看板に「Bakery & Table」 -since 1937-とあるが、
この場所に店を開いたのは2013年である。
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1937年はこの店と関係が深い
「赤倉観光ホテル」の創業した年である。
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この年、大倉財閥の二代目の大倉喜七郎は
「上高地帝国ホテル」、「川奈ホテル」に続き
「赤倉観光ホテル」を創業し多くのスキー客に
欧米のスキーの楽しみ方を提供した。
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そのときのひとつのセールスポイントが美味しいパンの提供にあり、
それが箱根のお店に受け継がれたというわけである。
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折角だからと当店お勧め「King of Sandwiches」(王様のサンドイッチ)を注文。

待つこと暫し、目の前には
フェンシングの剣をかたどった串に刺さったサンドイッチが現れた。
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まさに王様が食べるにふさわしい偉容、
国産腿肉のステーキと厚切りのベーコンの味も素晴らしく、
目の前の絶景と共に大いに楽しんだ。

もっとも、さすがの大食漢も
一人で食べきれるヴォリュームではないので
チーズ味濃厚のキッシュを頼み、家内と食べ分けた。

11時半の予約、昼食後店を出た時は長蛇の列、
この店の人気の高さが窺われた。

この店の売りのひとつ戸外で足湯に浸りながら
食事を楽しむカウンターは鈴なりの人で賑わっていた。

足湯に浸りながら戸外で食事を楽しむのも悪くない。

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by shige_keura | 2016-04-21 08:32 | | Comments(0)
箱根八里・日帰りの旅 -隠れたる名城跡-
11月26日(土)、6泊7日の九州旅行を終えた2日後、
娘一家と日帰りで箱根に出かけた。

ひどく忙しい毎日となったのは
箱根に残るユニークな城跡を孫と共に見たいがためのものである。

全国に点在する城の数は
極めて大ざっぱに言って3万から4万と言われている。

日本人は城好きな人が多いが、
「姫路城」「熊本城」「松本城」等々、
かつての威風堂々とした姿を再現した城の人気度が高いようだ。

しかしながら、天守閣は勿論のこと
城そのものの姿は何処にも残されていない城跡から
往時の模様を偲ぶのもなかなか味のあるものだと思う。
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奥深い箱根八里を国道一号線に沿って三島市に入って
ほどなくの所にある「山中城跡」は
貴重な中世の山城の面影を今に伝えている。
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「山中城」は戦国時代末期の永禄年間(1560年代)に
小田原に本拠を構えた後北条氏が築城した。
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その後、天正17年(1589)、豊臣秀吉との対立が深まりなか、
小田原攻めを防ぐために急遽、堀、出丸の整備を行った。

しかし、翌年、増築が未完成のまま4万の豊臣軍の総攻撃を受け、
わずか4千の北条軍の必死の抵抗もかいなく
城は半日で落城したと伝えられている。
                      

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by shige_keura | 2016-04-19 10:59 | | Comments(0)
九州6泊7日 -天下の名城-
バラエティに富み、中身も濃かった
6泊7日九州の旅は多くの思い出を残してくれたが、
最後は天下の名城、肥後・熊本城で締めくくることとする。
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数年前に駆け足で熊本に半日逗留したとき、
朝、ホテルのカーテンを開けた途端びっくりした。
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ホテルは今回と同じキャッスルホテル、
目の前には画像と同じ熊本城がそびえ立っていた。
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「これは凄い!」。

何が凄いかと言って、
これほど勇壮な城を見たのが初めてだったからである。

国も違う、全く城の形も違うが、
かつて南仏をプロヴァンスからランドックへと旅したとき、
ブドウ畑の遥か向こうにカルカソンヌの城を見た時と同じような感動を覚えた。
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カルカソンヌを攻め落とすのは一筋縄ではいかない、
又、熊本城も難攻不落の偉容を誇っている。

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by shige_keura | 2016-04-16 17:57 | | Comments(0)
九州6泊7日 -戦地に散った好漢-
ここは熊本城を見下ろす小高い山に建てられた日蓮宗・本妙寺、
肥後熊本藩初代藩主であった加藤清正を祀る浄池廟がある。
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ここから長い長い石段を登って行った先に
長い槍をかざした加藤清正公の堂々たる銅像を見ることが出来る。
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加藤清正は安土・桃山から江戸時代にかけて活躍した武将で、
特に我々にとっては朝鮮征伐の時の
虎退治でお馴染みの人気者である。

人気者と言えば、この寺にプロ野球の草創期に
わずか4年の在籍とは言え満天下のファンを魅了した男の墓がある。
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彼の名前は吉原正喜、熊本工高時代から甲子園を沸かし、
赤バットの川上哲治と共に巨人に入団した。
               (熊工甲子園準優勝の時、後列右が川上、中央が吉原)
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正確に言うならば巨人は吉原をどうしても獲得したかったことで、
吉原の願い「川上も一緒に」を受け入れて契約した。

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by shige_keura | 2016-04-14 09:36 | | Comments(0)
九州6泊7日 -木村の前に木村なく・・・・・-
ここは熊本市南区野田にある大慈禅寺、
曹洞宗の流れを汲む堂々たる寺である。
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ここに日本柔道史上最強と言われている木村政彦が眠っている。
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墓石には「鬼の柔道」と彫り込まれ、
横に建立されている石碑には
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と書かれている。
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木村は1917年にこの地で生まれ、
家は貧しく、近くの激流「加勢川」でザルを使って
砂利取りをして家計を手伝っていた。

この労働が木村の類まれなる強靭な足腰を作り上げていった。

その後、同郷の鎮西中学の先輩で
拓殖大学で柔道指南をしていた牛島辰熊の下で
1日10時間というハードな練習をこなし
その名前を知られていくようになった。

1メートル80センチ、85キロの体格は
柔道家としては格別優れたものではないが、
彼の荒々しいスタイルは「鬼の木村」と恐れられていった。
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木村がどれほど強かったのか、
ライバルたちの意見も取り入れながら紹介しよう。

木村は1937年に全日本のチャンピオンになってから13年間その座を譲らず、
その間行われた皇紀2600年記念展覧試合でも
5試合すべて1本勝ちで優勝した。

               (木村政彦無敵のころ、21歳)
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立ち技寝技ともに優れ、
立ち技の得意は大外狩り、失神者続出で技を出すことを禁じられた。

寝技はどの体勢からも入れる腕ひしぎが強烈で
多くの脱臼者が出たため、これも禁じ手となった。

その中で木村は勝ち続け柔道を離れる15年間不敗を貫いた。

のちにプロレスに転じて活躍した120キロの巨漢・遠藤幸吉の弁
「強さが別格!巨大な岩みたいに動かないのだから技の掛けようがない」。

牛と格闘し空手でも有名な大山倍達はこう語る。
「全盛期の木村だったら、へーシング、ルスカは3分と持たない」。

世界的な柔術家・エリオ・グレーシー曰く
「私がただ唯一敗れた偉大なる相手だ」。
               (グレーシーを絞め上げる木村)
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1964年の東京オリンピック、
日本柔道の前に大きく立ちはだかったのがオランダのへーシング。

そのとき、木村はすでに47歳を迎えようとしていたが、
関係者の間では彼以外にへーシングに勝てる見込みがないとして
真面目に出場が検討されたという。

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by shige_keura | 2016-04-13 09:35 | | Comments(0)
九州6泊7日 -肥後もっこすの野球場-
戦後の荒廃の中から復興を目指したプロ野球、
バットで牽引していったベストスリーを挙げると、
藤村、大下と今回の主人公、川上となる。
               (初代ミスター・タイガース・藤村富美男)
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物干しざおといわれた長いバットを振り回し、
喜怒哀楽を表に出した藤村富美男は
ショーマンシップ豊かな男として異彩を放っていた。
               (青バットの天才・大下弘)
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青空に描く美しい放物線、
ホームランを「ポンポン」外野席に打ち込むことで
「ポンちゃん」のニックネームが付けられた大下弘は
端正で女性にモテモテの一方で、子供を可愛がる優しい性格の持ち主だった。

川上哲治の名前が出るときに
必ず言われる言葉が「肥後もっこす」である。
               (赤バットの弾丸ライナー・川上哲治)
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肥後は熊本県、「もっこす」とは純粋で一度決めたら
梃子でも動かない頑固で妥協しない性格を意味している。

「肥後もっこす」は「津軽じょっぱり」「土佐いごっそう」と並ぶ
日本三大頑固のひとつであり、
川上は「もっこす」の典型的な男だった。

川上の生まれ故郷熊本県・人吉市の郊外。

目の前には小雨煙る中に1999年に郷土の英雄を記念して造られた
「川上哲治記念球場」の標識が見えてきた。
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両翼97メートル、中堅120メートルの広さを持つメモリアル・ボールパークは
川上が選手として監督として大活躍した後楽園球場とほぼ同じ形状である。
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川上は父の野球指導を受け
小学校4年で野球部に入り2番でライトを守った。
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そして、その年の九州大会の決勝で見事決勝のランニング・ホームランを放っている。
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その後、野球の名門・熊本工高に入り、
伝説の名捕手であった吉原正喜とバッテリーを組み2度の甲子園準優勝、
1度の明治神宮大会の優勝を果たした。
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by shige_keura | 2016-04-12 09:41 | | Comments(0)
九州6泊7日 -人吉の名店ふたつ-
熊本市から車で南に小1時間ほど南に下る。

山間部に咲く山桜に見とれているうちに
山地に囲まれるようにした人吉盆地の中心、人吉に到着する。

市内中心には熊本県唯一の国宝である青井阿蘇神社がある。
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珍しい茅葺屋根の本殿に見入った後、
ふと目についたのが寄進の石塔に彫り込まれている一人の名前。
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そこに書かれているのは川上哲治、
ここは戦後のプロ野球に赤バットを引っ提げて
巨人の4番として大活躍した男の故郷である。
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人吉は清流・球磨川沿いにあるので米作りに適し、
米焼酎造りも昔から盛んである。

又、新鮮な川魚の宝庫でもあり、
隠れたる鰻の名店がここにある。
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その名前は「上村」、朝の10時過ぎから店を開け、
時分時には長蛇の列となる人気店だ。
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店内はこれぞ昔の人吉村の風情、
椅子席前の囲炉裏が興趣をそそる。
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ここの鰻は勿論、関西風、
すなわち腹開きした鰻を蒸さずにそのまま焼き上げる方式だ。

実際の所、私は鰻は断然の関東派、
蒸してトロッとした口当たりの良い鰻が大好物である。

「江戸っ子はなんてったって背開きよ! 
 腹開き?? 切腹なんて縁起でもねえ!!」。

と、今まで思っていたのだが、この店で考えを改めた。
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お重を開けると分厚い鰻が4 切れ、
更にご飯の間に2切れ、計6 切れの鰻が現れる。
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「しまった!ホテルで朝食を何でたくさん食べてしまったのか!」。

後悔しながら食べ始めると、何とすいすいとお腹に収まっていくではないか。

香ばしく焼き上がった鰻は
今までの関西風に感じていたシツコサはどこにも感じられない。

むしろ、関東風の鰻に比べすっきりとした味わいだった。
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店内には仲代達也さん、そして大先輩でもある故小沢昭一さんのサインもあった。
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小沢さんのサインは1971年、
丁度、飯塚の「果穂劇場」旗揚げ公演の時期と重なる。

無事、公演を終えた先輩は
ここで至福の一時を過ごされたのだろう。

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by shige_keura | 2016-04-10 13:18 | | Comments(0)



2007年9月末にこちらに引っ越してきました。
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