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カテゴリ:観( 303 )
ピカソと紫陽花
ピカソが紫陽花の絵を描いた事ではない。
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6月15日、梅雨の合間の晴れの日、
暑さを感じるが、時折涼やかな風が吹き抜けていく。
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ここは高級住宅地と言えば田園調布、
お馴染みの並木道を洒落た邸宅を見ながら進むと宝来公園。
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そこを右に入ってすぐの所に本日の目的地が現れる。
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福岡に続き「みぞえギャラリー」が、
ここ田園調布にオープンしてから5年を記念して
「ピカソ、その芸術と素顔」と題した特別展示が行われている。
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瀟洒な日本家屋は数十年前に一代で巨億の財産を築きながらも
波乱万丈な生涯を送った横井英樹氏が建てたと伝わっている。
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入館無料ながら訪れる人の数は平日の為か多くないので
ゆるゆると天才の芸術2点を鑑賞した。

ひとつはピカソが没する1年前(1972年)に描いた「男の顔」、
そしてゲルニカ空爆の前日に完成した「静物」だ。
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ゲルニカ空爆とは、
スペインが右派と左派に分かれて内戦に突入した最中、
フランコ将軍と手を組んだドイツ空軍が
1937年4月26日北部バスク地方の最古の町
ゲルニカを徹底的に破壊したものである。
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悲劇の一報をパリで聞いたピカソは
パリ万博の壁画に当初の予定を変更してゲルニカの悲劇を描く事を決心し
3.5メートル×7.8メートルの大作を1か月余りで完成させた。
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ゲルニカの壁画はむごたらしい惨状を
ピカソ独特のタッチで描き彼の傑作として
後世に伝わることとなっていった。

ここ、田園調布ギャラリーで見る「静物」は
ゲルニカの悲劇の前日を表すかのような
「嵐の前の静けさ」の雰囲気が伝わってきた。

展示のもうひとつのテーマ、「素顔」は
ピカソの晩年に家族のように寄り添うように暮らしたカメラマン、
ロベルト・オテロの数十にも及ぶ作品が展示されていた。

そこには娘に捧げるピカソの愛情に満ちた表情、
それとは対照的なスピーチに臨む前の
ピカソと関係者の緊張の糸が張りつめたかのような写真が印象的だった。

日本庭園を見ながらお茶に羊羹のサービスを満喫しギャラリーを出る。
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目的は無く足の向くまま坂を上り下りして
多摩堤通りを丸子橋を目標に進む。
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陽の照りつける中の散歩、
疲労感が増す頃に思い出したのが
多摩川台公園の紫陽花が見ごろだと言うことだった。
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公園内にはご同輩がスケッチをしたり写真を撮ったりと賑やかな事。
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紫陽花の種類も昔とは比べ物にならぬほど多くなり目移りがするが、
私は定番のブルーのものが最も好ましく思える。
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梅雨の合間の晴天の一日、
ピカソと紫陽花で充実した気分となった。
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by shige_keura | 2017-06-23 09:51 | | Comments(1)
祭のあとの祭りの準備
競馬最大のお祭りと言ったら
「ダービー」(東京優駿)であることに異論をはさむ人は居ないだろう。

満3歳を迎えた若駒、7,500頭から選ばれし18頭が
一生に一度のチャンスを掴もうと晴れの舞台で躍動する。

               (2017年ダービー優勝馬、レイデオロ)
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馬を管理する調教師の人たちは、よくこんなことを口にする。

「ダービーが終わった翌日から
 来年のダービーに向けての準備が始まるのです」。

とは言え、ダービーが終わった翌週の土曜日の競馬場は
どことなく緊張感が解け放たれ、ゆったりとした気配が流れている。

中高校の先輩であり、敬愛する故山口瞳さんは
人気連載「男性自身」のなかで「ダービーのあと」と題して
東京競馬場に流れるゆるりとした雰囲気をものの見事に表現していた。

確か、こんなことが書いてあったように思うのだが。
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「春競馬のクライマックス、ダービーが終わった府中、
 そこはかとなくのんびりとした空気が漂っている。
 それはダービーが無事終わったあとの安堵感から来ているのだろうか。

 馬の数も気のせいか少ないようだ。

 すでに夏競馬の福島、新潟、北海道に旅立ってしまったのだろうか。

 ひと際逞しくなった馬たちが戻ってくる秋には
 違った名勝負が繰り広げられることだろう。」

6月3日晴天の土曜日、すなわちダービーの翌週、
府中競馬場に足を運んだ。

この季節に富士山がくっきり見えるのは珍しい。
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それほど空気は澄んで清々しい日だった。

この日のお目当ては午後の最初のレース、第5レースである。
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このレースは関東地区で行われる
最初の2歳馬のデビュー戦、つまり新馬戦である。

この年代の2歳馬が何頭いるのか知らないが
恐らく7,800頭はいるだろう。

その若駒が来年のダービーを目指す最初のレースなのである。

レース開始前30分、パドックに16頭の若駒が入場してきた。
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生まれてはじめてのレース前のパドック、
キョロキョロあたりを見渡す馬、
早くも胸前に汗を滴らせている馬、
古馬のように落ち着いている馬、
チャカチャカとせわしない歩様で歩く馬。

中では4番のビリーバーの気配の良さが目立っていた。
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4番人気とそれなりに人気を集めているのだが、
最大の懸念が騎手の岩部、
こういっては悪いが決して上手いジョッキーとは言えない。

御贔屓の田辺のブショウ(2番人気)か
柴田大地のヴイオトボス(3番人気)とも考えたが
結局は自分の目を信じ岩部のビリーバーをビリーブ(信頼)することとした。
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ゲートが開いて来年のダービー目指して
16頭が力強い蹄音を響かせ4コーナーから
府中の長い直線に入ってきた。
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残り200メートルの所で内をついて
4番のビリーバーが先頭に立ちゴールを目指す。

脚色は良いが抜け出すのが早すぎるのでは?

その懸念はゴール前で現実となった。

真ん中と外から2頭の馬がビリーバーを交わし
ゴール板を馬体を接するように駆け抜けた。

掲示板には1着12番ヴィオトボス、
2着14番ブショウ、3着4番ビリーバーと揚がった。

「うーん、残念、やはり騎手の腕の差が出たか」。

馬券戦術には負けたが、
本シーズン初の新馬戦を大いに堪能した。

来年のダービーにはどのような18頭がコマを進めてくるだろうか。

ダービーが終わった次の日から
来年の祭りの準備が始まったのだ。
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by shige_keura | 2017-06-06 21:58 | | Comments(0)
仮名手本忠臣蔵は女が手本
12月の国立劇場は10月から3か月連続完全通し上演
「仮名手本忠臣蔵」の八段目~十一段目である。
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12月になると毎年、舞台やテレビで取り上げられるのが赤穂義士のお噺だが、
今回は3か月累計上演時間が15時間にも達すると言う超大作である。

人気演目だけにお客様も大勢、
中には丸髷のご婦人が彩りを添えている。
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12月はいよいよ本懐を遂げるクライマックスである。

しかし、お噺の中心は九段目の山科閑居の場である。
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ゆったりとしたテンポで進む九段目、
時には眠気を覚えたものの、
お芝居の為に作られた人物・加古川本蔵にまつわる顛末が興味深かった。

加古川本蔵は桃井若狭之助の家老で、
短気な殿を慮って高師直(吉良上野介)に賄賂を届け
主君の刃傷を未然に防いだ。

更には塩冶判官(浅野内匠頭)が刃傷に及んだ時に
後ろから抱え大事を防いだ男だ。
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判官と本蔵の因縁はこれだけではない。

本蔵の娘、小浪と由良之助の長男、力弥は婚約していたのである。

本蔵の母は小浪を嫁にやる為、
雪の降る中、山科の大星の閑居を訪ねた。

ところが、大星の妻、お石は
主君の刃傷の一件から、結婚を承知しない。

このように忠臣蔵は男の世界だけではなく
女の因縁話が重要な鍵を握っている。

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by shige_keura | 2016-12-27 11:06 | | Comments(0)
クリスマス ワンダーランド
12月20日、渋谷、東急シアター・オーブで
一足早いクリスマス気分を味わった。
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クリスマスにまつわる歌はどれもが美しく楽しく
子供の頃の時代へと呼び返してくれる。
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クリスマスの歌は嫌いだと言う人は
まずお目にかかったことがない。

アメリカではクリスマスの季節が近づくと
各地でクリスマス・ソングを主役に
様々なミュージカル、ショーが繰り広げられてきた。
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始まりは1933年ニューヨークのラジオシティで行われた
「ラジオ・シティ・クリスマス・スペクタキュラ―」であり、
今や冬の風物詩となっているが
そのほかの各地でも様々なショーが上演されている。

今回のシアター・オーブは
「ブロードウエー・クリスマス・ワンダーランド」の日本初演である。
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ステンドグラスが輝くクリスマスタウン、
氷と雪の世界、巨大なクリスマスツリーにサンタクロース、
そしてスケートリンクの華麗な舞等々が
おなじみのクリスマス・ソングに乗って夢の世界へと誘ってくれる。
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流れる調べは「赤鼻のトナカイ」「ウインターワンダーランド」
「ブルークリスマス」「サンタが街にやってくる」「聖夜」「ジングルベル」等、
新しいところでは1994年マライア・キャリーの
「恋人たちのクリスマス」も登場する。
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そして定番の「ホワイトクリスマス」が
観客とのハーモニーで会場いっぱいに流れる。

今年は政治経済、自然環境、「まさか、まさか」の連続だった。
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この日の歌が世界を平和に導いてくれると良いと願いつつ
一時のクリスマス気分を満喫した。
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by shige_keura | 2016-12-25 13:40 | | Comments(0)
「春の小川」逝く
黒柳徹子さんに「春の小川」と評されていたアナウンサー、
司会者の小川宏さんが11月29日亡くなられた。

享年90歳、慎んでお悔やみ申し上げます。

「春の小川」とは言いえて妙、
小川さんの穏やかな雰囲気、
優しい笑顔で親しみ深く語りかける話術は
春の陽を受けて静かに流れる小川そのものだった。

          (「ジェスシャー」のレギュラー、
           小川さんを挟んで柳屋金梧楼さんと水の江滝子さん)
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小川さんは民放の朝のワイドショーの顔として長らく務めておられたが
私にとっての彼はNHK人気番組「ジェスチャー」の名司会者である。

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by shige_keura | 2016-12-09 09:22 | | Comments(0)
「藪の中」が生んだ傑作
ここは京王線「多磨霊園駅」から
徒歩5分ほどの所にある聖将山「東郷寺」。
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枝垂桜の大樹の背後に
威風堂々の山門がそびえている。
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開基は1940年と新しく、
聖将山との山号がユニークこの上もない。
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聖将に東郷と言えば、日露戦争を勝利に導いた
東郷平八郎元帥が先ず頭に浮かぶ。

「その通り!」
ここは元はと言えば東郷平八郎の別荘の跡地なのだ。

「東郷寺」は彼の死後、
元帥を慕う人たちによって建てられた日蓮宗の寺なのだ。

原宿に東郷神社、郊外に東郷寺なのだから
東郷平八郎は稀有の存在だったのだ。

さて、この寺の山門が有名になったのは
黒澤明1950年製作の傑作、
「羅生門」のモデルになったと巷間伝えられているが、
果たして本当なのだろうか?

                (映画「羅生門」のセット)
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映画に出てくる羅生門は2階建て、
一方の東郷寺の山門は似ているとは言え2階は無い。
               (「東郷寺」の山門)
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映画の原作である芥川龍之介の「羅生門」は
朱雀大路にあった平安京正門の「羅城門」に由来している。

平安京の羅城門は跡地に石碑を残すだけだが、
復元図が当時の姿を今に伝えている。
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黒澤明は「東郷寺」山門の存在は知っていたとはいえ
実際の映画でセットとして組み立てたものは
あくまでも「羅城門」をモデルとしたものだと思う。

何故ならば、復元図と映画の羅生門は瓜二つとまで似ているからだ。

映画の「羅生門」は1950年製作、
原作は芥川龍之介の「羅生門」と「藪の中」を組み合わせたものにしている。

監督・黒澤明、脚本・橋本忍、音楽・早坂文雄、撮影・宮川一夫、
そして主演の一人が三船敏郎ならば東宝作品である筈だ。

ところが、この映画の製作・配給は大映である。

偶々、映画化の話が起きたとき、東宝は深刻な労働争議に突入、
黒澤明は退社してフリーとなったので
橋本忍と脚本を練り上げ大映に持ち込んだのだ。

当時の大映社長はワンマンで「ラッパ」の異名を取っていた永田雅一、
当初、映画化には全く乗り気ではなかった。

しかも、黒澤明が予算無視して金をつぎ込み
桁外れなセットを組んだことで腹を立てていた。

何しろ、山門の大きさが間口33メートル、奥行き22メートル、高さ20メートル、
資料に残されていた「羅城門」のサイズとほぼ同じものを作ったのだ。
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周囲1.2メートルの巨材18本を使い、
延暦17年と彫り込んだ屋根瓦を
4,000枚作らせてしまったのだから凝りようは尋常ではない。

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by shige_keura | 2016-12-06 10:18 | | Comments(0)
空の玄関口の映像祭
2012年から行われている「蒲田映画祭」の一環として、
今回、「蒲田映像フェスティバル」が、
東京の空の玄関として発展し続けている
羽田国際空港ターミナルで行われた。

「蒲田映像祭」が何故羽田で行われるのか?

これに対する答えは以下の通りだ。

映像の原点とも言える映画の聖地が
蒲田であることは衆目一致している。

その蒲田から驚くべき進化を遂げている映像は
瞬時に世界を飛び回っている。

従って、「蒲田映像祭」のお披露目として
国際色豊かな羽田国際空港は絶好の開催地なのである。
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2012年から始まった「蒲田映画祭」のお客様は主に大田区民。

映画祭の目的は、かつて栄華と共に発展した
「キネマの天地・蒲田」を、お客様と主催者が共有することで
街の活性化を進めていくことにある。
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それが、今回は蒲田だけでなく、
蒲田から飛び出して大田区の要所である羽田から全国に、
そして海外に主に映像を通じて、
日本の美・技・心を伝えることを意図した壮大な仕掛けである。

開催は11月2,3の両日。
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オープニングプログラムは伊勢神宮の式年遷宮を中心に据えて
太古の昔から森や海、川と共生を続けてきた
日本人の心に迫ったドキュメンタリー映像「うみ やま あひだ」。
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写真家である宮澤正明氏の手によって描き出された画面は
あくまでも美しく厳かで観る者の胸を打つ。
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2日目は若き工学院学生たちによるアニメとコスプレで幕が開いた。

授業の一環として行われたイベントは浮ついたところはどこにも無い。

思い思いの役に扮した舞台上のコスプレの熱演、
それを熱心に食い入るように見つめていた学生たちの姿、
共に印象深いものがあった。
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牧野健太郎氏による浮世絵の拡大図を使っての説明はユニークこの上もない。

浮世絵原画では見過ごしてしまう細部に打つ出されているもの。
それは当時の江戸庶民の背伸びはせずともお互いに思いやり、
人情に満ち溢れ、生き生きとした日常生活である。

スイス人ファミリー6人組による
外国人の視点で描かれた映像には
我々、日本人が、ともすれば忘れがちな日本の良さが一杯につまっていた。

好奇心と行動力に溢れたスイス人家族は
日本人の忘れ物を心優しくも届けてくれたのである。

最後を飾ったのは人気現代墨絵アーティスト、
茂本ヒデキチ氏のトークショーと墨絵のライブイベント。
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所要時間は僅かの20分。

真っ白な紙に筆に含ませた墨を散らすことでパフォーマンスが始まった。
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開始2、3分を過ぎたころ、
何が現れてくるのか?? 全く見当がつかない。
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ほどなくして、何やら馬のような、
ペガサスとも連想させる形が描かれてきた。
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15分ほどで、騎馬侍の雄姿が徐々に浮かび上がってきた。
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イベントが行われた羽田の江戸舞台に相応しく、
戦国の騎馬武将が見事に登場!!

手練の技が観客を魅了した。
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ヒデキチさんは言う。
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「筆が動いている間が作品であり完成したものは私にとっては作品ではない」。

含蓄のある言葉だが、それが真に腑に落ちたライブイベントであった。
               (スイスファミリーも墨絵に魅了)
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会場の外では昔懐かしい「縁台将棋」。

そこでは、老いも若きも街の将棋自慢が
島九段をはじめとするプロの棋士相手に
一世一代の名人戦を繰り広げていた。

国際空港に、かつての日本人がこよなく愛した人間の繋がり、
縁台将棋を取り入れたユニーク溢れる趣向である。
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秋晴れの両日、羽田を発着する飛行機の数々、
今回のイベントが少しでも羽に乗って様々な場所に運んでくれることを望む。

日本人は自分たちが持つ歴史の深さ、
心の清らかさ、匠の技を決して忘れてはいけない。
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                (映画「うみ やま あひだ」の一場面)
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by shige_keura | 2016-11-11 14:20 | | Comments(0)
開場50周年
歌舞伎公演の基本に立ち返り、
通し狂言による上演を基本との理念のもとに
国立劇場が設立されたのは昭和41年(1966年)の事だった。
           (完成間近のころの国立劇場、まだ都電が走ってる)
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開場公演の「菅原伝授手習鑑」に際して
祈念切手が発売されたことに期待の高まりが見て取れる。
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以来、今年の11月で満50年、
歌舞伎公演300回を迎えたた節目に
10月から3か月通しで行われている公演が人気演目の「仮名手本忠臣蔵」である。
                (11月5日、秋晴れの国立劇場)
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「仮名手本忠臣蔵」の初演は寛永元年(1748年)に遡るが、
いずれの時代も歌舞伎の人気演目としての不動の位置を保ち続けている。
              (国立劇場開場20周年の時の「仮名手本忠臣蔵」)
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実際の松の廊下の刃傷沙汰から
赤穂浪士の討ち入りが起こったのが1701年~1702年の事だから
初演は事件後46年の事となる。

従って、お芝居は時代も足利時代に置き換え、
人物の名前も変えざるを得なかった。

更に、討ち入りの浪士の数、四十七士を
「いろは四十七文字」に見立てたことで「仮名手本」のタイトルがつけられた。

記念三か月公演の上演時間を合計すると
15時間以上に達する超大作である。

今回の11月は5段目から7段目、
お軽・勘平の道行と不思議な因縁、
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そして四十七士を率いる由良之助が一力茶屋で見せる
放蕩と見せかけた振る舞いが見せ場となっている。
                (7段目・祇園一力茶屋)
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今まで断片的にしか知らなかったお芝居の中身が
漸くつながりとして捉えられたことが
興味深く観られた大きな要素となった。

主君の仇討に向かうお話を縦糸とし、
それにまつわるいくつかのエピソードが
いわば横糸として巧みに、緻密に張り巡らされていることに驚いた。
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尾上菊五郎、中村吉右衛門以下、尾上菊之助、
尾上松緑、中村錦之助、中村雀右衛門、等々の豪華出演。

なかでは、お軽の兄、寺岡平右衛門に扮した
中村又五郎の硬軟取り混ぜた熱演、
そして、お軽に横恋慕する鷺坂伴内に扮して
滑稽味を醸し出す坂東亀三郎が印象的だった。

とりわけ中村又五郎の芸域に幅が出たことは
驚きでもあり今後の楽しみにもなった。
             (先代・又五郎の「剣客商売」秋山小兵衛)
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先代又五郎は痩身小柄ながら存在感は抜群であり、
池波正太郎が偶然に出会った時に
人気シリーズ「剣客商売」の秋山小兵衛をイメージしたと
度々随筆に著していた。
             (池波正太郎氏が描いた秋山兵衛)
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一方の当代・又五郎は小太りで小柄、
同じ池波正太郎の人気シリーズ
「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵にぴたりとはまる役者だと感じた。
             (右・中村吉右衛門・当代鬼平、左・当代・中村又五郎)
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             (池波正太郎氏描くように長谷川平蔵は小柄で小太りの男)
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話が若干横道にそれたが、12月の幸四郎の由良之助が楽しみだ。
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by shige_keura | 2016-11-07 08:55 | | Comments(0)
85歳の奇跡
1982年、「ファイヤ- フォックス」、
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当時の東西冷戦化を背景にマッハ5の性能を持つ
ジェット戦闘機の迫力を如何なく描き出した時が52歳。

2000年の「スペース・カウボーイ」では
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現役を引退した年寄り4人組の宇宙への再挑戦を
夢とロマンをたっぷりと盛り込み観客を魅了したのが60歳のとき。

そして85歳を迎えた今、
三度び空をテーマとした傑作を生み出したのがクリント・イーストウッドである。
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実話をもとにした「ハドソン川の奇跡」は
タイトル通り航空機史上の奇跡であるとともに
年老いた監督の映画への情熱が生み出した奇跡の大傑作だ。

クリント・イーストウッドは
当初しがないテレビ西部劇の俳優だった。
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               (テレビ西部劇「ローハイド」
                左・イーストウッド、右・エリック・フレミング)
その後、マカロニウエスタンの顔として
その存在を世に知らしめた。
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従って監督としてのデビューは遅咲きとは言え
2000年以降に生み出した傑作群は
彼の非凡な才能と共に常にフレッシュな感性を強く印象づけてきた。

例えば、2004年の「ミリオンダラー・ベイビー」は
人間の死に対して冷徹で客観的な結論を下している。

2008年の「グラントリノ」では人種問題を通じて
老人の覚悟が潔く語られた。

2009年、「インビクタス/負けざる者たち」は
南ア初の黒人大統領の決意をラグビーを通じて
痛快に爽やかに伝える娯楽作品である。

その後、2014年には「アメリカンスナイパー」と
「ジャージーボーイズ」と言う好対照の傑作を送り出した。

一方は中東の戦場に送り出された狙撃手の
心の葛藤を描く社会的作品であり、
他方は彼が得意とする音楽分野の娯楽作であった。

イーストウッドに対して驚くのはクランクインから
アップまでのスピードの速さであること。

そして彼の作った映像からは
何のてらいもない映画に対しての素直さがはっきりと窺える。

これが、今までの巨匠たちとは大きく違うところだ。

アメリカの巨匠、アカデミー賞を5回獲得したジョン・フォードでも
62歳の時に作った「捜索者」を最後に切れ味、枯淡の味共に失われていった。

英国生まれでハリウッドで大活躍したアルフレッド・ヒッチコックは
61歳の時に生み出した「サイコ」が彼らしい最後の作品となった。

日本を見ても、大傑作「七人の侍」を世に送った黒澤明でさへ、
70歳の「影武者」、「乱」は冗長で独りよがりの色濃く、
巨匠老いたりの感が強い。

「ハドソン川の奇跡」、実話を真正面に捉え、
力むことなくわずか1時間30分余で観客を酔わせるイーストウッド、
とても85歳の老境に差し掛かった男の作品とは思えない。

これは「85歳の奇跡」として
映画史に残る娯楽作品の見本と言えよう。

こういう作品は、最後の最後まできちんと見よう。

そこに登場するのは実際のサリー、
瞬時の判断で大惨事を未然に防ぎ犠牲者を一人も出さなかった機長である。
c0135543_17574841.jpg

               (左より、副長役のジェフ・スカイルズ、実際のサリー、
                クリント・イーストウッド、トム・ハンクス、機長役)
この飛行機には当時二人の日本人が搭乗していた。

機長と一緒の救命ボートに乗った一人はこう語っている。

「救助が完了して陸に上がった時の機長から興奮の色は何も感じなかった。
 これで任務完了、帰りに一杯飲んで帰るかというような余裕さへ感じた」。

サリーを演じたトム・ハンクスも見事な役者として引き付けたが、
実際のサリーは、わずかな登場の中で
英雄とは何たるかを教えてくれた。

クリント・イーストウッド、
次はどのようなテーマで観客を楽しませてくるのであろうか。
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by shige_keura | 2016-11-01 09:21 | | Comments(0)
遥かなる昭和・本物のタレント群像 -7-
1974年と言えば戦後そろそろ30年に差し掛かる頃の12月6日、
場所は東京武道館で超満員の観客を集めた
伝説のコンサートが開かれた。

このときの16,000人を数えた観客の盛り上がりは
1966年のビートルズ初来日コンサート以来であると伝えられている。

名付けて、「中年御三家 ノーリターン・コンサート」、
熱狂的なファンをそれぞれに集めていた
小沢昭一(当時45歳)、野坂昭如(44歳)、永六輔(41歳)、
司会進行役を務めたのが愛川欣也(40歳)と中山千夏(26歳)だった。

小沢昭一さんは小生の中学・高校の大先輩、
今から思えば何としてもこのイベントは見逃すべきではなかった。

とにもかくにも言葉の達人をこれほど揃えたコンサートは
空前絶後と言うべきに違いない。

今となっては当時の模様を録音でしか知ることはできないのだが、
それだけでも十分に当時の盛り上がりを窺えることが出来る。
c0135543_20521892.jpg

司会者の滑稽な紹介でひとりずつ舞台に登場し、喋りと歌を披露する。

当時、浅田飴のコマーシャルをしていた永六輔。

「遠くに行こうと行けまいと、お経を詠もうと詠めまいと、
 咳・声・喉に浅田飴、赤坂珉珉会長(その筋に有名なチャーメン屋)、
 浅田飴で鍛えた喉の持ち主、永六輔」の紹介で登場。

あとは独特の口調で場内を沸かせる。

どうぞ永さんの顔と喋りを思い出しながら読んでいただきたい。
c0135543_20525493.jpg

「後ろに3人の写真がありますよね。
 海軍兵学校で戦争に参加した小沢さん、
 学徒出陣寸前の野坂さん、
 焼け跡にコスモスが咲く中、飢えと戦った私、
 それぞれ2歳ずつ違うのね。

 育った環境が違うから、僕の顔には厳しさがないけれど、
 ・・・女性をくすぐる甘さがありますよね・・・・・」。

当時、サンヨー・レインコートの
テレビ・コマーシャルに出演していたのが野坂昭如。
c0135543_20541237.jpg

「雨が降ろうが降るまいが・・・・外はいつでもサンヨー・レインコート、
 浮浪児出身、感化院卒、四畳半襖張替業」の紹介で登場した野坂さんは
例の早口ながら訥々と語る。

「我々御三家に優る歌手は居ないわけで、
 今年の十大ニュースなんだ、きっと。
 今日は酒を一切飲まず、歌詞を見ることなく独りでやります。
 トム・ジョーンズと一緒にってオファーがあるって聞いたんだけど、
 あんなドサ周りと一緒にはごめんだね」。

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by shige_keura | 2016-07-31 11:06 | | Comments(0)



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