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カテゴリ:観( 301 )
ぶらり人形町 -小春の次は小菊に千鶴
人形町1丁目、人形町通りから日本橋小学校までの間に
わずか100メートルほどの小路がある。
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車はおろか自転車で通るのも難儀するような通り、
人との擦れ違いもお互いに半身にならなければ
ぶつかってしまうほどの細い道である。

「小菊通り」、頭に浮かんだのは花か?ご婦人か?、
名前に相応しい魅力的な通りである。

この通りが希少価値であるところは
関東大震災、そして大戦の爆撃の被害を免れているので
昔ながらの香りが立ち込めている。

両側には今にも三味線の音色が
流れてくるのに相応しい小料理屋が並んでいる。

その中の代表格が昭和2年創業の
「よし梅」本店と「よし梅 芳町亭」である。
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ここの名物は関東で古くから庶民の味として親しまれた「ねぎま鍋」である。
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ただ、庶民の味であったのは昔の話で
現在は、この「よし梅」で食べると
お酒を入れなくても1万円は覚悟しなければいけない。
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そのほか、季節のお任せ料理で
知る人ぞ知る存在の「きく家」をはじめ、
「いわ瀬」、「高はし」等々、
味とお酒にうるさい人には堪らぬ店構えが続いている。

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by shige_keura | 2016-02-02 10:41 | | Comments(0)
ぶらり人形町 -小春に想うこと-
家を飛び出したのが11時過ぎ、
この分では人形町到着のころは自分時、
どの店も混みあっているに違いない。

沢山良い店はあるだろうが、
どの店に入ったらよいか?とんと見当がつかず、
まごまごするのが目に見えている。

そこで何と、恵比寿のドトールでサンドウィッチとコーヒー、
何とも味気ない昼食で片付け出かけたのが失敗の基だった。

日比谷線の階段を上がって小網神社に向かう途中に
目に入ったのが洋食屋「小春軒」の看板である。
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レストランの開業は明治45年、
当時、山形有朋のお抱え料理人であった
小島種三郎氏が独立開業したものだ。

店の名前は小島さんが結婚した相手が「春さん」であったことで
自分の小島の「小」の字と春を合わせて「小春軒」とした。

亭主が妻に惚れ込んだ気持ちが店の名前になった。
               (奥の白塀、「玉ひで」よりずっと旨そうだ)
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メニューを見ると「メンチカツ」800円と極めて良心的、
こんなことならと、悔やんでも後の祭りとはこのことだ。
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一番そそられたのが「牡蠣のバタ焼」、1,300円、
牡蠣の季節のうちにもう一度人形町を訪れよう。
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by shige_keura | 2016-02-01 09:40 | | Comments(0)
ぶらり人形町 -朝昼晩三千両の落ち処-
東京の地下鉄網の発達は目覚ましく、
今や、どの線がどのような経路で走っているのか分からなくなってきた。

更に乗り換えで思いのほか歩かされたり、
地上に出るまで場所の見当がつかず、
まごつかれた方も多いのではないだろうか。

ほかならぬ私も何度か慌てた経験がある。

数ある地下鉄経路、路線あるなかで
私には通学、通勤で使っていた日比谷線が親しみぶかいものがある。

1961年に開通した日比谷線、
中目黒から北千住までの各駅名を見るだけで
昔の江戸・東京の情景が浮かび上がってくる。

中でも、築地から北千住に向かう四つの駅は、
まさに江戸の下町、武士、商人、町人等
江戸庶民の生き生きとした市井の表情が浮かび上がってくる。

その四つの駅とは、「八丁堀」「茅場町」「人形町」「小伝馬町」なのだが、
今日はふと思い立って「人形町」をぶらぶらすることとした。
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江戸の町の造成は徳川家康の江戸下向(天正18、1590年)に端を発する。

当時、江戸城の在る台地の東側にあった広大な干潟の埋め立てを
江戸の発展のための一大事業とした。

江戸城の在る台地の下の町、
これが下町の所以となったのである。

埋め立ては30年以上もの大工事となり
今の浅草から日本橋北部、浜町から新橋までの埋め立てが進み、
その過程で人形町が歴史上初めて登場してきたのである。

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by shige_keura | 2016-01-30 10:46 | | Comments(0)
郷愁のスパイ映画 -後編-
21世紀のナポレオン・ソロとイリヤ・クリヤキン、
彼らの活躍や如何に。

今回の映画化に当たり、
製作会社は思い切った定石破りの手法を試みた。

それは主人公の活躍した時代を
かつての東西冷戦下に巻き戻したのである。

「007」、「ミッション・インポッシブル」等の新作は
時代に合わせて秘密兵器、ハイテク装備、自動車等の小道具を進化させている。
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つまり、ショーン・コネリーの初代ボンドが
登場した背景にあるのが東西冷戦、
緊張を背景としながらもボンドにはある種のゆとりが見えた。

一方、当代007・ダニエル・クレイグは
多様化、混迷化を深める現代を背景に
傷だらけになって働きに働くワーカホリックと化している。
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「コードネーム U.N.C.L.E」は
私の懐かしい青春時代にタイムスリップさせてくれた。

映画のソロはアメリカ・CIA、相棒のイリヤはソ連のK.G.B所属、
本来ならば宿敵同士である。

しかし、世界を破滅へと追い込む核兵器製造ノウハウ流出を防ぐべく、
二人は相手を胡散臭く思いながらも
U.N.C.L.Eの指令で腕を携えて行動する。
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尚、U.N.C.L.Eとは正式名称が
United Network Command for Law and Enforcement,
本部をニューヨークの国連本部のそばに置く、
悪の組織を成敗する法執行機関で
米・ソをはじめ当時の世界主要国が加盟している。

言っておくが、これは架空の組織である。

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by shige_keura | 2016-01-20 08:47 | | Comments(0)
郷愁のスパイ映画 -前篇-
ここは目黒駅そばにある小さな映画館、「目黒シネマ」、
定員100名ほどの場内はご同輩、若者で超満員だ。

「いいねー!昔の映画館みたいだぜ」。

映画の冒頭に1960年初期の世界情勢を表す
フィルムがカットバックで流れる。
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そこに登場するのは、20世紀生まれ、初のアメリカ大統領、
ジョン・F・ケネディの爽やかさと若さのダイナミズム、
続いては共産国家の領袖ソ連(現・ロシア)を率いる
老獪にして貫禄十分なニキータ・フルシチョフである。
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アメリカとソ連、自由主義と共産主義、
そこには「東西冷戦」の言葉が織りなした
一触即発の緊張感が世界に漂っていた。

その緊張が頂点に達したのが
1962年に勃発した「キューバ危機」だったと思う。

当時高校生の私ですら、
これは核兵器を交えた最悪のシナリオ、
「第三次世界大戦」突入の恐怖がよぎった。
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幸いにして危機は免れ、
その後ソ連改革後に東西冷戦は終結するのだが、
この緊迫の世界情勢が生んだのが
本日観た映画、「コードネーム U.N.C.L.E」である。
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by shige_keura | 2016-01-18 16:46 | | Comments(0)
ブロードウエイが運ぶ青春の女神
1月11日の成人の日、渋谷ヒカリエの「シアター・オーブ」で鑑賞したのが
”NEW YEAR’S MUSICAL CONCERT 2016“である。
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今日の相方は成人式まではまだまだ程遠い孫、
まことに奇妙な取り合わせ,
”THE ODD COUPLE“の誕生である。

カップル誕生の背景は省くが、
二人の共通点は何と言っても映画、
ならば本日の公演は誠に楽しみである。

何故ならば、公演でカバーするナンバーは
ミュージカルファンならば知らない人はいない、
ロジャーズ&ハマースタイン、レナード・バーンスタイン、
コール・ポーター、アーヴィング・バーリン等。

一世を風靡した音楽界の大御所たちの傑作を
ブロードウエイをはじめ、ウエストエンド、パリで活躍する
5人の男女が次々と歌いまくるという
贅沢極まりない趣向であるからだ。
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男性が3人、「オペラ座の怪人」のファントム役2,000回を超え
最多出演を誇るハワード・マクギリン、
「ノートルダム・ド・パリ」の主役、カジモトを
ライフワークとして活躍しているマット・ローラン、
そして「レ・ミゼラブル」の主役・ジャン・バルジャンを
英語とフランス語でこなせる稀有の存在ロベール・マリアン。

               (左から、ロベール・マリアン、レイチェル・タッカー、
                ハワード・マクギリン、ローラ・オズネス、マット・ローラン)
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女性は二人、まずは2009年「南太平洋」の主役でデビューし
世間をアッと言わせたミネソタのヤンキーギャル、ローラ・オズネス、
アイルランド出身のレイチェル・タッカーは
「アイ・ウイル・ロック・ユー」、「ウイキッド」等で活躍の実力派女優である。

公演は9日から本11日までのわずか3日間、
大入り満員の場内は開演前から熱気が渦巻いている。

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by shige_keura | 2016-01-16 18:55 | | Comments(0)
大女優についての「ちょっとした」考察
11月25日、新聞紙上に一斉に報じられたのが
「伝説の大女優・原節子逝く」だった。
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彼女は「東京物語」「麦秋」「晩秋」等で
日本を代表する女優となっていった。

ただ、原節子が大女優としての地位を築くのは、
映画界からの早すぎる引退、謎に包まれた私生活等、
その神秘的な側面が後押ししたといって良いと思う。

謎のベールに覆われた大女優、
その意味では西のグレタ・ガルボと並び称される存在だった。

グレタ・ガルボ(1905~1990)はスウェーデン生れ、
トーキー映画初期のハリウッドを代表する女優である。
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彼女は1924年本国で女優としてのデビューを飾ったが、
それを目にとめたハリウッド大手、MGMの誘いでアメリカに渡った。

1926年、第3作目「肉体の悪魔」で
ガルボの名前は全米中に知られMGMの看板スターとなっていった。

「ガルボが話す!」。

これは彼女が1930年に初めて出演したトーキー映画、
「アンナ・クリスティ」の宣伝文句であり、彼女は全米を代表する女優となった。

ところが1941年、彼女35歳の円熟を迎えた時、
突如、映画界から引退した。

以降、多くのファンからの復帰を望む声にも耳を貸さず
二度とスクリーンに顔を見せることはなかった。

彼女はこの世を去る1990年までのほぼ半世紀の間、結婚もせず、
公の場所にはほとんど姿を見せなかったと言われているが、
実際は少し違っているようだ。

ガルボは1951年アメリカの市民権を得て
マンハッタンで独り暮らしをしていく。

その間、例えば1963年には
ホワイトハウス公式晩餐会の招待に応じ出席した。

その時の印象をケネディ元大統領夫人である
ジャクリーンは次のように話している。

「彼女はとても魅力的でユーモアに溢れる女性だったわ」。
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ガルボが世間に背を向けているとの噂は
マスコミが彼女に、ことさら神秘的なベールをまとわせようとした
意図的なものであったようである。

ただ確かなことはガルボ自身、
映画、映画界を好ましく思っていないことが
引退理由だったということである。

彼女は死ぬ4年前にスウェーデンの某伝記作家にこう語った。

「私はハリウッドに疲れてしまったの。
 仕事も好きになれなかったし撮影現場に行くのが辛かった。
 私は全く別の人生を送りたいと思っただけ」。

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by shige_keura | 2015-12-30 16:57 | | Comments(0)
怪談の怪
今日のお話のきっかけとなったのは
先日観劇した「東海道四谷怪談」である。

四谷怪談の基を辿れば、
元禄時代に起きたある事件を基に創作されたお話で、
そこから多くのバリエーションが生まれているとのことだ。

中でも有名なのが三遊亭圓朝の落語と
鶴屋南北の「東海道四谷怪談」となる。

ここで、よく分からないことが二つ出てくる。

ひとつは、元禄時代に起きたある事件とは何か?ということと、
もうひとつは、事件の発生場所は一体全体どこか?

この二点である。

四谷というとすぐに新宿区の四谷を思い浮かべてしまうが
怪談の発生は、江戸時代の雑司ヶ谷町にあった
四谷(現在の豊島区雑司が谷)が舞台であるとの説が定着している。

ところが、鶴屋南北の歌舞伎狂言の中には
四谷左門の名前のお武家が登場してくる。

四谷左門とは言えば
すぐに連想するのが新宿区・四谷左門町となる。

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by shige_keura | 2015-12-18 09:39 | | Comments(0)
白眉の舞台
12月5日、見上げる空は雲ひとつない
冬晴れの日の国立劇場前である。
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今日の演目は「番町皿屋敷」、「牡丹灯籠」と並ぶ
日本怪談三大噺のひとつ「四谷怪談」である。
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「怪談は夏と決まっているだろう!
 なんで、わざわざ真冬のこの時期に??」。

こんな声が聞こえてきそうであるが、
これには訳がある。

作者の江戸時代の著名な歌舞伎狂言作者,鶴屋南北は
このお話しを12月に起こった大事件と関わり合いを持たせ,
歌舞伎としての演題を「東海道四谷怪談」としている。
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それでは、鶴屋南北が取り上げた12月に起きた大事件とは何だろうか?

それは、本日の国立劇場内に、
その趣向が取り入れられている。

舞台に向かって客席の両側の壁の模様が
いつもと違って雁木に描かれている。
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更には劇場内では、このようなお土産の飴まで売られている。
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12月~雁木模様~本懐とくれば、
これは「忠臣蔵」に決まっている。

雁木模様は主君の仇を討つために討ち入った
四十七士の装束に描かれているお馴染みのものだ。
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南北が書き上げた狂言が最初に演ぜられた文政8年(1825)、
場所は江戸の中村座なのだが、
その時、お芝居は「仮名手本忠臣蔵」と合わせて2日がかりで行われた。

具体的には1日目が忠臣蔵の6段目までと四谷怪談の3幕目まで、
2日目が忠臣蔵の7段目以降、四谷怪談の3幕目以降、
そして、大詰めの四十七士の討ち入りと繋がっていく。

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by shige_keura | 2015-12-15 07:42 | | Comments(0)
天才プラス努力
私が天才だと思っている男が
本人いわく「血のにじむような努力」を重ねた結果が
見事なまでに結実したのが羽生結弦選手。

先日の長野で行われたアイススケート、
NHK選手権の演技だった。

アイススケートに対して専門的な知識を持たない小生が
批評できるとは思えないが、
これまでの羽生選手の最高演技は
2014年3月ソチ五輪のショート・プログラム「パリの散歩道」だと思っていた。

この時、彼の演技が公式記録世界最高の101.45点の評価を得た。

今回のNHKで彼のショート・プログラムは
ソチを更新する106.33、世界最高記録を得た。

しかしながら、私には点数は劣っても
ソチの「パリの散歩道」の方が出来としては良く思えた。

しかし、翌日のフリーの演技「陰陽師」は
驚愕以外のなにものではない。

フリーとして史上初めて200点台の216.87の評価を得た。

その結果、総合点は今までの世界最高である
パトリック・チャン選手の295.27を大きく上回る322.40点を叩き出した。

解説者としてリンク脇にいた織田、鈴木両選手共に
しばらくは開いた口がふさがらなかったとのコメントが
両者の正直な気持ちを良く表している。

このとき、家内とともにテレビで観戦していたのだが、
二人ともに異口同音に口に出したのが、
かつてのハリウッドで活躍したミュージカル・ダンサーだった。

「フレッド・アステアを思わせるよね」。
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フレッド・アステアとはハリウッドミュージカル史上最高の踊り手、
高潔な人柄と相まって、ダンスの神様と称されている。

羽生選手とフレッド・アステアの共通点は
何気ない動作、仕草、そして立ち姿、
どれをとっても様になっていることである。

動かなくても、その指先には、ほかの選手、ダンサーにはない
美しさ、エレガンスをたたえていることである。

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by shige_keura | 2015-12-11 14:22 | | Comments(0)



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