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カテゴリ:観( 307 )
奇跡の人逝く
1962年、「奇跡の人」でアカデミー助演女優賞を得たパティ・デュークが亡くなった。
享年70歳、慎んでお悔やみを申し上げます。
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「奇跡の人」は生後2歳の時の病気がもとで
目が見えず、音が聞こえず、言葉も喋れない、
三重苦を背負いながらも教育家、社会福祉活動家として
世界的に知られたヘレン・ケラーの子供時代を描いた作品だ。

「奇跡の人」のオリジナルタイトルは”The Miracle Worker“。
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このタイトルが示すように、作品の主人公はヘレン・ケラーというよりも、
粘り強く彼女の面倒を見た家庭教師のアニー・サリバンである。

この映画は監督賞のほかに、二つの女優賞を獲得するが、
主演女優賞はアニー・サリバンを演じたアン・バンクロフトが獲得し
ヘレン・ケラーを演じた当時16歳のパティ・デュークは助演女優賞を得た。
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この作品は地味な映画ではあるが
絶望の淵で荒れ狂う一人の少女と
強い信念を持って更生に導く家庭教師の関係が
赤裸々に語られていく迫真のドラマだった。

特に井戸の水を手で受けたヘレン・ケラーが
”water”と叫ぶ場面は観る人すべてに大きな感動を与えた。
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ヘレン・ケラーを演じたパティ・デュークは1946年の生まれ、
父がアルコール依存症、母が鬱病と不幸な子供時代を送った。

のちに8歳の時に里子に出されるが、
そこで子役としての才能が見いだされ
1959年、13歳の時にブロードウエイの舞台で
”The Miracle Worker“のヘレン・ケラーを演じ大きな注目を集めた。

恐らく、パティ・デュークが幼いころに経験した不遇が
ヘレン・ケラーを演じるに大きなプラス材料として働いたのだと思う。

舞台劇のヒットを受けて1962年に映画化されたときに
彼女は16歳にしてアカデミー助演女優賞を獲得した。

これは、その後テータム・オニール(10歳で助演賞獲得)に破られるまで
最年少アカデミー賞獲得記録だった。

その後、パティ・デュークは1979年のときにテレビ映画でリメイクされた
”The Miracle Worker“で家庭教師役のアニー・サリバンを演じた。

従って、パティ・デュークこそ正真正銘の「奇跡の人」、
”The Miracle Worker”なのである。

彼女はテレビのヒットバラエティ「パティ・デュークショー」で日本にも紹介されるが、
二役を演じコメディ・タッチの番組から
ヘレン・ケラーの面影を見出すのは難しかった。
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ここで実在したヘレン・ケラーとアニー・サリバンを紹介しよう。

三重苦を抱えたヘレン・ケラーの両親は
当時、聴覚障害児の研究に当たっていた
グラハム・ベル(電話の発明者)に相談した。

その結果、家庭教師として派遣されたのが
自らも視覚に問題を抱えた経験があるアニー・サリバンだった。

彼女は自らの体験をもとに粘り強くヘレン・ケラーに接し
「しつけ」「指文字」を教え込みつつ彼女の口から言葉が発せられる努力を重ねた。
               (当時のヘレン・ケラーとアニー・サリバン)
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ヘレン・ケラーは後年、障害を克服し教育者としてなっていくが
その陰で、アニー・サリバンの50年にも及ぶ指導があったのである。

アニー・サリバンは1936年、ヘレン・ケラーに看取られ
70歳にしてこの世を去った。

又、ヘレン・ケラーは1968年88歳で天寿を全う、
その間、2度の来日を果たし、教育家福祉家としての講演を行った。
               (パティ・デュークとヘレン・ケラー)
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映画「奇跡の人」は今や、多くの人からは忘れ去られた存在となっているが、
現在の教育の在り方、躾の問題が取りざたされる中で、
もういちど多くの方々に観てもらいたい作品だと思う。
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by shige_keura | 2016-03-30 10:56 | | Comments(0)
区境の競馬場
東京23区内の面積最大を誇る大田区だが、
その昔は大森区と蒲田区に分かれていた。

合併したのは1947年になるが、
新たな区の名前の決定が紛糾し、
究極の妥協案である大森区の「大」と
蒲田区の「蒲」の字を貰って大田区となったと伝えられている。

2月13日快晴の日曜日、京急蒲田駅を出発し、
かつての区境を歩くユニークな町歩きに参加した。

2時間半ほどの行程の最後が池上線の
池上と蓮沼の中間点にかつて存在した
「池上競馬場」の跡地見学だった。
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「池上競馬場」の存続は僅か5年(1906~1910)、
跡地には区が設置した記念プレートがあるだけで
往時の面影は何処にも無い。
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しかしながら日本競馬史における
「池上競馬場」の存在は大変意義深いものがある。

その理由は二つある。

一つは、競馬場設立の後ろ盾となったのが、
日本初の競馬政府公認社団法人・「東京競馬会」があったということ。

もうひとつは、この競馬場で
日本人の経営によって初めて馬券が売られたということである。

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by shige_keura | 2016-02-28 17:34 | | Comments(0)
晩年の光り輝き
今評判の「ニューヨーク 眺めのいい部屋貸します」、
オリジナルタイトル、”5 Flights Up”を観た。

眺望は良いがエレベーターの無いアパート、
5階までの上り下りがしんどくなった夫婦が引っ越しを考える。

さー、そこからはアパート仲介業者、入居希望者、夫婦の転居先、
アメリカ社会のビジネス性、アメリカ人のメンタリティを絡めて話は進む。

進むといっても展開は淡々と流れる水のごとしであり
結末は大体推測できるのだ。

そうなると、退屈極まりない作品になりがちだが、
それを評判の作品に仕立て挙げているのが主役の二人。

ほぼ満員の場内、主演の二人、
モーガン・フリーマンとダイアン・キートン、プロの掛け合い、
流石の演技をじっくりと堪能している気配がひしひしと伝わってきた。

小川が音も立てずに静かに流れゆくかのような本作品のリズム、
それは名優・モーガン・フリーマンと初めて出会った映画
そのときの雰囲気と似通っている。

そして、その作品で私は人生の晩年にさしかかっているにも関わらず
燦然と光り輝く素晴らしい女優に出会った。
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映画は1989年製作の「ドライビング Miss デージー」、
女優の名前はジェシカ・タンディである。

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by shige_keura | 2016-02-23 21:09 | | Comments(0)
大東京の生命線
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2月11日、快晴の建国記念日、
有栖川公園の梅は7分咲き、メジロが盛んに蜜を吸っている。
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子供たちの嬌声が早春の風に乗って聞こえてくる中、
今日の目的地に向かって歩を進める。

中央図書館で行われている展示
「東京の鉄道史 -鉄道が描いた都市 東京-」、
とりわけ、現代アート「東京動脈」がお目当てである。

この作品は2007年、当時、東大大学院に所属していた
栗山貴嗣さんによるものである。

東京の営団地下鉄路線を
三次元で表したユニークな作品で、
9路線のチューブの中には、
それぞれのシンボルカラーで染められた水が
あたかも地下鉄車両のように動いている。
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子供のころに瓶で作った蟻の巣を思い出すような
三次元地下鉄路線を眺めてみると
高低差の際立ちに驚かされる。

その昔、技術が伴わなかった頃の地下鉄はあまり深くないので
低い土地、例えば「渋谷」「四谷」等
「谷」のところでは地下鉄が地上に顔を出すこととなってしまった。
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一方、掘削技術の進化に伴って、
近年開通した路線は地下深く潜んでいる。

網の目のような現代東京の地下鉄網、
題名が「東京動脈」と謳っている如く、
こうやって眺めるとまさに人体の血管だ。

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by shige_keura | 2016-02-19 09:03 | | Comments(0)
ぶらり人形町 -小網で大漁!-
今日の話は麻雀に関連していることなので、
ご存じない方には全く興味のない内容である。

ここ人形町界隈は「日本橋七福神」で代表されるように多くの神社がある。

その中のひとつが奇祭「どぶろく祭り」で有名な「小網神社」である。
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路地裏に佇む小さな神社だが
能舞台も備え格式を醸し出している。
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建立以来550年、長い歴史を誇る「小網神社」は
近年都内有数のパワースポット、
強運厄除と金運に絶対の御利益があるとして人気が高まっている。

又、ここは「日本橋七福神」の福禄寿を祀っている神社でもある。
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福禄寿とは福徳長寿の神、
すなわち幸福(しあわせ)・封禄(財産)・長寿(健康)の神様である。

おまけに、ここのお神酒には「強運」のラベルが力強く貼られてる。
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明日は本年初めての麻雀の日、
己の強運・勝利を願い、心を込めて神に祈りをささげた。

そのご利益は如何に。

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by shige_keura | 2016-02-05 08:56 | | Comments(0)
ぶらり人形町 -鯛は天然-
「鯛はなんてたって天然物よ!
 養殖なんて食えるもんかい!!」。
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誰もがその通りと言うだろうが、
今日の話は鯛は鯛でも「鯛焼き」のことである。

鯛焼きは庶民の大好物なので
昔から多くの鯛焼き屋が味を競い、
縁日でもお馴染みの人気商品、
最近はスーパーでもその姿を見かけることが出来る。
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鯛焼きの起源を辿ると今川焼から派生した説が最も有名である。

最初は鯛だけではなく
今川焼の作り方を真似て多くの動物を模した焼き菓子が作られた。

その中で、鯛焼きが人気になったのは、
縁起の良さと、庶民には手が届かない高級魚だったということになる。

今日では都内に数ある鯛焼き店、
誰が言うともなく「東京三大鯛焼き」との勲章を授かった店がある。

麻布十番に1909年から鯛焼きを売っている「浪花家総本家」、
自ら日本の鯛焼きの元祖と名乗っている。

しかしながら、1909年以前から鯛焼きのことは
新聞、雑誌も見かけられていることから誇大PRとなる。

残る二店が四谷の「わかば」、
そして1916年、ここ人形町に開いた「柳屋」となる。

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by shige_keura | 2016-02-03 08:56 | | Comments(0)
ぶらり人形町 -小春の次は小菊に千鶴
人形町1丁目、人形町通りから日本橋小学校までの間に
わずか100メートルほどの小路がある。
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車はおろか自転車で通るのも難儀するような通り、
人との擦れ違いもお互いに半身にならなければ
ぶつかってしまうほどの細い道である。

「小菊通り」、頭に浮かんだのは花か?ご婦人か?、
名前に相応しい魅力的な通りである。

この通りが希少価値であるところは
関東大震災、そして大戦の爆撃の被害を免れているので
昔ながらの香りが立ち込めている。

両側には今にも三味線の音色が
流れてくるのに相応しい小料理屋が並んでいる。

その中の代表格が昭和2年創業の
「よし梅」本店と「よし梅 芳町亭」である。
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ここの名物は関東で古くから庶民の味として親しまれた「ねぎま鍋」である。
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ただ、庶民の味であったのは昔の話で
現在は、この「よし梅」で食べると
お酒を入れなくても1万円は覚悟しなければいけない。
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そのほか、季節のお任せ料理で
知る人ぞ知る存在の「きく家」をはじめ、
「いわ瀬」、「高はし」等々、
味とお酒にうるさい人には堪らぬ店構えが続いている。

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by shige_keura | 2016-02-02 10:41 | | Comments(0)
ぶらり人形町 -小春に想うこと-
家を飛び出したのが11時過ぎ、
この分では人形町到着のころは自分時、
どの店も混みあっているに違いない。

沢山良い店はあるだろうが、
どの店に入ったらよいか?とんと見当がつかず、
まごまごするのが目に見えている。

そこで何と、恵比寿のドトールでサンドウィッチとコーヒー、
何とも味気ない昼食で片付け出かけたのが失敗の基だった。

日比谷線の階段を上がって小網神社に向かう途中に
目に入ったのが洋食屋「小春軒」の看板である。
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レストランの開業は明治45年、
当時、山形有朋のお抱え料理人であった
小島種三郎氏が独立開業したものだ。

店の名前は小島さんが結婚した相手が「春さん」であったことで
自分の小島の「小」の字と春を合わせて「小春軒」とした。

亭主が妻に惚れ込んだ気持ちが店の名前になった。
               (奥の白塀、「玉ひで」よりずっと旨そうだ)
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メニューを見ると「メンチカツ」800円と極めて良心的、
こんなことならと、悔やんでも後の祭りとはこのことだ。
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一番そそられたのが「牡蠣のバタ焼」、1,300円、
牡蠣の季節のうちにもう一度人形町を訪れよう。
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by shige_keura | 2016-02-01 09:40 | | Comments(0)
ぶらり人形町 -朝昼晩三千両の落ち処-
東京の地下鉄網の発達は目覚ましく、
今や、どの線がどのような経路で走っているのか分からなくなってきた。

更に乗り換えで思いのほか歩かされたり、
地上に出るまで場所の見当がつかず、
まごつかれた方も多いのではないだろうか。

ほかならぬ私も何度か慌てた経験がある。

数ある地下鉄経路、路線あるなかで
私には通学、通勤で使っていた日比谷線が親しみぶかいものがある。

1961年に開通した日比谷線、
中目黒から北千住までの各駅名を見るだけで
昔の江戸・東京の情景が浮かび上がってくる。

中でも、築地から北千住に向かう四つの駅は、
まさに江戸の下町、武士、商人、町人等
江戸庶民の生き生きとした市井の表情が浮かび上がってくる。

その四つの駅とは、「八丁堀」「茅場町」「人形町」「小伝馬町」なのだが、
今日はふと思い立って「人形町」をぶらぶらすることとした。
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江戸の町の造成は徳川家康の江戸下向(天正18、1590年)に端を発する。

当時、江戸城の在る台地の東側にあった広大な干潟の埋め立てを
江戸の発展のための一大事業とした。

江戸城の在る台地の下の町、
これが下町の所以となったのである。

埋め立ては30年以上もの大工事となり
今の浅草から日本橋北部、浜町から新橋までの埋め立てが進み、
その過程で人形町が歴史上初めて登場してきたのである。

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by shige_keura | 2016-01-30 10:46 | | Comments(0)
郷愁のスパイ映画 -後編-
21世紀のナポレオン・ソロとイリヤ・クリヤキン、
彼らの活躍や如何に。

今回の映画化に当たり、
製作会社は思い切った定石破りの手法を試みた。

それは主人公の活躍した時代を
かつての東西冷戦下に巻き戻したのである。

「007」、「ミッション・インポッシブル」等の新作は
時代に合わせて秘密兵器、ハイテク装備、自動車等の小道具を進化させている。
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つまり、ショーン・コネリーの初代ボンドが
登場した背景にあるのが東西冷戦、
緊張を背景としながらもボンドにはある種のゆとりが見えた。

一方、当代007・ダニエル・クレイグは
多様化、混迷化を深める現代を背景に
傷だらけになって働きに働くワーカホリックと化している。
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「コードネーム U.N.C.L.E」は
私の懐かしい青春時代にタイムスリップさせてくれた。

映画のソロはアメリカ・CIA、相棒のイリヤはソ連のK.G.B所属、
本来ならば宿敵同士である。

しかし、世界を破滅へと追い込む核兵器製造ノウハウ流出を防ぐべく、
二人は相手を胡散臭く思いながらも
U.N.C.L.Eの指令で腕を携えて行動する。
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尚、U.N.C.L.Eとは正式名称が
United Network Command for Law and Enforcement,
本部をニューヨークの国連本部のそばに置く、
悪の組織を成敗する法執行機関で
米・ソをはじめ当時の世界主要国が加盟している。

言っておくが、これは架空の組織である。

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by shige_keura | 2016-01-20 08:47 | | Comments(0)



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