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カテゴリ:観( 303 )
静謐と「和」の温もり
東京のホテル事情も21世紀に入ってから大分変って来た。
その最大の原因は外資系ホテルの進出である。

パークハイアット東京、ウエスティン、フォーシーズン(ホテル椿山荘)が
今世紀に入ってすぐに東京に進出。

今は、それに加え、ザ・ペニンシュラ東京、マンダリン・オリエンタル東京、
ザ・リッツ・カールトン、コンラッド東京、グランドハイアット東京等、
首都は外資系ホテルに席巻されている。

私にとっての東京のホテルと言えば元祖御三家、
帝国ホテル、ホテル・オークラ、ニューオータニとなる。

1890年誕生した初代・帝国ホテルは
1919年に全焼しているので記憶にはない。
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私にとっての帝国ホテルはフランク・ロイド・ライト設計によるもので、
これぞ日本の代表と言わんばかりの威厳に満ち満ちていた。

由緒ある帝国ホテル、ライト館が
1964年に取り壊されたのは真に残念である。
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ちょうど同じ時期、1962年に開業したホテル・オークラは
外面を日本の美、「なまこ壁」に覆われた、
優美で気品にみちた設計である。
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御三家の最後、ニューオータニの登場は1964年、
地上17階建て、廻るレストランで話題を集めたが
品格の点ではオークラに遥かに劣り
大きさで圧倒するアメリカン・スタイル・ホテルの先駆けだった。
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by shige_keura | 2015-02-20 09:12 | | Comments(0)
無邪気な還暦女優の輝き
還暦と言っても生れてからの歳ではなく、
女優になってから60年の還暦を迎えたのがシャーリー・マックレーン。

「シャーリー・マックレーン映画デビュー60周年記念作品」とされた
「トレヴィの泉で二度目の恋を」が公開中である。
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オリジナルタイトルは「Elsa & Fred」、
シャーリー・マックレーン扮するエルザは74歳の独り暮らし。

イタリア映画の名作・「甘い生活」を代表する場面と言える
トレヴィの泉でマルチェロ・マストロヤンニとの恋の語らいを夢見ている。
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フラットの隣に80歳の偏屈な老人フレッド(クリストファー・プラマ-演)が越してきたことから
年老いた二人の恋の道行き物語の幕が上がる。

シャーリー・マックレーンのデビューは1955年、21歳の時、
アルフレッド・ヒッチコック監督の「ハリ-の災難」だった。
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ヒッチコック作品としては珍しく不作で興行収入も芳しくなかった。

しかし、ヒッチコック自身この作品を気に入っているように、
私にとって非常に想い入れのある映画である。

その最大の理由がシャーリー・マクレーンにあった。
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この映画はヒッチコック得意の「ハラハラ・ドキドキ」のサスペンスではなく
「クスクス」とした味わい、飄々たる殺人喜劇である。
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そして、作品を盛り上げた最高殊勲者が
デビューにして魅力満開のシャーリー・マックレーンだった。

1950年代のハリウッド、今まで居なかったタイプの女優と言う意味では
オードリー・ヘップバーンと彼女が双璧だと思う。

オードリーの放つ「妖精の輝き」の魅力に対して
シャ-リ-の魅力は何と形容したら良いのだろうか?

とぼけた味わい、素朴な美しさ、親しみやすさ・・・・・・・、
結局は汚れを知らかのような、「無邪気さ」になるのだろうか。

断っておくが、「汚れを知らぬ」ではなく
「汚れを知らぬかのような」であり、両者は別物である。

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by shige_keura | 2015-02-17 21:29 | | Comments(2)
大女優の死
私が勝手に思っているスウェーデン出身三大女優最後の砦、
アニタ・エクバーグが1月11日逝去、
慎んでお悔やみ申し上げます。

享年83歳、長寿化の昨今ではまだまだの年齢に思えるが、
晩年は骨折の影響で歩くこともままならず
入院生活を余儀なくされていたとのことだ。

スウェーデン出身三大女優とは
彼女のほかは、グレタ・ガルボとイングリッド・バーグマンとなる。

しかしながら、アニタ・エクバーグの場合は知名度はともかくも、
映画の実績面では他の二人に大きく水を開けられている。

グレタ・ガルボ(1905-1990)は
ハリウッドのサイレント時代からトーキー初期の伝説の大女優、
アカデミー賞ノミネート3回、死後、彼女の功績に対し特別名誉賞が贈られている。
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17歳のとき、本格的に映画出演、その後、18年間で32作品に出演し、
今まさに絶頂期の35歳で突然引退し世間を驚かせた。

生涯独身を通し、引退以降は公の場に一切顔を見せなかったことが
彼女を殊更ミステリアスな存在に仕立て上げている。

イングリッド・バーグマン(1915-1982)、
言うまでもない絶世の美人女優の最右翼、
「カサブランカ」「凱旋門」「誰が為に鐘は鳴る」等の話題作で大女優の地位を確立した。
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アカデミー賞受賞3回は彼女の誇るべき勲章である。

その一方で、イタリア人監督ロベルト・ロッセリーニとの許されぬ結婚で
ハリウッドを長らく破門の憂き目にあい、
“恋多き女”のレッテルを貼られた苦渋の時期を味わった。

アニタ・エクバーグ(1931-2015)は
ミス・ユニバースのスウェーデン代表となり、
その美貌と豊満な肉体が映画関係者の目にとまりハリウッドに渡った。
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1953年にデビューするが観るべき価値のないコメディ作品の脇役か、
彼女の肉体を売りにする三流作品に終始した。

1956年、煽情的なポスターにつられて観た「熱砂の舞」にしても
ポスターを超える作品ではなかった。
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時に私は中学1年生、
思えば随分とませた餓鬼だったのだ。

同年、彼女は本人の役(アニタ・エクバーグ)としてある作品に出演した。
それが当時の人気コメディーシリーズ、
ジェリー・ルイスとディーン・マーティンの「底抜けのるかそるか」である。
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ジェリー・ルイスは熱狂的なアニタ・エクバーグのファンに扮し、
彼女に会いたさの一念でハリウッド行きが一等賞のくじを買い占めて
ディーン・マーティンと共にドタバタを繰り広げるお話であり、
底抜けシリーズの中ではレベル的に評価できる作品だった。
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ここで不思議に思うのは、それまで駄作ばかり3作品しか出ていない彼女が
ハリウッドを代表する人気女優として実名で登場してきたことだ。

そこに彼女に対して大女優の「大」の字を付けた所以が隠されている。

即ち、彼女は美しいだけではなく、
当時の女優としては並はずれた肉体の持ち主だったのである。

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by shige_keura | 2015-01-17 10:24 | | Comments(0)
タイトルの意味
フランス語が堪能の人ならば
映画のオリジナル・タイトルが何を意味するか?
すぐ分かるのだろうが、私には全く見当がつかなかった。

作品の日本語タイトルは「ニューヨークの巴里人(パリジャン)」、
先週末から渋谷文化村で公開されている。

この作品のメガフォンを取ったのがフランス人、セドリック・クラピッシュ、
いわゆる「旅するグザヴィエ」シリーズ3作目に当たる。

第1作が2002年の「スパニッシュ・アパートメント」(L’Auberge espagnole)、
これはパリからスペインのバルセロナへと舞台が変わる作品だった。

2作目が2004年の「ロシアン・ドールズ」(Les Poupees russos),
舞台は南のバルセロナから北のサンクトぺテルスブルグへと移っていく。

今までの2作品共にフランス語のオリジナルタイトルを
邦題はほぼそのまま直訳している。

ところが、パリからニューヨークへと移動する3作目のオリジナルタイトル、
“Casse-Tete Chinois”の邦題は「ニューヨークの巴里人(パリジャン)」となっている。
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これは、どう見ても直訳とは思えない。

映画館で初めてこのオリジナルタイトルを知り、
何を意味しているのか分からぬままに映画は終わってしまった。

更に、意味不明だったのは映画の最初と最後で
主人公のグザヴィエがパズルのようなものを解いているシーンが出てきた事だった。

もしも、オリジナルタイトルの意味を事前に知って映画を観たならば、
違った印象、もっと作品内容を良く理解できたと思う。

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by shige_keura | 2014-12-13 09:44 | | Comments(0)
ピンクとブルー
中目黒から池尻へと続く目黒川沿いの並木道、
春の桜のシーズン、花見客の数は年々増えて
歩くのもままならぬほどになってきた。
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桜が散りピンクが緑に変わり川辺は静けさを取り戻す。

そして夏が過ぎ、秋に葉が色づいたはあとは
静かに灰色の冬を迎えるのが例年のことだ。
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ところが今年は11月末よりクリスマスまでの間、
ブルーのイルミネーションが輝き、多くの人を招き入れている。

目黒川の歴史を辿ると
1950年代の頃は清冽な水が流れ
友禅流しの染めものが行われていた。
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ところが、吾々が恵比寿に住んでいた1980年代
目黒川は昔日の面影を無くし、荒れ果てた姿、
場所によっては異臭を放ち、近づくのも躊躇われた。

それから約30年、春は桜、冬はイルミネーションで
目黒川は見事に蘇った。

川の表情も歴史と共に変わっていくが、
良く変えるのも悪くするのも人間次第である。

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by shige_keura | 2014-12-07 10:47 | | Comments(0)
名場面再び!!
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11月19日夕刻、渋谷ヒカリエ11階から見る夕陽である。
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「東急シアターオーブ」で行われていた評判のミュージカル
「Singin’ in The rain」を堪能したあとの高揚した気分を鎮めるため
暫し暮れゆく空に見入っていた。
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その昔、ハリウッドが最もハリウッドらしく輝いていた時代の
代表的な映画会社のひとつがMGM(メトロ・ゴールドウイン・メイヤ―)、
ライオンが吠える巻頭は映画ファンならずしてもお馴染みのものだった。
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当時の評判は「MGMには星の数よりも沢山のスターが居る」。

この言葉がなるほどと思わせる映画が「ザッツ・エンターテインメント」、
1974、75年に製作された作品はMGMの素晴らしさを語っている。
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登場した主な俳優は女優がエリザベス・テーラー、デビー・レイノルズ、
エヴァ・ガードナー、ジュディ・ガーランド、ジューン・アリソン、レスリー・キャロン、
ジンジャ―・ロジャース、シド・チャリシ、ライザ・ミネリ等々、
男優で言えば、クラーク・ゲーブル、ジェームス・スチュアート、
ビング・クロスビー、フランク・シナトラ、ケイリー・グラント、
モーリス・シュヴァリエ、スペンサー・トレ―シ―、ミッキー・ル-ニー達だった。

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by shige_keura | 2014-12-01 12:21 | | Comments(0)
イチョウも迷惑
11月中旬、秋晴れにつられて昔懐かしい麻布に足を運んだ。

そのひとつの目的は善福寺の大イチョウを見に行くことだった。
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60年以上も前の小学校の頃、ここ一帯は爺の縄張り、
悪友と日が暮れるまで遊びまわっていたものだった。

しかし、当時はこの寺が善福寺だということも
「逆さイチョウ」の名前の大イチョウがあることも知らなかった。

寺の階段を上がった所の焼け野原からは麻布十番から芝にかけて
一望に見渡せたが今や街の表情は全く変わってしまった。

それは10年ほど前の事だったが
親友のひとりが酔った勢いで建設会社に勤務している友達に噛みついた。

「お前ら建設会社は都市計画の思想が全く無い!
街をぶち壊しているだけじゃないか」。

そこから、延々とした口論が始まったのだが、
麻布善福寺の景観を見ると
友人の言ったことは正解と思えてくる。

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by shige_keura | 2014-11-24 21:46 | | Comments(0)
黄葉の誘い
又の名を「生きた化石」、
即ち親戚は全て絶滅し、一種で唯一残っているイチョウは
中国原産ではあるがわが国で最も親しまれている樹木の一つだ。。

その理由は大気汚染に強いということ、
そして耐火性に優れているので防災面にも心強いというわけだ。

従って、イチョウは東京都、大阪府、神奈川県のシンボル・ツリー、
更には全国60近くの市町村の木としてして指定されている。

さて、イチョウの漢字は三種類あるが
全てをお書きできる方は御同輩でも少ないのではないだろうか。

最も一般的なのは「銀杏」であるが
一般的に「銀杏」は実の事を指し、
木の場合は「銀杏の木」と言っている事が多い。

「銀杏」の由来は、実が杏に似ているのと
殻そのものは銀白色をしている所から来ている。

次が「公孫樹」、中国から伝えられた名前だが
植樹してから成長が遅く、実が食べられるのは
孫の代になってからという意味が込められている。
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最後が「鴨脚樹」、これも中国の呼び名だが
葉っぱの形がアヒルの水かきに似ているので
「鴨脚」、中国読みの”イチャオ”、”ヤ―チャオ”が
日本では”イチョウ”と呼ばれるようになった。
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by shige_keura | 2014-11-19 10:32 | | Comments(0)
洲崎と言えば -3- 車に懸けた夢
大正11年(1922)11月12日、日本で最初の自動車レースが
洲崎の埋め立て地で行われた。
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大会名称は“日本で最初の「自動車大競走」”、
主催は報知新聞社であるが、その裏には自動車に自らの夢を託した男が居た。
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彼の名前は藤本軍次、破天荒で一直線、
ソロバンを弾く前に行動に移すタイプの男だった。
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藤本軍次は山口県の生まれ、11歳の時に理由は分からぬが父に手を引かれて渡米、
シアトルで15年間過ごした。

折しもアメリカは自動車の草創期、
彼は自動車学校を卒業後、自動車修理会社を経営した。

藤本が最も情熱を傾けたのは自動車レースで
各地で開催されるレースに参加、
最高峰のインディ500への参戦を本気で考えていた。

その後、排日感情が高まり、会社経営も難しくなった1922年帰国した。

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by shige_keura | 2014-11-15 09:08 | | Comments(0)
洲崎と言えば -2- 赤信号
明治期から昭和33年(1958)の売春防止法成立まで
多くの遊客を引き付けたのが洲崎の遊郭だが、
この発足のきっかけとなったのは最高学府・東大であることは余り知られていない。

明治20年(1887)、富坂(現在の文京区)に
東京帝国大学の校舎新築が決定した。

これによって、至近距離にあった根津遊郭は
風紀上の観点で移転を余儀なくされた。

遊郭の規模を考えると新たな土地に移転せざるを得ず、
白羽の矢が立ったのが洲崎弁天脇の広大な湿地を新たに遊郭として整備する事だった。

即ち、洲崎の遊郭は海面を埋め立てた「遊郭島」であった。
                (「洲崎弁天境内」歌川広重)
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以降、洲崎遊郭は隆盛を極め、
大正末期には吉原と双璧、「北国の吉原」に対し
「辰巳の洲崎」と謳われるほどであった。
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太平洋戦争、東京爆撃で洲崎もほぼ焼失したが
戦後の復興は早く「洲崎パラダイス」の愛称で多くの殿方の足を引き寄せた。
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by shige_keura | 2014-11-14 08:44 | | Comments(0)



2007年9月末にこちらに引っ越してきました。
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