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ポリープと茶粥
そこは新緑の奈良公園、
風雅な離れの個室
料理旅館、”江戸三”の一室だ。

今から6,7年前
初めて訪れた奈良である。

昔から「京の”白粥”、大和の”茶粥”」の言葉通り
茶粥は奈良の名物である。

その名物を食さんものと
「江戸三」を訪れたのだ。

この店を選んだ理由はただひとつ
故池波正太郎師の
「食卓の情景」に紹介されていたからだ。

趣のある離れの個室が
新緑の中に点在し
心地よい雰囲気が漂っている。
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ところが料理の記憶はまるで無い。

お酒も入り、身体も温まり
最後に待望の茶粥を頂いたのは覚えているが。

ただ、その味はというと
サラッとした食感と
ちょっと苦めのお茶の味、
”ただそれだけよ”だったような気がする。

所詮、お粥なのだから。

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by shige_keura | 2010-01-31 18:12 | | Comments(0)
美味しそうな映画
昨年12月に公開され
特に女性層から大きな支持を得ている
「ジュリー&ジュリア」を観た。

劇場に行った理由は
世評が良い事と並んで
ご贔屓、メリル・ストリープ主演に因るものだった。

彼女は私にとって
演技力であくなき魅力を発散する
真の女優として位置づけられている。

彼女を初めて知ったのが
「クレーマー・クレーマー」、
1979年製作、時にストリープ30歳、
3作目でアカデミーを獲得した作品である。
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この作品で
ダスティン・ホフマン演ずる
離婚相手の夫と
親権を争う主婦として登場した彼女は
揺れ動く女の内面を
見事なまでに表現した。
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その後、アカデミーノミネート15回の実績は
ストリープがまさしく
オールマイティの女優である事を物語っている。

ストリープ程安定感のある女優は
現代映画界のなかで
他に見当たらない。

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by shige_keura | 2010-01-29 10:02 | | Comments(0)
困ったもんだ
先日終了した大相撲初場所は
後半に入り意外な展開を見せた。

磐石と思われた白鵬の取りこぼしにより
土俵への興味が急速に萎んでいった。

一方、皮肉にも
それを取り返すかのように
土俵外の騒動が
人々の注目を集めた。

ひとつは、理事長選挙に
改革を訴え出馬する貴乃花一派を
破門するか否かのドタバタだ。

破門と聞くと直ぐに思い出すのが
1967年、時の出羽一門、
九重親方(千代ノ山)の独立騒動だ。

このとき、出羽の海部屋の不文律
”分家・独立は許さず”にのっとり
千代ノ山は破門という厳しい処分を受けた。

出羽の海、春日野(栃錦)を初め
部屋一門の親方衆が並ぶ中
一人頭を垂れ正座で処分を聞く千代ノ山、
大相撲の厳しい掟を生々しく伝える
新聞写真を今でもはっきりと覚えている。

大相撲の世界は
ここまで厳しいものなのか!

今回の破門騒動は
九重破門当時とは
大分様子が変わってきているようだ。

しかしながら”破門”という言葉は
古きしきたりを守る世界においてのみ
使われる事には変わりはない。

その古いしきたりが
良いか悪いかは別にして。

ところが、もうひとつの騒動を見ていると
”破門”という厳しい言葉が
空しく聞こえてくるのだ。

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by shige_keura | 2010-01-28 18:22 | スポーツ | Comments(0)
大森・羽田海道 (源義経と浅草海苔)
「源義経は浅草海苔の生みの親だ!」

これは事実か否かは別にして
伝説として今に残っているお話だ。

本題に入る前に
先ずは浅草海苔の
ネーミングについて紹介しよう。

昔から東京名産のご贈答品の定番と言えば
浅草海苔がその代表格だろう。

女優の山本陽子さんが
今よりもずっと美しかった時代、
和服に身をを包んだ彼女が
風呂敷包みを小脇に
楚々として玄関をくぐっていく。
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このコマーシャルを
誰もが覚えていることだろう。
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さて、江戸から明治、大正、昭和初期
大森海岸は日本一の海苔養殖場だった。

大森の海で獲れた海苔は
水温、水質との相性も伴ない
色艶、味、食感すべてに
最上級であると人々にもてはやされた。

ところが、大森産のこの海苔が
何故”浅草海苔”として売り出されていったのであろうか?

それは単に、
大森の海苔が
浅草を中心に全国に
売れていったことによるものだ。

当時、浅草は江戸の中心であり
お大名に出入りを許された
商家の大店が幅を利かせていた。

この大店の力で
大森の海苔が御前海苔として
人気を集めていく過程で
”浅草海苔”ブランドが確立したのだ。

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by shige_keura | 2010-01-27 09:36 | | Comments(2)
大森・羽田海道(羽田道を行く -2-)
羽田道の基点を誇示するかのように
真っ赤な大鳥居が
空港を背景にそびえている。
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元々は羽田空港内に
建てられていた大鳥居だが
敗戦による米軍の接収
返還後の滑走路の建設等で
2度にわたる引越しを余儀なくされた。
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羽田の再国際化の動きの中
今後は場所を動くことなく
ここから飛行機発着の無事を
いつまでも見守っていて欲しいものだ。
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その名の通り
エビの漁場であった
”海老取川”を渡るが
橋には、これまた
大森・羽田の経済を支えた
海苔養殖を伝えるプレートが
はめ込まれている。
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羽田の海を左手に七曲の小道を
羽田の渡しに向う。

途中、”白魚稲荷”、”鴎稲荷神社”
漁業と縁深い名前の
小さな神社が目に付く。
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               (白魚神社)
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               (鴎稲荷と羽田道の碑)
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中では”穴守稲荷神社”の
威容がこの地では際立っている。
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”穴森稲荷”の名前の由来については
次のような話が残されている。

海に隣接した羽田一帯は
1800年代の初頭、
台風の影響で
度々堤防に穴が開いて
海水が浸入する被害に
脅かされていた。

そこで稲荷大明神を祀ったところ
それ以降は被害がおさまった。

そこで”穴が開くのを守ってくれた大明神”、
すなわち、”穴守稲荷神社”となったわけだ。
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by shige_keura | 2010-01-26 09:43 | | Comments(0)
大森・羽田海道 (羽田道を行く -1-)
大森駅、山王口の背後に
小高い丘がそびえている。

ここは江戸時代、
”八景園”という名の有名な料亭があり
のちに遊園地となって
人々の憩いの場となっていた。

”八景”の名の通り
この地は、当時松の緑に囲まれて
眼下には紺碧の海が一望され
風光明媚な所だった。

           (歌川広重が描いた八景園周辺)
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今、同じ地点に立って眺めてみても
どこを見ても海の姿は認められない。

           (八景園の名前は残っているが・・・・)
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           (丘の上の神社から、海はどこにも見えない)
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その昔、江戸前の海で獲れた
海の幸を生業としてきた
当時の大森、羽田の痕跡は
どこに残されているのだろう?

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by shige_keura | 2010-01-25 17:01 | | Comments(0)
大森・羽田海道 (貝塚の怪 ー3-)
モース氏は専門家と言っても
正確には考古学ではなく
生物学の権威だったのだ。

彼の最終的な報告書には
致命的なミスがあった。

それは、発掘場所が
大森村と述べられているだけで
詳細な場所の記述が無かったのだ。

これは、考古学の報告書としては
ありえない事であるそうな。

時を経て1929年になり
学術的な調査の結果、
品川区西大井に
”大森貝塚”の名前で建立された。
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その場所は今は
大森遺跡公園の一部となっている。
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by shige_keura | 2010-01-23 22:52 | | Comments(0)
大森・羽田海道 (貝塚の怪ー2-)
大森の貝塚を語る時
避けて通れぬ人
それは申すまでも無く
モース博士だ。

            (モース博士像、遺跡公園内)
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アメリカの生物学者であった彼は
東大の教授として招かれ
船で横浜に着いた。

時に1877年6月18日
博士の39歳の誕生日のことだった。

翌19日、彼は横浜から
電車で東京に向った。

大森を過ぎて
ふと左を見たとき
彼の目に地層に剥き出しになった
大量の貝殻が飛び込んできた。

           (地層から見える大昔の貝殻、遺跡公園内)
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専門の考古学者ではなくとも
彼は、ここはかつて人類が
生息していた場所だと推論した。

ここで注目すべきは
それまで日本人は
誰一人として気がつかなかったことである。

その時代、考古学としての学問が
日本では他国に比べ
相当に遅れていたということだろう。

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by shige_keura | 2010-01-22 08:56 | | Comments(0)
大森・羽田海道 (貝塚の怪 -1-)
1月11,13日、2日にわたり
大森、羽田方面を散策した。

目的は昭和の初期まで
豊な江戸前の海に育まれた
かつての海岸線の痕跡を辿ることにあった。

出発の基点は大森とした。

何故なら、この機会に
是非とも訪れたい場所があったからだ。

大森の名前が頭に刻み込まれたのは
小学校低学年のことだと思う。

但し、貝塚とのセットになった大森であった。

当時の私にとって、
大森と言えば貝塚であり
貝塚と言えば大森だった。

即ち、昔、昔の大昔
この地は海に接しており
既に海の幸を糧に
人々が暮らしていたのである。

               (縄文時代の大森貝塚近辺、
                大森貝塚遺跡記念公園より)
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それは中学の頃だろうか
京浜東北線の車中から
大森駅近くに貝塚の碑を認めたのは。

「あっ!ここなのか!!」
と、思いつつ
訪れぬままに50余年の歳月が流れてしまった。

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by shige_keura | 2010-01-21 14:42 | | Comments(0)
思い出のプロ野球選手  -24-
今日の主人公の活躍時期は
それほど昔ではない。

それにもかかわらず
彼のことを取り上げたくなったのは
1月17日に小林繁氏が亡くなったからだ。

ここまで書けばご想像通り
彼は”空白の一日”の主役であり、
結果的に当時、巨人のエース小林さんを
ライバル球団にトレードさせた男だ。

それもスプリングキャンプ前日!
前代未聞の出来事だった。
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彼、江川卓、
本心の見えぬ不思議な人であり
投手としての名声とフォームが
これほど違和感のあった男もいない。

私は彼が甲子園の怪物として
世間を驚かせていた時のことは
球場はおろかテレビでも見たことが無い。

だから、江川の天賦の才を楽しみに
神宮球場に出かけたものだった。

マウンドで投球を始めた彼を見て
正直、驚いた。

同時にガッカリした。

剛球投手、速球投手のイメージ
それは金田であり、村山であり
尾崎であり、池永であり、そして江夏だった。

江川のフォームは
期待とは全く裏腹で
先輩大投手の力感溢れた凄みは
微塵にも感じられなかった。

ちまちまとした、小さな投球フォーム、
極端に言えば
内野手の送球を思わせた。

「これが怪物、江川か???
 こりゃ、打たれるなーー」

ところが、江川は相手打線を
苦も無く討ち取り涼しい顔で完投した。

全く常識外れの男、江川がそこにいた。

今から考えれば
小さいフォームにしては
想像できぬ球の伸び。

そして、球の出所が
打者から見極めにくい事が
怪物江川誕生の秘密だったと思う。

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by shige_keura | 2010-01-20 09:09 | スポーツ | Comments(0)



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