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春の歓び、食の楽しみ
揚げ物は手掛けない、
家でやっても上手くいかないし
台所が汚れるだけだからだ。

その意味では
今日の料理は例外中の例外だ。

お手本は、例によっての
NHK の”三人のシェフ”、
4月20日放映の「春の歓びの一品」からである。

紹介された三品の料理は
スパゲッティボンゴレ、春巻き、
そして若竹煮であった。

アサリ(ボンゴレ)、モヤシ(春巻)、
タケノコ(若竹煮)はいずれも春を彩る食材だ。

中で、孫シェフ紹介の春巻きに
心が大きく動かされた。

春巻きならば具は予め熱を通しているし
揚げる技術は難しくない。

しかも、具材のシンプルな所が気に入った。

豚肉、ニラそしてモヤシだけである。
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by shige_keura | 2010-04-30 09:47 | | Comments(0)
若葉の頃
4月24日、今年最初の山中湖詣でだ。

東京は晴れていたが
到着に近づくにつれ雲が垂れ込め
冨士山の雄姿を拝むことは出来なかった。

車外に出るとひんやりとした空気が身を包む。
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まだ雪の残っている庭、
昨年植えておいた種、球根。
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黄色い水仙が何輪か
そしてたった一輪ではあるが
クリスマスローズの花が開いていた。
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あの、厳しい冬を乗り越えたかと思うと
その健気さに愛おしさを感ずる。
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見上げると空間の多い枝葉とは言え
柔らかな緑色、春の気配が漂ってきている。
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若葉の頃、
一年中で最も好きな季節である。

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by shige_keura | 2010-04-28 20:56 | その他 | Comments(0)
緑のブレザーの陰に
若干旧聞に属するが
4月11日に終了した
マスターズゴルフトーナメントについてのお話しだ。

4月8日、ファーストラウンドの結果は
驚きでもあり喜びでもあった。

更に言ってしまえば
優勝の行方を予兆させるものだった。

先ずは2位タイにつけた
英国のリー・ウエストウッドである。

時は1996年、場所はイタリア中部、
当社が当時スポンサーとなっていた
イタリアン・オープン・ゴルフトーナメントに
彼は、オラサバル、ランガー、ウーズナム等と一緒に
参加してくれた。

とは言え、プロ入り3年目、若干23歳の彼は
紅顔のベビーフェースが目立っただけの存在だった。

今回のマスターズ、
結果は2位に敗れたとは言え
最終日は優勝のミケルソンと同組で
大会を大いに盛り上げた存在にまで成長した。
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ずんぐりとした体形、
チョッピリと飛び出した腹に
14年の歳月の流れを懐かしく思い出した。

初日1位がフレッド・カプルス
2位には何と”帝王”トム・ワトソンだ。

この二人は本年シニアの開幕戦、
奇しくも優勝を争った中だ。
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その時は優勝がワトソンで2位がカプルス。

ベテランのビッグネームが
ゴルフの祭典を大いに盛り上げているのは
誠に嬉しい限りである。

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by shige_keura | 2010-04-27 09:40 | スポーツ | Comments(0)
真のライバル  最終回 (恩讐の彼方に)
「グラウンドの恥はグラウンドでそそぐ」

1961年、巨人退団となった
水原が言った言葉だ。

三原西鉄に3連敗、
更に三原がセントラルに移り率いた
弱小球団大洋にペナントレースで敗北を喫する。

水原にとっては屈辱極まりない経験だ。

先の言葉を吐いた水原が訪ねた家がある。

それがなんと犬猿の仲と目され
永遠のライバル、三原の元だったのだ。

水原はこう切り出した。

「三原さん、俺に今、東映から
 監督就任のオファーが来ている。
 どう思うかい?
 東映ってどんなチームだ?
 それにパ・リーグってどうなんだ?

俺はあんたの率直な意見が聞きたい、
 教えてくれないか?」

ここが、水原の潔い所でもあり
彼にとって最も頼れる男は三原だと
心に決めたことによる行動だ。

三原は水原の訪問を快く受け入れ
彼の考えを余す所なく伝えたと言う。
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そのアドバイスももあって、
水原は新天地を東映に定め
2年後チームを日本一に導いていく。

その後水原は再びセ・リーグに戻り
中日の監督を最後に現場から足を洗う。

監督生活21年間、
Aクラス入り19回は素晴らしい。

中日移籍後Bクラスを2年続けたが
最後はチームを2位に押し上げている。

通算9回のリーグ優勝
日本一、5回は常勝巨人を考慮しても
なかなか達成できぬ数字である。

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by shige_keura | 2010-04-26 09:20 | スポーツ | Comments(2)
真のライバル 12 (続、謎の男)
三原はある面”へそ曲がり”、”嫌味”な男だ。

その一例を示そう。

1962年9月22日、
三原が大洋監督していた時の中日戦
下記がスターティングメンバー交換時のメンバーと
実際に先発出場した選手の比較である。

    スタメン交換時    実際の先発メンバー

1   青山   (右)      アグウイリー  (三)
2   松久保  (左)      島田(幸)    (一)
3   近藤(和) (中)     左に同じ
4   蓜島    (遊)     桑田       (遊)
5   的場    (三)     グルン      (右)
6   平山    (二)     長田       (左)
7   上田    (一)     鈴木       (二)
8   山田    (捕)     島野       (捕)
9   秋山    (投)     左に同じ

”アテウマ作戦”は当時から存在していたが
何と9名中7名を入れ替えてしまったのだ。

何の為に???

勿論、これは”訳あり”、
三原無言の抗議だった。   

この年、誠に奇妙なルールがまかり通っていた。

即ち、5月1日から9月15日まで
ベンチ入りは25名とする、
但し、それ以外の時期はベンチ入り人数無制限。

なんとも馬鹿なルールであり
それに対し三原が異議を申し立てたのだ。

連盟にとっては
あの三原が又か!
どうにも嫌味な奴、と映っただろう。   

平和台の外野席に大団扇を男に持たせ 
相手捕手のサインを盗みバッターに合図する、
即ちサイン盗みを三原がやっているとも囁かれた。

三原が実際に導入した乱数表は
試合時間との関係で1983年廃止された。

あらゆる手を使い勝とうとした三原、
いや、使わざるを得なかったのだろう。
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何故なら、西鉄はともかく
彼が受け持った球団、大洋、近鉄、ヤクルト
すべてが弱小球団、お荷物球団だったのだから。

しかし、あくなき勝利への執念!

これほどのアイデアを考える三原、
まっこと頭の切れる男である。

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by shige_keura | 2010-04-24 22:08 | スポーツ | Comments(0)
真のライバル 11 (謎の男)
連載中によりによって不測の事態!
パソコンがダウンしてしまった。

使うほうも使われる方も年だね。

待つこと約1週間、
故障癒えたパソコンを優しく駆使して
”真のライバル”を続けよう。

名将、知将、策士と謳われる三原。
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そこからイメージされる言葉は
慎重、深慮、観察、分析、辛抱等であって
短慮、短気の言葉はどこにも無く
ましてや暴力のかけらも見出せない。
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しかし、三原と言う男
実に短気であり他人に手まで出す男なのだ。

巨人現役時代のみならず監督の時、
2度にわたって連盟から
出場停止処分を受けている。

最初は1937年の対阪神戦。

試合終了後、審判の判定に不満を抱いた彼は
こともあろうにバットを引提げ
審判室に乗り込んでしまった。

2度目は1948年の対南海戦。

相手選手(筒井)のラフプレーに激高した三原は
脱兎の如くベンチを飛び出し
筒井選手を殴りつけた。

世に言う、「三原、ポカリ事件」

このときの連盟裁定は”無期限出場停止”、
後に”100日出場停止”に減刑されている。

三原は人を苛つかせ、怒らせる名人だ。

自分が短気だから
どうすれば人は怒るか?苛々するか?
そのツボを心得、実行する。

監督時代、それに見事に嵌ったのが水原だ。
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by shige_keura | 2010-04-23 14:53 | スポーツ | Comments(0)
真のライバル  10 (洒落者の戦術)
畳の日本間にある堀炬燵、
厚い丹前に身を包み
一人黙然とミカンの皮をむいている、
何を考えているのか???・・・・・・、
これが三原に相応しい姿だと思う。

一方の水原は全く違う。

洋風の瀟洒な自宅の居間、
センスの良いカシミアのカーデガン、
立ち上る紫煙は当時貴重な舶来の煙草、
時折バカラのロックグラスを口に運ぶ。

               (当時、自由ヶ丘にあった水原邸
                居間には大きな鏡張りの洒落た衣装ダンスが)
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袖口からキラッと時計が光る、
勿論、それはロレックスだ。

               (壁にさりげなく掛けられているボルサリーノのソフト帽)
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ハイカラ好み、一流品にしか目を向けない、
それがピタッと決まるのが水原、
日本野球界史上最高の伊達男に間違いはない。

恐らく本人もそれを自認していただろうが
不思議なことに嫌味にならない、
スマートボーイ、水原だ。

野球界を引退し70歳を越されている頃、
東横線の車中で水原さんをお見受けした。

冬だったと思う。

空席は幾つかあったが立っておられた。

網棚に携帯のゴルフバッグが置かれていたのは
近所の練習場にでも行く途中なのだろう。
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コートと着て、ソフトをかぶり
背筋をピンと張って
車窓からの景色を追っていた。

その姿はホレボレするほどの美しさだった。
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by shige_keura | 2010-04-16 08:54 | スポーツ | Comments(0)
真のライバル 9 (三原魔術)
巌流島の戦いは1956年に始まり
1958年まで3年間続けられた。

結果は三原の3連勝、完勝に終わる。

3年に渡った巌流島の戦いの中で
巷では1958年の戦いが最も熱く
語り継がれているようだ。

このシリーズ、西鉄は3連敗の後、4連勝!
これほど気持ちの良い勝ち方はあるまい。
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三原としては宿敵巨人に止めを刺した気持ちだったことだろう。

この年、雪辱の意気に燃える水原巨人は
スーパールーキー長島の加入もあり
西鉄に一気の3連勝
ほぼ、大勢は決したかと思われた。

               (初対決は長嶋の右翼線三塁打)
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第4回戦の前夜、
「まだ、首の皮1枚残ってる」、
不敵なセリフを漏らした三原は
選手達を夜の街に遊びに行かせた。

               (当時の西鉄スタメン、玉造(高倉)、豊田、大下、中西、
                関口、河野、今久留主、(仰木)、和田、稲尾)               
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以降、気分一新、天候も三原に味方し
稲尾投手の投打にわたる大活躍で4連勝
アット驚く大逆転を成し遂げた。

               (打撃の神様、川上の現役最終試合、対稲尾)
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世に言う、「神様、仏様、稲尾様」である。

               (第5戦、稲尾サヨナラ本塁打の瞬間、投手は大友)
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               (熱狂的なファンがグラウンドに飛び出して稲尾を迎える)
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水原にとっては人生最悪の時だったろう。
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しかしながら、私は巌流島3連戦の中で
1957年、2度目の手合わせに
三原の真骨頂が見出せると思う。

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by shige_keura | 2010-04-15 08:46 | スポーツ | Comments(0)
真のライバル 8  (巌流島の戦い)
「我いつの日か
 中原に覇を唱えん」

1951年西鉄ライオンズの監督に就任した三原が
キャンプ初日に言った言葉だ。

「俺を都から追い落とした巨人よ、
 今に見ておれ!!」

打倒巨人を胸に秘め
戦力を整えた三原は
その5年後の1956年
宿敵巨人と日本シリーズで激突した。
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ここからは、私のリアルタイムの中にあり
当時のことは殆ど良く覚えている。

このシリーズ、4勝2敗で西鉄の勝利となるが
印象的だったのは三原の巧みな撹乱戦術だった。

シリーズ前の下馬評は
圧倒的に巨人有利であったが
これは主にファン、評論家等の
固定観念、”常勝巨人”に拠るものだっただろう。

それを巧みに利用したのが
知将、三原だった。

戦前の彼のコメントは
常に巨人の胸を借りると言った
へりくだったものだった。

しかし、三原は両軍戦力を良く吟味し
彼ならではのシナリオを練り上げていた。

そして、迎えた第1戦
その年僅か2勝の川崎を先発させ度肝を抜いた。

将棋で言えば”奇手”
或いは一般的には”悪手”と見えた
とんでもない作戦だった。

何で川崎なんだ??
巨人打線につかまるぞ!

案の定川崎は立ち上がりから巨人につかまり
1回でノックアウトされる。

それを表面上は渋い顔で見ていた三原だが
内心、これで筋書き通りとほくそ笑んだ。

三原としては、勿論、川崎が好投すればそれで良し、
打ち込まれたとしても
それは織り込み済みのことだった。

何故ならば2回以降
稲尾を始め島原、西村等の主力投手を
舞台経験と通用度合いを試す為
次々とマウンドに送ることが出来たのだから。

結果は0-4で西鉄の敗戦なのだが
3回以降稲尾と島原が巨人を完封した。

これで新人稲尾を軸と定めた三原は
4勝2敗で日本一を勝ち取ったのだ。

中でも計算どおり
稲尾が3勝をもぎ取ってくれたことが大きかった。

               (殊勲の稲尾をねぎらう三原監督)
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               (ライオンズの中軸、怪童中西と野武士豊田)
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by shige_keura | 2010-04-14 09:00 | スポーツ | Comments(0)
真のライバル 7  (花束は訣別の予兆)
1949年7月29日の後楽園球場。

真夏の暑さも手伝って
満員の観客は興奮に心を高鳴らせていた。

日本敗戦、辛い戦後も4年を経て
漸く人々はプロ野球を楽しむ余裕が生れてきた。

それにしても、今日の熱狂は異常だ。

何故ならば多くのファンが待ちわびた
スーパースターの水原茂が
長いシベリアの抑留生活に耐え
懐かしの後楽園に復帰する日であったからだ。
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坊主刈り、頬はこけたものの
白い麻の背広に身を包んだ水原は
昔同様ダンディそのままだった。

球場のボルテージは最高潮に達した。

マウンドに立った水原はこう挨拶した。

「水原、ただ今戻ってまいりました・・・・・・
 感無量で話す言葉が見つかりません」
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短い言葉の中に
水原のその時の率直な気持ちが
ストレートに伝わってくる。

万雷の拍手の中
巨人軍を代表して
水原に花束を贈る男が登場した。
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彼こそ神宮であいまみえた三原脩
当時の巨人監督として采配を振るっていた。
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両者共に懐かしい気持ちと
共に野球が出来る喜びで一杯だった。

夢にも三原がプレゼントする花束と共に
半年後には巨人監督の座を
水原に譲ることなど
両者は夢にも思っていなかった。

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by shige_keura | 2010-04-13 08:57 | スポーツ | Comments(1)



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