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Today is T-Day -Part 1-
「今日(10月31日)はT-Day、
 何の日か知ってるかい?」

「知ってるとも!
 1944年にアメリカを中心とした連合国側が
 ナチスに占領された欧州の解放を目指し、
 ノルマンディーに上陸した記念日だよ。
 ジョン・ウエインが主演した
 ”史上最大の作戦”、あんたも見てるだろう!」
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「馬鹿だな、お前って奴は、
 それはD-Dayで6月6日だよ」

「あっ、いけねーー、
 10月31日か・・・・・・・、
 そうか! 分かったぞ!!
 11月1日は"All Saints' Day"(諸聖人の日)、
 その前の日はハロウイーン(Halloween)だ!!」
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「ハロウイーンだと?
 それじゃ、なんでTなんだ??」

「えっ、なんでTか、だと?
 なんでだろうなーー、分かんねーな」

「最大のヒントを出してやろう。
 日本人ならば、誰もが毎日のように口にするものに因んだ日だ」

「何だ? それー??
 ・・・・・米はRiceだし、魚はFishだなー??」

「口にするたって、
 食べるものとは限らね-じゃないか」

「飲み物ってことか??? !!!
 T !!!!
 そりゃ分ったぜ、Tea、即ちお茶だ」

「鈍いおめーでも、漸く分かったか!」
   

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by shige_keura | 2011-10-31 09:36 | その他 | Comments(0)
生誕80年  -煌めきの個性派群像―
ジェームス・ディーンのデビューと相前後して
ハリウッドには今まで見られなかった
個性派の俳優が次々と登場した。

彼等は、今までハリウッドを代表していた大スター、
即ち、G・クーパー、J・ウエイン、C・ゲーブル等とは
全く違ったキャラクターの持ち主だった。

既存の大スターは演技が上手い下手は無関係、
ただただ、画面に現れる存在感で
ファンの心を掴んでいた。

それが、新たに個性豊かで
達者な演技力の持ち主が続々と登場してきた。

その背景には、今でも俳優の登竜門と言われている、
ニューヨークに作られた「アクターズ・スタジオ」の存在があった。

「エデンの東」の監督、エリア・カザンと
演技指導の神様、リー・ストラスバーグが開設したスタジオからは
素晴らしい個性の持ち主が羽ばたいていった。

アクターズ・スタジオの提唱した演技指導理念は
「メソッド理論」として今も引き継がれている。

これは、俳優に対して撮影期間に係わらず
その役に徹した生活を課すものであった。

簡単にいえば、「役になりきれ!!」であった。

「メソッド理論」を最大限、
忠実に具現化したのがジェームス・ディーンであり、
次にマーロン・ブランドだと言われている。

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by shige_keura | 2011-10-28 17:54 | | Comments(0)
生誕80年 -駆け抜けた青春-
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銀座三越で行われている
ジェームス・ディーン生誕80周年展、
最終日の10月25日、何とか駆け込んだ。
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そうか! そうだったのか!!
ジミーはもしも生きていれば今年80歳、
長寿化社会においては元気でいても不思議ではない年齢だ。
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もしも、あの忌まわしき事故が無かりせば、
ジミーはどんな男になっていただろうか?
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全ては推測で探るしかないが
監督として映画を取り仕切っていたことは
ほぼ間違いないだろう。
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彼自身、監督志望の強い想いを語っていたし、
遺作の「ジャイアンツ」撮影中、
暇さえあれば自分で8ミリ映写機を廻していた。

この行為が、監督、ジョン・スティーブンスとの確執の
ひとつの原因であると目されている。

それでは、ジミーはいつごろ俳優に見切りをつけ
監督に転身し、どんな作品を作ったであろうか?

「ジャイアンツ」出演時の彼は弱冠24歳なのだが、
恐らく、30才前には監督の椅子に座っていたと思われる。

何故ならば、俳優として彼ほど、
監督にとって扱いにくい男はいなかったと思うし、
ジミー自身、俳優でいる限りは
良い映画を作ることに限界を感じていたに違いない。

監督こそ、映画の指揮者、
思うがままに映画を作りたい。

それがジミーの願望だった。

ただ、どんな作品を手掛けただろうか?

これだけは推測するのも困難だ、
ただ、直感的に一筋縄で分かるような映画は作らなかっただろう。

だから、興行的には不成功に終わり
壁にぶち当たったのではないかと思われる。

何しろ、破天荒に変わった男であったから。

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by shige_keura | 2011-10-27 09:00 | | Comments(0)
芸術の秋
秋と云えば私にとっては”食欲の秋!”、
と、ばかり、バクバク食べてばかりいないで
偶には“芸術の秋”を味わおうじゃないか。
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ここは、東京の中心、丸の内オフィス街、
”仲通り”も芸術の秋に相応しく
彫刻や花々が飾られる中に
今日お目当ての展示会のポスターもはためいていた。
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アンリ・ド・トゥルーズ・ロートレック、
我々には”ロートレック”で親しい画家の展覧会が
この近く、三菱一号館美術館で行われている。
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絵画についても詳しい知識のない私だが
ロートレックの作品は
非常に個性的、且つ新鮮に映る。
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それは、彼の描く世界が
男ならば誰でもが興味のある華やかで妖しげな場所、
カフェ、キャバレー、娼婦の館であるからなのだろうか。
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彼が活躍した時代は19世紀後半、
誰が名付けたか、「ベル・エポック」(良き時代)、
パリが最もパリらしく光り輝いた時代である。
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ならば、ロートレック以外にも
華やかな場所を主題として書いた画家は沢山居ただろう。
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にもかかわらず、ロートレックが新鮮に映るのは
妖しげで一見華やかな世界を
表面だけでなく、裏側からも克明に描いている所である。

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by shige_keura | 2011-10-26 08:25 | | Comments(0)
リーグ優勝と日本一の谷間に  -後篇-
日本プロ野球の球団数はセ・パそれぞれ6球団、
今までも口を酸っぱくして言っていたが、
3位までクライマックスの出場権を与えるのは甘すぎる。

ペナントレース優勝チームに対して
自動的に権利を与えるのは当然のことだ。

しかし、そのあとは精々2位まで、
或いはセパ両リーグから
1位以外勝率の良い2球団を選ぶのも一案だ。

このシステムで行けば、
ヤクルトの0.539、巨人の0.530が選ばれ、
0.526の日本ハムは権利を失ってしまう。

いずれにせよ、日本の球団数を考えれば
最多でも、4球団で争うのが常識的である。

パリーグ3位、西武の勝率は0.504、勝ち越し数はたったの1、
4位のオリックスとは僅か1毛差、
こんな成績のチームに日本一を争う試合を乱されたくはない。

既に始まっているMLBワールドシリーズ、
プレーオフシリーズの出場権を得るのは8球団だが、
球団の総合計は30と日本とは比べ物にならぬ。

以下が、今年プレーオフに登場した
各チームの勝率である。

アメリカンリーグ
東地区   ヤンキース   0.599
中地区   タイガース   0.586
西地区   レンジャーズ  0.593
ワイルド  レイズ     0.562

ナショナルリーグ
東地区   フィリーズ   0.630
中地区   ブリュワ-ズ  0.593
西地区   D・バックス  0・580
ワイルド  カ-ジナルズ  0.556  

どのチームも堂々たる成績!!
胸を張ってプレーオフに臨めよう。

尚、MLBの場合は単にプレーオフと呼んでいるだけだ。

日本は殊更「クライマックス」の名前を冠しているが、
なんだか、名前だけの一人歩きでうすら寒い想いがする。

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by shige_keura | 2011-10-25 08:32 | スポーツ | Comments(0)
リーグ優勝と日本一の谷間に  -前篇-
プロ野球ペナントレースは、ほぼ終了、
日本一を争うチームを選抜する
名ばかりの「クライマックス」シリーズが間もなく開幕する。

私は密かにこの争いを、
「谷間シリーズ」と名付けている。

今年の、セ・パ・ペナントレースは
ソフトバンクの為の如し!

このチームの強さは突出していた。

ペナントレース勝率6割6分2厘、
2位に18ゲームもの大差をつけた勝利、
セリーグ1位の中日の勝率0.564を
約1割も上回っている。

セ・パ・交流戦の勝率は0.813、
これは勿論、断然の首位、
2位のオリックスが0.682であった。

これ以上完璧な勝利など、ある筈がない。

もしも、この最強チームが
日本一選抜争いで3位の西武に敗れたら、
もしも、日本シリーズでセリーグ3位の巨人に負けたら、
これほど、どっちらけた結末もないだろう。

ソフトバンク以外に日本一になる資格のある球団は
ペナントレースの成績から判断して
あろうはずがないのである。

100歩譲って、終盤の猛追でヤクルトを逆転した中日に
挑戦者としての資格が付与されるぐらいだ。

それは、ペナントレースの対戦成績に
如実に表れている。

パリーグ、ペナントレース
ソフトバンクは日本ハムに16勝7敗1引き分け、
西武に対しては15勝5敗4引き分け。

セ・パ交流戦
ソフトバンクは中日に3勝1敗、
ヤクルトに2勝1敗1引き分け、
巨人に至っては4勝0敗と完封している。

まさに盤石の強さ!!
でんと構えていれば負ける要素は見当たらぬ。

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by shige_keura | 2011-10-24 08:34 | スポーツ | Comments(0)
名馬2頭  -4-
先ずは、私の日本史に対する
無知を露呈しなければならない。

その昔、絵本とは言え「源平盛衰記」を読んでいるので
その内容は概ね把握していた積りだ。

それが、どうだ、まるで間違えた認識をしていたではないか!

「池月」、「磨墨」の先陣争いで有名な「宇治川の合戦」、
この戦は、てっきり源氏と平家の間で行われたものと思っていた。

ところがどっこい、この合戦は、
頼朝、義経軍と木曽義仲が戦ったものなのだ。

木曽義仲は源義仲とも言われ、
頼朝、義経にとっては従兄弟に当たる人、
即ち、「宇治川の合戦」は源氏の内輪争いだったのだ。

いやいや、お恥ずかしい限りである。

この合戦への出陣前、
梶原景季は頼朝に「池月」の拝領を願い出た。
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しかし、頼朝は「池月」を手放すことを拒み
その代わりに「磨墨」を景季に与えた。
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「磨墨」はその名前の通り
磨った墨の様に黒光りした美しい馬、
景季は勇躍、馬にまたがり戦場に赴いた。

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by shige_keura | 2011-10-22 23:16 | その他 | Comments(0)
名馬2頭  -3-
ここは「洗足池」、
大田区の事は良く御存じでない方も
この池の名前は知っておられると思う。
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10月半ば、柔らかな秋の陽が降り注ぐ
絶好の散歩日和。
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カイツブリは木陰で羽を休め、
カメはこれぞ甲羅干し、
すぐ横を錦鯉がゆったりと泳いでいく。
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いっときの都会の喧騒を忘れ、
タイムスリップに身を任せる。

この「洗足池」、呼び名は同じだが
最初は「千束池」と表記されていた。

名前の由来は次の通りだ。

その昔、この大池から流れ出る水が
近辺の田畑の収穫に、
さらには村全体の収入に大きく寄与した。

そのため、住民は千束分の年貢を免除されたことから
「千束池」の名前が付けられた。

それが、日蓮宗の開祖の日蓮が
この池の畔で足を洗った故事に則り
「千束池」が「洗足池」に代わったのだ。
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池のほとりには日蓮が足を洗った時に
袈裟を松の枝にかけたと伝えられている
何代目かの「袈裟掛けの松」が植わっている。

松の枝には袈裟に代わって
注連縄が飾られている。

さて、この洗足池が、「磨墨」のライバル
「池月」と深く係り合いを持っているのだ。

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by shige_keura | 2011-10-21 09:18 | その他 | Comments(0)
名馬2頭  -2-
大田区南馬込1丁目に万福寺という古刹がある。
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切妻造りの立派な茅葺山門をいただく寺は
建久年間(1190年頃)、源頼朝の命を受け
梶原景時が建立したものである。
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「宇治川の合戦」で磨墨を駆ったのは
景時の子供、梶原景季である。
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従って、万福寺には景時の墓と共に、
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山門手前横に、堂々たる磨墨像が祀られている。
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景時が頼朝の信頼を集めるに至ったのには
次のような逸話が源平盛衰記に残されている。

頼朝が小田原の石橋山で兵を挙げ、
平家に挑んだものの惨敗を喫し、
数名の部下と共に洞窟に身を潜めた。

平家方は頼朝の止めをささんとして
追手を差し向けたのだが、
この中に、梶原景時は加わっていたのだ。

即ち、梶原家は代々源氏であるのだが、
景時の代には平家の配下に甘んじていた。

追手の大将の命を受け、
景時は洞窟に足を踏み入れた。

頼朝と景時の目と目が合った。

頼朝、もはやこれまでと切腹しようとした時、
景時がそれを押しとどめ、源氏再興を懇願し、
素知らぬ顔をし洞窟から出てきた。
               (万福寺に描かれている洞窟内の頼朝と景時)
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こうして、頼朝は真鶴から船で
阿房(千葉)に逃れ再起を期し
再び鎌倉を目指したのだった。
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尚、磨墨像の腹に描かれた紋所は、
鎌倉殿の「笹りんどう」、
梶原一族が頼朝の寵愛を集めていたことが読み取れる。

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by shige_keura | 2011-10-20 15:24 | その他 | Comments(0)
名馬2頭  -1-
又、競馬の話か、と思われるかもしれぬが
今回はそうではない。

歴史上で伝わる名馬は
競馬の世界ならば沢山居る。

昔のシンザン、ハイセイコー、
そして最近のディープインパクトのように。

ところが、競馬以外で名前が伝わり
我々の年代の人ならば誰もが知る馬は少ない。

今回は、その例外中の例外の名馬2頭の物語である。

大田区に馬込という名前の場所が今でもある。

この一帯は昔、九十九谷(つづらだに)と呼ばれていたように
土地の起伏が激しい丘陵台地を形成している。

話が余談となるが、もしもこの地の谷の数が99でなければ
大田道灌はこの地に江戸城を築いたかもしれぬ。

大田道灌は実際にこの地を見聞して
築城することに大いに心を揺るがされた。

ところが、谷の数が99と聞き、
苦が重なるのは縁起が悪いと計画を断念したと言う。

さて、今を去ること800年ほど前の大昔のことだが、
馬込一帯は馬の産地として有名で
放牧場の柵内に馬を留めていた(込めた)為、
「馬込」という地名となったことが伝わっている。

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by shige_keura | 2011-10-19 08:49 | その他 | Comments(0)



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