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母校誕生秘話  3 -二つの学校-
片山廣子の「L氏殺人事件」、
惨劇の模様を紹介する前に
随筆の冒頭を記してみよう。

「今から何十年前の事である。
 L氏殺人事件といふ騒ぎが麻布の
 或る女学校に起こって世間を驚かせた。
 私はいまだ13か14の少女で
 その女学校の寄宿生だった。
 ・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・
 その学校は丘の下の平地に建っていて
 門を入ると右手に生徒の出入り口があり
 教室がいくつも続いて・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・
 そのいちばん端の東南に向かった角に
 校長先生L夫人の部屋があって
 L氏もその部屋に夫人と一緒に暮らしていた。
 その扉のそとでL氏が殺された。
 ・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・
 L夫人は前にはミスSと云って、
 もう長くこの女学校の校長(2代目)をつとめていた。
 L氏は丘の上のT学校の先生で
 夫人よりは、ずっとあとから日本に来た人だが
 縁あって二人は結婚し、二つぐらいの女の子もできていた。
 ・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・」

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by shige_keura | 2011-11-30 17:10 | その他 | Comments(0)
母校誕生秘話 2  -才女の受けた衝撃-
1890年4月4日の夜半、
東洋英和女学校内の宿舎で起こった悲劇。

ここに小林一三のほかに、もう一人、
事件の詳細を随筆集の中に書いた才女がいた。

その人の名前は片山廣子。

日本近代詩歌の草分け、佐佐木信綱門下で
最も光り輝いた女性であり、
松村みね子のペンネームで
アイルランド文学の翻訳の第一人者として
坪内逍遥、森鴎外等の絶賛を浴びた女性である。

更に彼女は若くして自らの命を絶った
芥川龍之介が信頼と思慕を寄せた人物として
知る人ぞ知るの存在だった。

芥川は14才年上の廣子を評していた。
               (東洋英和女学校卒業直後の廣子、1896年頃)
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「彼女は私と知力の上でも格闘できる数少ない人、
 気品に溢れた彼女は絶対に人の悪口を言わない、
 まさに、清楚で芳しい香りの”くちなし夫人”、
 典雅の女性である」
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彼女は77歳にしてエッセイスト・クラブ賞を受賞した
「燈火節」の中で、「L氏殺人事件」と題し、
ラ-ジ師殺人事件の詳細を伝えている。

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by shige_keura | 2011-11-29 18:08 | その他 | Comments(0)
母校誕生秘話 1  -異国の地に眠る男-
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11月25日、ここは青山霊園内にある外人墓地。
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”秋の陽はつるべ落とし”
何時の間にか陽は西に傾き、
冷気を含んだ風が頬をなでる。

ときおり、積もった枯葉が風にあおられ
かさこそと冬の足音を奏でている。

目の前の古い墓碑、
Memory of Rev. T. A. Largeとある。
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「ラ-ジ師に捧ぐ」
これだ! これに間違いない!!

名前の下には、”Killed April 4,1890”、
ラ-ジさん(カナダ人宣教師)は殺されたのだ。
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彼は何故、どのように殺されてしまったのか?

その背景を探ってゆくと、
そこに、私の母校、
麻布学園誕生にまつわる秘話が横たわっている。

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by shige_keura | 2011-11-28 18:08 | その他 | Comments(0)
異端児逝く
「俺が死んだら、こういう新聞の見出しにしてくれ」

”談志が死んだ”、”だんしがしんだ”、
どちらから読んでも同じ、即ち、回文だ。

実際に、そのような見出しが出たか分からないが
立川談志が11月21日亡くなった、享年75歳。

私は彼の実際の高座は見ていない。

しかし、マスコミへの露出度も高かったので
テレビを通じ、高座をはじめ彼の言動に接してきた。

自信満々、客を客とも思えぬ態度、
古典芸能をバカにしたような芸風、
お行儀もすこぶる悪い、
好き嫌いがこれほど分かれる噺家も居ないだろう。

私は彼のことは好きではないが、
見るのもいやだ、というほどに嫌いでは無い。

彼の話術には独特の味が有り
それが、魅力のひとつであることは否定できぬ。

ただ、高座にハンチングをかぶって登場したり、
途中で、「鼻の具合が悪くなってきやがった」と、
高座を一時退席し、舞台の横手で
破れるような音で鼻をかんだり・・・・・

そうかと思えば、脈絡のない話しを
延々と30分も続けたり・・・・
「俺の噺は・・・・・・なんだっけ?
 ・・・自己嫌悪になってきやがった」

「饅頭怖い」の一席で、登場してきた途端、
「この噺の下げは、”お茶が怖い”なんですけどね」と
言ってみたり・・・・・・

しかし、このハチャメチャな芸風が自然には感じられず、
彼のしたたかな計算が裏に潜んでいると、思わせてしまう所に、
立川談志の或る意味、限界が露出したのではあるまいか?

そう思って見てみると、
立川談志の心の中の寂しさ、虚勢、自信、怯え、
様々な葛藤が見えるような気もする。

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by shige_keura | 2011-11-26 18:21 | その他 | Comments(0)
歓びの日、ヒーローの誕生 -3-
戦後直後のプロ野球のクリーンアップトリオは
川上であり藤村であり大下になる。
               (左、赤バットの川上と青バットの大下)
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川上の赤バット、藤村の物干しざお、
大下の青バットから放たれる打球に
観客は狂喜乱舞した。
               (物干し竿バット、藤村富美男)
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芝居は主役だけでは成り立たぬ、
それは野球も同じ。

打者の名脇役が「猛牛」、千葉であり、
               (猛牛、千葉茂)
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               (阪急時代のじゃじゃ馬、青田昇)
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「じゃじゃ馬」青田であり、「神主」岩本であり、
               (神主打法、岩本義行)
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「親分」鶴岡に加えて小鶴、飯島、別当、土井垣等々、
               (左から、別当、若林、藤村)
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なんと個性豊かなプレーヤーが光り輝いていたことか!
               (左、小鶴誠に戸倉勝城)              
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投手にしても、若林、別所、杉下はじめ
誇り高いお山の大将が君臨していた。
               (別所毅彦)
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それに引き換え、今の球界、
特にセリーグの個性の無さは救いようがない。

名前だけニックネームを付けても
中身が変わらねば張り子の虎だ。

話を打の主役三人に戻そう。

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by shige_keura | 2011-11-25 09:19 | スポーツ | Comments(0)
歓びの日、ヒーローの誕生 -2-
神宮球場で行われた第一戦は
投手の未調整も有り乱打戦、
結果は東軍の13-9の勝利となった。

詰めかけた観客は5878人、
さぞかし幸せ一杯胸一杯の気持ちで
ヒーロー達の活躍に酔いしれた事だろう。

試合時間は2時間5分、
スコアから考えて異例の速さ、
昨今の試合とは比べ物にならぬほど
濃密で凝縮された試合だったに違いない。

両軍の先発選手は
大下を除き、全てが戦前からプロで活躍していた。

しかも、大下は明治在学中
野球部には所属していたものの
戦争の関係で神宮のグラウンドに立った経験は無かった。

観客は勿論選手たちにとっても未知な大下弘。

しかし、全員が彼のバットから打ち出される打球に目を剥いた。

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by shige_keura | 2011-11-24 09:02 | スポーツ | Comments(0)
歓びの日、ヒーローの誕生 -1-
昨日予告したように、
今日11月23日はプロ野球にとって記念すべき日!

どのような記念日なのか?

余程の野球通の方でも
プロ野球にとって、この日が持つ意味を
ご存知ないのではあるまいか。

昭和20年、11月23日、
戦後初めて球音が神宮の杜に響いたのだ!

敗戦から数えてちょうど100日目、
この日にプロ野球が東西対抗戦として復活したのだ。
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大戦で灰塵の街と化した東京、
僅か100日目で行われたプロ野球、
しかも、野球は戦争敵国の国技である。

ここに、敗戦は望むところでは無かったものの
戦争終結の安堵と共に
民衆が楽しみにしていた野球を、
グラウンドを駆け巡るヒーローの帰還を、
如何に待ちわびていたか!!
待望久しの心が読み取れる。

そして、多くの観衆は
新たなヒーローの誕生に酔いしれたのである。

  

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by shige_keura | 2011-11-23 08:47 | スポーツ | Comments(0)
完敗!!!
下の数字は何を意味するのか?、
お分かりになるだろうか??

           A      B
1.11月12日  9.2    15.4

2.11月13日  9.1    16.3

これは、両日、同じ時間帯に放映された
二つのスポーツ番組の視聴率である。

Aがプロ野球日本シリーズの第1,2戦、
Bがバレーボール女子ワールドカップの
12日が韓国戦、13日がブラジル戦で
日本が大金星を挙げた試合である。

いずれにせよ、この数字は
プロ野球に、昔日のような、
人を引き付ける魅力が失われたことをまざまざと示している。

一昔前であれば、最終戦までもつれた日本シリーズならば
日本中が沸き上がり、視聴率も2ケタは当たり前、
20%以上は記録した筈である。

それにしても10%に届かぬとは・・・・・

ただ、数字が示す如く、
今回のシリーズは詰まらなかった。

当初、中日が連勝した時に思い出したのが
1960年、知将、三原に率いられた大洋が
戦前の予想を覆し、強打の大毎をストレートで下したシリーズだ。

4試合すべてが1点差の勝利、
魔術師、三原の名前が天下にとどろいた。

このとき、貧打の大洋打戦でさえ
4試合で11点をたたき出した。

それが、今回の中日は7試合戦って9点、
これでは勝てるわけはなく、
むしろ最終戦までもつれ込んだのが奇跡である。

息詰まる投手戦とは名ばかりの
眠気を催す貧打線。

それにしては試合時間の長いこと!

3時間半もダラダラ続いては
昨今の、時間だけは水増しで、内容の乏しい、
大作映画を見る如しだった。

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by shige_keura | 2011-11-22 08:44 | スポーツ | Comments(0)
枯葉さまざま  -3-
シャンソンの「枯葉」から、
一人の枯葉老人へと話題を変える。

小沢昭一さんは、私の中、高の大先輩だ。

彼が中学に入学した昭和16年、
同期には大西信行(劇作家)、をはじめ
フランキ―・堺、加藤武、仲谷昇、等々
後に演劇、映画関係で活躍する異才が光輝いていた。

今や、同校は政治家、総理大臣を輩出する学校になった。

これは、本来ならば誇れるべき筈なのだが・・・・・、
顔ぶれを見渡すと溜息が出てくる。

話題を誇れる先輩、小沢昭一さんに戻す。

今年、82歳になられた大先輩が受けたインタビュー、
小沢昭一的80歳のこころ、
「今愛おしいのは枯葉と女房」を読んで
我が身、御同輩を振り返り、ニヤニヤしてしまった。

大先輩はこう言っている。

先輩をご存知の方は(殆どの方が知ってるはず)、
是非、彼の悪戯っぽい顔と名調子を思い浮かべながら
お読みいただきたい。

「僕は枯れた葉っぱが大好きでね。
 あの複雑な色と云うのは、人間ならば老人の色。
 近頃は枯葉を見ると自分を見ているようですね。
 良い枯葉が落ちてると、自分が”野垂れ死に”
 させられているような気分になって持って帰るの。
 ・・・・・・・・・・・」
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確かに、確かに!!、
枯葉と云っても千差万別、
しみだらけのような醜いものもあれば、
なんとも味のある色合いをしているものもある。
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by shige_keura | 2011-11-19 17:03 | その他 | Comments(0)
枯葉さまざま -2-
もともとのフランス語のタイトルは
"Les Feuilles Mortes"、
直訳すれば「死んだ葉っぱ」になるのだろうか?
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これが、アメリカでは”Autumn Leaves”、
そのまま訳せば、「秋の葉」となる。

日本での曲名が「枯葉」、
雰囲気はフランス語に近い。

日本人として最初にこの歌を見つけた
高英男は、どのような歌詞で歌ったのだろうか?

「枯葉よーーーーーー、 
 絶え間なくーーーーーー、
 散りゆくーーー、枯葉よーーーー、

 風に散るーーーーー、落ち葉ごとーーー
 冷たい土にーーーー、落ち果ててーーー」

この先の歌詞は分からないが
余り面白くなく、深みが無いようだ。

これだけでは恋の歌だか? なんだか良く分からない。

ナット・キング・コールは
流暢な日本語で次のように歌った。
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「窓辺にーーーー
 散りゆく―ーーー
 並木のーーーー、枯葉よーーーー、

 想いで―ーーー、かなしくーーー
 忘れられぬーー夏の日ーーー

 君の腕、優しくーーー
 私を抱きてーーー

 つきせぬ恋の夢よーー
 語りしあの日ーーー」

この歌詞だと、「あー、これは切ない恋の歌」だと分かる。

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by shige_keura | 2011-11-17 08:27 | その他 | Comments(0)



2007年9月末にこちらに引っ越してきました。
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