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怪童の思い出 -後篇ー
4月8日パリ―グ開幕第2戦、
神宮に詰めかけた観客は6万人を記録した。

当日行われた後楽園の巨人・阪神が4万人、
何故、東映・大毎のカードにこれだけの観客が詰めかけたのか?

これは、ひとえにオープン戦で長嶋をキリキリ舞させた
尾崎行雄の登板を見たかったからだ。

それは3月28日、浜松でのオープン戦、
尾崎は打者・長嶋の所で登板した。

東映を率いて2年目の水原茂監督の腹はこうだった。
ここで、長嶋を押さえればペナントレースで切り札に使える。
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勝負はたったの4球で決まった
尾崎の投げる快速球に長嶋のバットは空を切った。

「へー本当ですかー、あれが17歳、うーん、信じられませんね」
これが長嶋の試合後のコメントだった。

あの、長嶋を直球一本やりで仕留めた尾崎だ、
ミサイル打線、葛城、榎本、山内、田宮との勝負は如何に!

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by shige_keura | 2013-06-18 18:53 | スポーツ | Comments(0)
怪童の思い出 ー前篇ー
甲子園で数々の名勝負を裁いた永野元玄さんの言葉だ。

「一番速かったのは、何と云っても江川ですわ、
 それも2年生の時が一番速かった。
 彼の速球はホップするので高めの見極めが大変、
 そのため、いつもよりコールが一拍遅れていましたね」
               (作新高校時代の江川卓)
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ならば、永野さんが1961年の優勝投手、
尾崎行雄をジャッジしたならばどう言われただろうか?

甲子園を沸かせ、プロ野球界に震撼を与えた
尾崎行雄さんが6月13日亡くなられた
享年、68歳、慎んで御冥福をお祈りします。

先月末に体調不良を覚え今月7日入院
驚くべき早さで進行する肺癌による急逝、
いくらボールが速いと言っても、
こんな所にまで彼の特徴が表れるとは・・・・、
短いプロ野球人生と共に切ない想いがしている。

1961年夏の甲子園、
主役は間違いなくこの二人だった。
               (法政二高当時の柴田勲)
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かたや、前年夏の覇者、法政二高のエース、柴田勲、
こなた、雪辱を期す浪商の2年生エース、尾崎行雄。
               (浪商高校時代の尾崎行雄)
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両校行き詰る熱戦は延長戦にもつれ込み
最終的に4-2で浪商に凱歌があがった。

同年秋、柴田は読売ジャイアンツへ入団、
尾崎も高校2年で中退し東映フライヤ―ズに入団した。

翌年の二人のデビュー、
これほど明暗を分けたものも少ないだろう。

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by shige_keura | 2013-06-17 20:24 | スポーツ | Comments(0)
隠れたる史跡を訪ねて
今回の内容は、鎌倉時代の隠れたる史跡訪問、
鎌倉と逗子の間にひっそりと眠っている。

源頼朝が初の武家政権を樹立したのが1180年、
その本拠に選んだのが鎌倉だった。
               (鎌倉、源氏山にある頼朝像)
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鎌倉を選んだ最大の理由は立地条件、
前方は海を臨み、後方は山に囲まれる天然の要塞、
攻め落とすのにこれほど難儀な場所もない。

しかし、そこは諸刃の剣、
敵の攻め方によっては孤立を余儀なくさせられる。

こうして、周囲の地と人の往来、物資運搬の為
最小限の道を切り開いていったのが鎌倉切通し、
今では「鎌倉七口」と呼ばれている。

基本的には道幅は狭いのだが
利用目的に因って微妙に異なっている。

鎌倉幕府3代目の実朝は海に目を向けた。

今でも箱根十国峠には
実朝が相模湾を見下ろしながら詠んだ句碑が残っている。

「箱根路を わが越えくれば 伊豆の海や
 沖の小島に 波の寄る見ゆ」
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彼は本格的に宋との交易を目指したが
建造船があえなく座礁し夢を断たれてしまう。

実朝没後を継いだ北条氏は港の建設に力を入れ
由比ヶ浜東端に和賀江島港を築いた。
               (和賀江島港復元図)
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時に、1232年、この港が日本最古に築かれた港で
今は遠浅の時だけ海面に顔を出し往時の一端を伝えている。
               (今に伝える和賀江島港の痕跡)
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和賀江島港に続き東京湾に面する六浦に
より安定的に運営できる大規模な港が作られた。

六浦に立派な港を作っても
鎌倉との間に道が無ければ
港としての機能を果たした事にはならない。

こうしてできたのが朝比奈の切通し、
鎌倉七口の中では比較的道幅があり整備されていた。

一方、名越の切通しは鎌倉から逗子に抜ける切通し、
当初、難越(なこし)と命名された通り
山の間を縫うように作られた峻険な道だ。
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何故ならば、当時鎌倉側にとっては
衣笠城に本拠を置く三浦氏は大きな脅威だった。

ここに広い道を作れば
三浦氏に攻め込まれる危険性が高くなるからだ。

さりとて、最小の通り道、
せめて三浦氏の動静を探る
間者の往来を助けるルートが必要だった。
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こうして出来上がったのが名越えの切通し、
今でも当時の面影を残す貴重な史跡である。

更に、ここの切通しには
鎌倉時代の重要な文化遺産
「まんだら堂やぐら群」があるのだ。

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by shige_keura | 2013-06-14 09:45 | | Comments(0)
天下りの特等席
「人生の特等席」、クリント・イーストウッド主演、
昔ながらの自分の目と耳に頼るプロ野球スカウトのお話、
最近見た映画の中では最も好きな作品だ。

プロ野球はアメリカ、日本、国は違えど
夢をはぐくむ健全な娯楽スポーツの筆頭にあると言って良い。

その日本プロ野球が、
ボールの飛ぶ、飛ばないで大きく揺れている。

野球に興味のある方ならば
今年の異変をとうに嗅ぎ取っていた。

2011年統一球採用以来激減した本塁打、
それが、本年に入りピンポン玉のようにボールが飛んでいく。

「これはおかしい? ボールを代えたに違いない」

一般ファンならば誰もが抱く疑問に対し
日本プロ野球機構、ボースメーカー(ミズノ)は一貫して否定し続けた。

よせばよいのに、提灯持ちのマスコミは
「統一球に打者が慣れてきたためだ」とほざいた。

野球ファンの目をなめるなよ!
おめーら、何か隠してるな!!

そして、本日、プロ野球機構は一転
ボールをシーズン当初より代えた事、
ボールメーカーには、これを発表するなと緘口令をしいた、
つまり、事実を隠蔽してきたことを告白した。

この馬鹿野郎めが!!

加藤コミッショナーは謝罪会見をしたが
その言い草が振るっている。

「私は何も聞いていなかった。
 しかし、これは、私としては不祥事だと思っていない、
 今後、ガバナンスの強化に努めたい」

2,3行目のくだりは矛盾に満ち満ち
本人も常識あらば妙な事を言ったなと
今頃反省しているだろう。

ただ、「私は何も聞いていない」のくだり、
これは、現在の日本プロ野球のコミッショナーの存在を考えると
あながち嘘とは言えないと考える。

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by shige_keura | 2013-06-12 23:40 | スポーツ | Comments(2)
蒸し暑さはネバネバで
例年の如く気象庁の梅雨入り宣言を待っていたかのように
晴天の真夏日が続いたが、
台風3号の北上と共に
漸く梅雨らしい気配が漂い始めた。

これは、未だ7月並の暑さが続く頃の一日
その日の夕食は独りで家で過ごす事となった。

渋谷あたりでお弁当を買ってくれば事は足りるのだが
何となく自分で簡単夕食を作りたくなった。

独りで簡単に作れるものは鍋ものなのだが
この暑さに汗をタラタラ流しながら食べたくは無い。

そんなときに思い出したのが
最近の新聞で紹介されていた「ネバネバ丼」である。

これは至極簡単、
今日の様な日には丁度良い。

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by shige_keura | 2013-06-11 09:04 | | Comments(0)
上越・北信の旅 -白樺そよぐ山かげの・・・・-
志賀高原、最初の思い出は霧の中、曇天、
バスガイドが歌う「山かげの道」が妙に浮いていた。

「白樺そよぐ、山かげの、
 丘の細道、どこまで続くーー
 あああー、君恋し・・・・・・・・・・」

確か高校1年生の時の遠足が
一泊二日の志賀高原だったと思う。

霧に隠れて姿を見せない白樺、
仲間が持ってきた良からぬ本を廻し読みしていた、
それが志賀高原の最初の思い出だ。

まったくもって志賀高原のイメージとかけ離れている。

次は大学生の時、勿論スキ-である。

丸池の杉山進スキー教室で学んだり
アイスバーンのジャイアントの急斜面をおっかなびっくり滑ったり、
夜は夜で果てるともなく卓を囲んだり、
この頃が、最も志賀高原と濃密に係り合いを持った頃だ。

スキーと言えば蔵王か志賀高原だった。

朝起きると雪がちらついている。

「スキーをやる天気じゃないな、
 麻雀にしようぜ」

大学生時代のスキーは大体、こんなものだった。

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by shige_keura | 2013-06-07 17:53 | | Comments(2)
上越・北信の旅 -白があるでよ、2-
白アスパラガスの栽培が盛んになってきた日本、
とは言え、ここ広い飯綱地区で
岡田農園以外に白アスパラを手掛けている所は無い。

その、大きなわけは、栽培に非常に手が掛かるからである。

グリーンアスパラとホワイトアスパラの違いはたったひとつ、
白アスパラは太陽の光を避けて栽培することである。

その場合のやり方は主に三つある。

1.穂先、茎が地上に出て太陽に当たらぬよう,
  頃合いをみて盛り土をする

2.トンネル、洞窟内、太陽光が届かぬところで育てる

3.遮光シートを被せ地上に出ても変色を防ぐ

北海道の栽培方法は主に1.だったが
最近は岡田農園と同じ3.を取り入れている農家もあるそうだ。

いずれにせよ、グリーンアスパラと違い
ホワイトアスパラガスの栽培には相当なエネルギーを要する。

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by shige_keura | 2013-06-06 08:33 | | Comments(0)
上越・北信の旅  -白があるでよ、1―
ここは岡田さんの栽培農園だが
白い覆いの下には何があるのだろうか?
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隣の覆いの無い地面から
にょきにょき緑色のものが生えている。
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覆いの下には同じ名前の・・・・・、
ここまで言えば誰でもお分かり、
そう! ホワイトアスパラガスである。

自分の子供のころを振り返ると
アスパラガスは全て白い色をして缶詰の中に入っていた。
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周りには余り好きだと言う人は居なかったが
私は缶詰のアスパラにマヨネーズをつけて食べるのが好きだった。

それが何時頃のころだろうか?
高校生時代あたりに緑のアスパラが
八百屋、スーパーの軒先に並ぶようになった。

缶詰よりも断然旨い!!

バター炒め、直火焼きで醤油を垂らす、
オイルフォンデュでフライも格別の味、
缶詰の白アスパラには見向きもしなくなった。

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by shige_keura | 2013-06-05 10:06 | | Comments(0)
上越・北信の旅 -赤がなくてもー
昨年秋にリンゴ狩りを楽しんだ
岡田正さんのフェルム・ド・ポムを訪れた。

昨年は冷たさを覚える風の中
真っ赤に色づいたリンゴが吾等を迎えてくれた。
               (昨年11月訪問時、真っ赤に色づくリンゴ)
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今回はまだリンゴの実の形すらない。

今は形が良く美味しいリンゴが実る為の下準備
摘花作業の真っ最中だ。
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摘花とは真ん中の花だけ残して
周りを全部摘む事を言う。
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これをやらないと大きく形の良いリンゴが実らない。

この作業は機械では出来ず、全てが手作業、
おまけに、今年は天候不順、
桜の上に雪が積もることもあり、
リンゴの花も霜の影響を大きく受けている。

摘花が終われば次の仕事、
実の陽当たりを良くするために
影になる葉を取り除く作業が待っている。

これも全てが手作業だ。

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by shige_keura | 2013-06-02 17:33 | | Comments(0)



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