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先生といわれるほどの・・・・・・
「先生といわれるほどの馬鹿じゃなし」

江戸時代の川柳のひとつで
本来尊称である筈の先生が
軽侮の呼び方に使われている。

「おい先生、茛盆(たばこぼん)を取ってくんな」
やくざの親分が用心棒に言ったりしたものだ。

「あの先生ときたら、うふっ・・・・」
笑い話の材料にされる男を先生と呼ぶ。

ましてやこれに大の字をつけて、
大先生などという場合は、
揶揄ひやかし以外のなにものでもない。

上記の一文は、中学・高校の大先輩、
時代考証にお詳しい脚本家、大西信行さんの
「大江戸知る知る帳」からの抜粋だ。

話は数年前に遡るが、
銀座で映画講演会を引きうけた時の事、
司会者からいきなり先生と紹介され、
以降、先生、先生の連発に閉口した。

次回からは先生はやめてほしいとの願いは
あっさりと却下された。

「講演される全ての方を先生と呼んでいますから」
これが主催者側の方針というか、やり方だ。

以降、悪友たちは当然のことながら
なにかにつけ、先生、先生と薄笑いを浮かべ声を掛けてくるようになった。

「こん畜生め!」と思うものの、
どうすることも出来ず歯がゆい想いをしている。

さてさて、今回行われた映画祭、
何名かの方にゲストとして講演、
名付けて「トークショー」をお願いした。

そこで、問題となったのが
司会者がどのように紹介するかであった。

「さん」で構わないと思ったものの
結局は無難な選択、「先生」に落ち着いた。

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by shige_keura | 2013-11-09 17:37 | その他 | Comments(0)
飴の効き目は??
麻に雀ならば麻雀とくるが、扇に雀だと扇雀、
今でも大阪の人たちは、
歌舞伎界の重鎮にして人間国宝、坂田藤十郎を
2代目扇雀当時の愛称、「せんじゃくはーん」と親しみを込めて呼ぶと言う。

11月の国立劇場は通し狂言「伊賀越道中双六」
坂田藤十郎が当たり役、呉服屋十兵衛に扮し、
貫録たっぷり、時には軽妙なお芝居で満場を魅了した。
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今回は観客席を道中する特別サービス、
偶々、すぐ横を通って行ったが
12月で82歳を迎えるとは思えぬ若さに驚いた。

扇雀から雁治郎、そして坂田藤十郎へ、
若さを保ちながら芸域は熟達の度を深めてゆく。

今や、大名跡、歌舞伎界を背負う
一枚看板に相応しい存在感を見せている。
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私は東京の人間なので、余りピンとこないが
藤十郎の若い頃、即ち、中村扇雀の関西での人気は桁はずれだった。

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by shige_keura | 2013-11-08 09:26 | | Comments(0)
究極の珍プレー
日本プロ野球の公式日程は
楽天の日本シリーズ制覇で目出度く終了した。

私自身は巨人ファンだが
今回の結果には満足している。

第6戦で不敗のエース田中に土をつけた事で
すべてが終わったような感覚に襲われ
あとは第7戦で巨人は言わば敵役に甘んじれば良いと思った。

さて、今日は歴史上に2度とない珍プレー、
アメリカと日本で起こった事件二つの紹介だ。

先ずはアメリカ・メジャーリーグ
時は1895年ということは、
未だ日本では学生たちの間で漸く野球が行われ始めた頃のことだ。

主役は当時ニューヨーク本拠のジャイアンツ
不名誉極まりぬ当事者の名前はマイク・グラディ3塁手、
なんと、彼は一つのゴロで四つのエラーを記録した。

打球を処理しようとしてファンブルしたグラディ(最初の失策)は
1塁へ暴投し(ふたつ目の失策)球はフェンス際の転がった。

打者・走者はそれを見て、2塁を回り3塁に向かった、
しかしながら好送球でアウトと思われたのだが、
それをグラディは横にはじいた(三つ目の失策)。

そこでランナーは本塁に向かって疾走、
だが、余りにも無謀な突入と思われた。

ところが、ところが、グラディは本塁へ悪送球(四つ目の失策)
前代未聞の独り相撲でみすみす相手に1点を献上した。

チームメイトとベンチの雰囲気は最悪、
グラディはグラウンドから逃げ出したい気持ちとなったことだろう。

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by shige_keura | 2013-11-07 09:04 | スポーツ | Comments(0)
晩秋の向島 -至福のひと時-
2010年、毎年恒例となった「大田商い観光展」
4階の大ホールは定刻を前に黒山の人だかり、
大劇場のお芝居の始まりもかくやといった熱気にあふれていた。

今回の目玉、小沢昭一さんのトークショー、
「小沢昭一的蒲田のこころ」開演直前だ。
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400人収容のホールは予約でほぼ一杯、
入場できぬと分かって落胆する人、怒る人、
主催者側の対応は難儀を極めた。

小沢昭一さんの人気の凄さに今さらながらに驚いた。

定刻を10分ほど過ぎた頃
聴衆の心配を尻目に主人公は飄々と舞台に登場した。
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演壇前のテーブルからコップを手にとってひと言、
「ここに居られる人たちだけの健康を祈って乾杯!」

あとは、小沢昭一さんのペースに乗せられて
聴衆は話芸に酔い、ハモニカ演奏にヤンヤヤンヤ、
1時間半があっという間に過ぎていった。

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by shige_keura | 2013-11-06 08:40 | | Comments(0)
晩秋の向島 -最初の出会い-
それは、私が高校2年生の頃だっただろうか、
その日の光景は妙に覚えている。

放課後、下校時間は過ぎた頃、
秋の夕日が閑散とした運動場に照り映えていた。

「さてそろそろ家に帰って・・・・・・」
と、ふと振り返ってみると
数名の大人が運動場を横切っていった。

その輪の中にテレビで見慣れた顔があった。

「なんだ、なんだ! フランキ-・堺さんじゃないか!!」

帰宅は即刻中止、
大人たちのあとについていった。

暫くすると、フランキ-さんと二人の大人が
鉄棒にぶら下がって嬉しそうに笑っている。

何枚かの写真が撮られたところを見ると
「懐かしの母校を訪ねる」の名目で、
どこかの雑誌に掲載されるのだろう。

鉄棒にぶら下がった時、
漸く、もう一人の大人が小沢昭一さんと分かった。

その時の、お二人の笑い顔、
何とも魅力的な童心に帰った良い表情をされていた。

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by shige_keura | 2013-11-05 10:34 | | Comments(0)
晩秋の向島 -話芸の鑑は右翼の総帥ー
今では伝説的とも言える、長寿ラジオ番組、
「小沢昭一の小沢昭一的こころ」がスタートしたのは1973年。
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以来、約40年に渡って小沢話芸は
電波を通じファンを魅了した。

この番組はトヨタの冠スポンサー、
ラジオとしては珍しい同一全国ネット、
この番組の人気の高さが窺える。
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当時の落語協会会長、柳家小さんはこう語っている。

「いやー、驚いたね-!
 こりゃ本当の現代の落語だぜ」

落語名人も唸らせた小沢さんの話芸、
この源流を辿ると一人の右翼政治家がが現れる。

その人の名前は赤尾敏、大日本愛国党総裁、
若い頃は社会主義者だったそうだが
吾々の知る頃の彼はバリバリの右翼の総帥だった。

だからと言って、これが小沢さんの政治思想を示すものではない。

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by shige_keura | 2013-11-03 22:00 | | Comments(0)
晩秋の向島 -話芸の達人ー
弘福寺のお墓参り、
お墓の主人は「話芸の達人」である。

名前は小沢昭一、
残念ながら昨年12月10日に世を去った。

小沢さんの口調を思い浮かべながら
下の一文をお読み願いたい。
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「北海道は秋になりますと、朝夕ぐっと冷え込んでまいりまして、
 もののあわれを感じさせるというか、
 女性は人の肌のぬくもりが恋しくなるんだと申します。
 夜更、自分の吐く息が白く見えるとき、
 たまらなく淋しくなって、・・・・・・
 北海道の女性は、隣に肩を並べている男に
 身を寄せてくるという。

 これを狙わなくて何が秋の北海道の旅でありましょうや。
 シャケがなんだ、ジャガイモがなんだ。」
               (「小沢昭一的こころ」芸術生活社)
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小沢ファンならずしても堪らないだろう。

「・・・でありましょうや」、これぞ、話芸の達人小沢節の真骨頂だ。

小沢さんは東京の代田橋付近で生まれ
4歳の時から十数年蒲田で過ごし、
当時の滑りどめ学校と小沢氏自身が仰る
麻布学園に通われた。

この、蒲田・麻布の生活体験が
のちの多芸多才の小沢さんの活力の源となってゆく。

小沢さんは32歳の時、昭和36年10月に
ここ向島・弘福寺にお墓を建立した。


何故、先祖と所縁のない向島を
墓所と定めたのであろうか?

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by shige_keura | 2013-11-02 11:06 | | Comments(0)
晩秋の向島 -黄檗宗と咳止め飴-
目指す目的地は弘福寺、
東京では数少ない黄檗宗の名刹である。
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黄檗宗(おうばくしゅう)とは禅宗の一派で
臨済宗、曹洞宗に比べ勢力は弱いが
れっきとした禅宗三派のひとつである。
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その特色のひとつは、
臨済宗、曹洞宗が日本伝来以来日本風に変化していったが
黄檗宗は明朝風様式を今に伝え、
読経は今でも古い中国語の発音で行っていると言う。

黄檗宗を日本に伝えたのが中国の僧、隠元
彼は1654年に来日し、
1661年山城国に萬福寺を開き
日本における黄檗宗の開祖となった。

隠元はその名から推察される通り
インゲンを中国から持ち込んだ人であり、
それ以外にも孟宗竹、西瓜、蓮根を紹介した。

更には中国式の精進料理とされる
普茶料理を持ちこんだのも隠元禅師、
その料理の意味するところは
「あまねく(普く)衆人に茶を施す」となる。

その昔、中学校の頃だったかと思うが
法事のあとの会食が、黄檗山の普茶料理とかで
赤坂の由緒ありげな料亭に足を踏み入れた事が或る。

しかし、普茶が肉を全く使わぬ料理と聞いて
吾の気勢は全く上がらなかった。

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by shige_keura | 2013-11-01 10:34 | | Comments(0)



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