Top
<   2014年 11月 ( 11 )   > この月の画像一覧
アンコ椿は・・・・・
今となっては、とんとお目にかからない二千円札だが、
紙幣の裏に描かれている女性は誰か?
覚えておられるだろうか。

間違っても樋口一葉とお答えにならないで欲しい。
彼女は五千円札の中に描かれている。

登場人物は男性2名と女性1名である。

女性はともかく、3名全て答えられる人は
そうそう居ないのではないだろうか。
c0135543_22204227.jpg

11月14日、後楽園からの帰り道で立ち寄ったのが神楽坂、
あてもなく歩いているときに目に留まったのが「梅花亭」、
これは有名な店に違いない。
c0135543_2225869.jpg

案の定、明治中期に柳橋で創業した老舗の暖簾分けながら
昭和10年以来神楽坂に店を構え今年で80年を迎える。

季節の銘菓、「栗きんとん」の名前に引き寄せられ店内に入ったところ、
「椿餅」なる菓子に目がいった。

「櫻餅」、「柏餅」、笹の葉でくるんだ「よもぎ団子」ならば良く知っているが
「椿餅」とは聞き慣れない。
c0135543_2218209.jpg

爺と感じの良い若い女性店員とのやりとりである。

「この椿餅って???」

「中に漉し餡が入っています。
 椿の葉は大島からのものですが食べられません」

「そりゃそうだろう。だけど、椿の葉って香りがするのかね?」

「いやー、どうでしょうか、しないですね。
ですけど、和菓子は古くは中国から伝わったものですが
日本固有の和菓子としては椿餅が最も古いのですよ。
 何しろ平安時代の時からあったのですから、是非お試しください」

続きを読む
[PR]
by shige_keura | 2014-11-25 21:17 | | Comments(0)
イチョウも迷惑
11月中旬、秋晴れにつられて昔懐かしい麻布に足を運んだ。

そのひとつの目的は善福寺の大イチョウを見に行くことだった。
c0135543_21303053.jpg

60年以上も前の小学校の頃、ここ一帯は爺の縄張り、
悪友と日が暮れるまで遊びまわっていたものだった。

しかし、当時はこの寺が善福寺だということも
「逆さイチョウ」の名前の大イチョウがあることも知らなかった。

寺の階段を上がった所の焼け野原からは麻布十番から芝にかけて
一望に見渡せたが今や街の表情は全く変わってしまった。

それは10年ほど前の事だったが
親友のひとりが酔った勢いで建設会社に勤務している友達に噛みついた。

「お前ら建設会社は都市計画の思想が全く無い!
街をぶち壊しているだけじゃないか」。

そこから、延々とした口論が始まったのだが、
麻布善福寺の景観を見ると
友人の言ったことは正解と思えてくる。

続きを読む
[PR]
by shige_keura | 2014-11-24 21:46 | | Comments(0)
黄葉の誘い
又の名を「生きた化石」、
即ち親戚は全て絶滅し、一種で唯一残っているイチョウは
中国原産ではあるがわが国で最も親しまれている樹木の一つだ。。

その理由は大気汚染に強いということ、
そして耐火性に優れているので防災面にも心強いというわけだ。

従って、イチョウは東京都、大阪府、神奈川県のシンボル・ツリー、
更には全国60近くの市町村の木としてして指定されている。

さて、イチョウの漢字は三種類あるが
全てをお書きできる方は御同輩でも少ないのではないだろうか。

最も一般的なのは「銀杏」であるが
一般的に「銀杏」は実の事を指し、
木の場合は「銀杏の木」と言っている事が多い。

「銀杏」の由来は、実が杏に似ているのと
殻そのものは銀白色をしている所から来ている。

次が「公孫樹」、中国から伝えられた名前だが
植樹してから成長が遅く、実が食べられるのは
孫の代になってからという意味が込められている。
c0135543_1082345.jpg

最後が「鴨脚樹」、これも中国の呼び名だが
葉っぱの形がアヒルの水かきに似ているので
「鴨脚」、中国読みの”イチャオ”、”ヤ―チャオ”が
日本では”イチョウ”と呼ばれるようになった。
c0135543_108558.jpg

c0135543_1092088.jpg


続きを読む
[PR]
by shige_keura | 2014-11-19 10:32 | | Comments(0)
パエリアのこと
パエリア(パエ-ジャ)はスペインの東部、
バレンシア地方発祥の郷土料理で、
今やスペインを代表する料理として日本でも人気が高い。

お米とともに肉、野采、魚介等を鍋で炊きこんだ料理、
パエリアとはバレンシア語で鍋(フライパン)を意味している。

日本でパエリアと言うとエビ、イカ、貝を豊富に使った
高級感のあるものがレストランで供される。

しかし、もともとパエリアは庶民、農民の料理であり、
バレンシアオレンジで名高い果樹園で働く農民の昼食のものだった。

更には、高価な魚介は使わず、
バレンシアのパエリアの定番食材は
兎の肉か鶏肉である。

バレンシアの隣にあるのが
独立問題で話題を賑わせているカタルーニャ州である。

この州の首都・バルセロナは仕事の関係で
何十回となく出張したところで想い出深い街である。
               (バルセロナのシンボル、「サグラダ・ファミリア教会」)
c0135543_18343461.jpg

中でも最初に食べたパエリアの味は今でも忘れられない。

続きを読む
[PR]
by shige_keura | 2014-11-16 18:43 | | Comments(0)
洲崎と言えば -3- 車に懸けた夢
大正11年(1922)11月12日、日本で最初の自動車レースが
洲崎の埋め立て地で行われた。
c0135543_22383013.jpg

大会名称は“日本で最初の「自動車大競走」”、
主催は報知新聞社であるが、その裏には自動車に自らの夢を託した男が居た。
c0135543_2239712.jpg

彼の名前は藤本軍次、破天荒で一直線、
ソロバンを弾く前に行動に移すタイプの男だった。
c0135543_22391654.jpg

藤本軍次は山口県の生まれ、11歳の時に理由は分からぬが父に手を引かれて渡米、
シアトルで15年間過ごした。

折しもアメリカは自動車の草創期、
彼は自動車学校を卒業後、自動車修理会社を経営した。

藤本が最も情熱を傾けたのは自動車レースで
各地で開催されるレースに参加、
最高峰のインディ500への参戦を本気で考えていた。

その後、排日感情が高まり、会社経営も難しくなった1922年帰国した。

続きを読む
[PR]
by shige_keura | 2014-11-15 09:08 | | Comments(0)
洲崎と言えば -2- 赤信号
明治期から昭和33年(1958)の売春防止法成立まで
多くの遊客を引き付けたのが洲崎の遊郭だが、
この発足のきっかけとなったのは最高学府・東大であることは余り知られていない。

明治20年(1887)、富坂(現在の文京区)に
東京帝国大学の校舎新築が決定した。

これによって、至近距離にあった根津遊郭は
風紀上の観点で移転を余儀なくされた。

遊郭の規模を考えると新たな土地に移転せざるを得ず、
白羽の矢が立ったのが洲崎弁天脇の広大な湿地を新たに遊郭として整備する事だった。

即ち、洲崎の遊郭は海面を埋め立てた「遊郭島」であった。
                (「洲崎弁天境内」歌川広重)
c0135543_14201340.jpg

以降、洲崎遊郭は隆盛を極め、
大正末期には吉原と双璧、「北国の吉原」に対し
「辰巳の洲崎」と謳われるほどであった。
c0135543_14215189.jpg


c0135543_1423012.jpg

太平洋戦争、東京爆撃で洲崎もほぼ焼失したが
戦後の復興は早く「洲崎パラダイス」の愛称で多くの殿方の足を引き寄せた。
c0135543_14223449.jpg


続きを読む
[PR]
by shige_keura | 2014-11-14 08:44 | | Comments(0)
洲崎と言えば -1- 英雄二人
c0135543_12552716.jpg

               (「洲崎初日の出」歌川広重)
洲崎は現在の江東区東陽町の旧町名であり、
江戸時代は「深川洲崎十万石」と呼ばれ、海を望む景勝地だった。
c0135543_21212945.jpg

又、深川は故・池波正太郎さんが
「江戸時代は東洋のヴェニスと呼ばれた」と述べているが如く
縦横に運河がはりめぐらされた水の都だった。
c0135543_2122675.jpg

さて、洲崎と言う名前をお聞きになると、
スポーツの好きな方、そして、あちらのお遊びが好きな方は
思い出す事が三つほどあるだろう。
               (現在の地下鉄・東西線「東陽町」駅)
c0135543_2123367.jpg

先ずはじめは野球に関することである。
               (洲崎球場を今に伝える碑)
c0135543_21244849.jpg

即ち、この洲崎に3年間とは言え
日本プロ野球草創期に野球場があったのだ。

野球場のお披露目は1936年、僅か3ヶ月の突貫工事で完成、
翌、1937年には上井草球場と並ぶプロ野球の常設球場として92試合が行われた。
c0135543_2126119.jpg

しかしながら、この球場の欠点は海抜ゼロメートル地帯、
満潮時には球場が水浸しとなってしまう事だった。
               (満潮時の洲崎球場)
c0135543_21275444.jpg

従って、1937年の後楽園球場の完成を待って
洲崎球場はプロ野球の歴史上の舞台から消え去ることとなった。
               (左側の遊歩道(川の跡地)の方が右側の地面より高い)
c0135543_21284854.jpg


続きを読む
[PR]
by shige_keura | 2014-11-12 09:22 | | Comments(0)
三拍子
自分が欧州に滞在していた16年間、
何よりの楽しみが夏冬のバカンスだった。

日本と違って2-3週間ものまとまった休暇を
ゆったりと過ごすことが出来るので、
明日への活力が生まれてくるのだ。

冬の欧州の名だたる空港には
バカンスの終わりの頃になると
健康的に日焼けした老若男女が溢れている。

ベルギー、オランダ、イギリス、ドイツ等、
寒く灰色に覆われた日々が多い土地で良く言われていた事は
冬の間、子供達に出来るだけ日光浴をさせなければいけない。
そうすることによって、子供達はエネルギーを蓄え
1年を元気よく過ごす事が出来るのだ。

従って、冬のバカンスの候補地を探す条件は天気の良さ、
次が豊富な食材と興味ある歴史的名所ということになる。

この三拍子そろった土地となると、
欧州の中ではイタリアのシチリア島とトスカーナ、ウンブリア地方、
そしてフランスのプロヴァンスが私にとってのベスト・スリーの土地となる。
c0135543_1885658.jpg

ヒナゲシ,ヒマワリが咲き乱れる野原を横目に見てのドライブの心地よさ、
窓を吹き抜ける風は柔らかい。
c0135543_1894961.jpg

小さいながらも風格のある町並、
路上のマーケットには土地の食材がズラリと並ぶ。
トマト、ズッキーニ、ア-ティチョーク、アスパラガス等は
どれも瑞々しく燦々たる陽光の恩恵を受けている。
また、いずれの地もギリシャ、ローマの影響を色濃く受けている為、
歴史の重みを醸し出している。

               (プロヴァンス、ニ-ムに運ぶ為のローマ水道)
c0135543_1775258.jpg

               (シチリア島、タオルミ-ナのギリシャ時代の劇場、1982年)
c0135543_18104748.jpg

               (プロヴァンス、アルルの「はね橋」、1989年)
c0135543_18115279.jpg

               (ヴァン・ゴッホの「アルルのはね橋」)
c0135543_18141526.jpg

               (プロヴァンス、アヴィニオンのシャト-・ホテル、1988年)
c0135543_18192883.jpg


続きを読む
[PR]
by shige_keura | 2014-11-11 12:49 | | Comments(0)
伽羅(きゃら)の下駄
c0135543_15324860.jpg

11月4日、秋晴れながら風の冷気に冬近しを感じる日、
ここは外堀通りの一角にある国立劇場である。
c0135543_15331527.jpg

今日の演目は「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)
人間国宝であり文化勲章叙勲の坂田藤十郎が
当たり役とは言え歌舞伎女形の最難関と言われる
政岡を演ずる注目の舞台である。
c0135543_15334917.jpg

「伽羅先代萩」は寛文年間(1661-1773)
実際に起きた仙台伊達家のお家騒動をモデルとした
いわゆる「伊達騒動物」の中の代表作である。
c0135543_15341494.jpg

歌舞伎の世界では、当時の世相との関係で
実際に起きた事件をそのまま舞台にすること出来ず
登場人物、世代を変更してお芝居に脚色するものが多い。

例えば「忠臣蔵」を見ても、「仮名手本忠臣蔵」と名乗る通り
大石内蔵助は大星由良之助、浅野内匠守は塩冶判官、
吉良上野介が高師直といった具合に名前を変えている。

続きを読む
[PR]
by shige_keura | 2014-11-07 08:59 | | Comments(0)
秋深し・・・・・・
「秋深し」とくれば芭蕉の句、「隣は何をする人ぞ」と続くが
正確には「秋深き」が芭蕉の詠んだものだ。

この句の2週間後に芭蕉は亡くなってしまうのだが、
この句の意味にも色々な解釈があって面白い。

例えば、「秋が深まり床に伏せっていると、
自然と隣の人の生活音が聞こえてくる。
今は何をしているのだろうかと想像してしまう」。

他の解釈では、「夏と違って秋も深まってくると
戸もピタリと閉められ、夏に聞こえていた隣のもの音もしない。
今頃、あの人は何をしているのだろうか」。

このような解釈をしている人も居る。
「となりの部屋の人は一体どういう身分、職業の人なのだろうか
ひっそりと物音も経てないけれど、今、何をしているのだろう」。

芭蕉と言う名前がついていればこそ名句となり
様々な解釈もされているようだが
凡人には余り素晴らしい俳句だとは思ったことがないのだが・・・・。

続きを読む
[PR]
by shige_keura | 2014-11-06 09:05 | | Comments(0)



2007年9月末にこちらに引っ越してきました。
→過去のブログを見る


ホームページ 



LINK 


LINK FREE

このブログの写真・テキストの無断使用はお断りします。

(c) 2007 shige_keura. All rights reserved.