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ファイナル・カウントダウン
さるものは追わず、羊がさる、さるが来る、
なんだかややこしいが、さるの出番まで2時間を切った。
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12月25日を境に家の中が
クリスマス・デコレーションから
正月飾りへと一変する。
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富士五湖、河口湖の藤の弦で作った
自家製のクリスマス飾りが
あっという間に正月用にと姿を変えた。
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歌舞伎の早変わりもかくやの素早さである。
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ここは、毎年の大みそかに訪れる西郷山公園、
昨年と比べ雲が厚く、時折太陽が顔を覗かせる。
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今年は世界規模で自然の脅威にさらされた。
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人間が長きにわたって地球を痛めつけてきた
そのツケが回ってきたような・・・・・・、
神のいましめを真摯に聞く時になったのではないだろうか。

来年は??度目の年男、
健康第一で毎日を送れたら最高だ。
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どうぞ、皆様もお身体ご自愛のうえ、
良い年をお迎えください。
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by shige_keura | 2015-12-31 22:29 | その他 | Comments(0)
大女優についての「ちょっとした」考察
11月25日、新聞紙上に一斉に報じられたのが
「伝説の大女優・原節子逝く」だった。
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彼女は「東京物語」「麦秋」「晩秋」等で
日本を代表する女優となっていった。

ただ、原節子が大女優としての地位を築くのは、
映画界からの早すぎる引退、謎に包まれた私生活等、
その神秘的な側面が後押ししたといって良いと思う。

謎のベールに覆われた大女優、
その意味では西のグレタ・ガルボと並び称される存在だった。

グレタ・ガルボ(1905~1990)はスウェーデン生れ、
トーキー映画初期のハリウッドを代表する女優である。
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彼女は1924年本国で女優としてのデビューを飾ったが、
それを目にとめたハリウッド大手、MGMの誘いでアメリカに渡った。

1926年、第3作目「肉体の悪魔」で
ガルボの名前は全米中に知られMGMの看板スターとなっていった。

「ガルボが話す!」。

これは彼女が1930年に初めて出演したトーキー映画、
「アンナ・クリスティ」の宣伝文句であり、彼女は全米を代表する女優となった。

ところが1941年、彼女35歳の円熟を迎えた時、
突如、映画界から引退した。

以降、多くのファンからの復帰を望む声にも耳を貸さず
二度とスクリーンに顔を見せることはなかった。

彼女はこの世を去る1990年までのほぼ半世紀の間、結婚もせず、
公の場所にはほとんど姿を見せなかったと言われているが、
実際は少し違っているようだ。

ガルボは1951年アメリカの市民権を得て
マンハッタンで独り暮らしをしていく。

その間、例えば1963年には
ホワイトハウス公式晩餐会の招待に応じ出席した。

その時の印象をケネディ元大統領夫人である
ジャクリーンは次のように話している。

「彼女はとても魅力的でユーモアに溢れる女性だったわ」。
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ガルボが世間に背を向けているとの噂は
マスコミが彼女に、ことさら神秘的なベールをまとわせようとした
意図的なものであったようである。

ただ確かなことはガルボ自身、
映画、映画界を好ましく思っていないことが
引退理由だったということである。

彼女は死ぬ4年前にスウェーデンの某伝記作家にこう語った。

「私はハリウッドに疲れてしまったの。
 仕事も好きになれなかったし撮影現場に行くのが辛かった。
 私は全く別の人生を送りたいと思っただけ」。

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by shige_keura | 2015-12-30 16:57 | | Comments(0)
師走の金沢 -木守り-
「有馬記念」のゴールドアクター!
ズバリ的中に、してやったり!!!

興奮も冷めやらぬまま、
師走の金沢を続ける。

石川県並びに金沢市は極めて文化程度の高い場所として
全国にその名を轟かせている。

工芸技術の人間国宝の人数(人口100万人当たり)を例に取れば、
全国平均が0.45人に対し石川県は7.74人と
驚くべき数値を記録している。

何故このように高い文化程度を持つようになったかの背景には
江戸時代に加賀藩が行った文化奨励策がある。

今でも石川県は茶道をたしなむ人の数が全国一というのだが、
これも加賀藩三代藩主・前田利常が
裏千家の千宗室を師範に迎えたことに起因している。

茶の湯が盛んと言うことになれば
金沢の人々は好んで和菓子を口にする。

金沢は京都と松江と並んで
日本和菓子三大都市として位置づけられ、
石川県の和菓子消費金額も、
これまた全国トップに位置している。

和菓子のレベルが高い金沢にあって
頂点に立つのが東茶屋街の裏手に小さな店を構える
「吉はし」と言って間違いない。

市内のどこで聞いても「吉はし」の味の良さ、
おもてなしの暖かさを褒め称える声がしきりである。
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規模は小さく、料亭、お茶会に卸すのを生業としているので
小売りは予約だけである。

しかし、たとえ和菓子ひとつだけの注文でも喜んで受けてくれる。

我々の金沢訪問のひとつの楽しみは
このお店のお菓子を東京に持ち帰って抹茶とともに楽しむことにある。

今回も3種類6個の和菓子を購入した。

箱を開けて中を見るのが楽しみだ。

何故なら、お菓子それぞれに、「なるほど!」
と思わせる名前が付けられているからだ。

「雪南天」、「冬ごもり」そして「木守り」である。
               (雪南天)
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               (冬ごもり)
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「木守り」、久しぶりに聞く名前であるが、
これも金沢に暮らして初めて知った言葉である。
               (木守り)
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秋になってたわわに実った柿が収穫の時を迎えるが、
この時、すべての実を取り尽くすのではなく
必ずひとつの実を枝に残しておく習慣がある。
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この、たったひとつ残した柿の実を
「木守り」と言うわけである。

それは柿が来年も良く実ってくれますようにとの
お願いであり、おまじないなのである。

理由はそれだけではない。

すべての実を人間が取りつくすのではなく
これから食べ物が少なくなってくる冬の時期に生活する
野生の鳥たちを慮ってのことなのだ。

この「木守り」には人間と自然界との
共存共栄の心が宿っているのである。
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他の和菓子とは一味違う上品な甘さを
抹茶とともに楽しみながら、
たったひとつの柿の実が枝に残された
金沢の冬の光景を思い出した。
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by shige_keura | 2015-12-28 09:08 | | Comments(0)
年末の大一番
中央競馬年末の大一番
有馬記念のゲートが数時間後に開く。

有馬記念が創設されたのが1956年、
当時のレースネームは「中山グランプリ」だった。

1956年以前、中山競馬場の暮れの風物詩と言えば
「中山大障害」だったのだが、
春の府中で行われる「ダービー」とは違って華やかさに欠けていた。

そこで、当時の競馬会理事長であった
有馬頼寧(よりちか)の発案で
ファン投票で出走馬を選ぶ夢のレースが
「中山グランプリ」の名前で実現した。
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ところが、翌年、有馬理事長の急逝という思ってもみない事態が起こったため、
レース名称に理事長の名前を冠する
「有馬記念」となって現在に至っている。

ファン投票で出走馬を選ぶドリームレース、
歴代優勝馬は名馬が並んでいる。

シンザンをはじめスピードシンボリ、トウショウボーイ、テンポイント、
シンボリルドルフ、オグリキャップ、ディープインパクト、オルフェーブル
いずれもがその時代をリードしたアイドルホースである。

ファンの人気も高まり1996年には売上総額が875億円に達し、
今でも世界最高記録としてギネスブックに登録されている。

さて60回目を迎えた今回は
若干の小粒感は免れないが、ほぼベストメンバーが揃った。

「有馬記念」の優勝馬を今までの記録から推理すれば
以下のキーワードに集約される。

1.ディープインパクトを筆頭とするサンデーサイレンス血統が強い
2.デ・ムーロ、ルメール等の外人騎手が5年連続連対
3.生産牧場である社台グループの馬の活躍
4.小回りコースの得意な馬

となれば、リアファル、キタサンブラック、ゴールドシップ、
ラブリーデイ、サウンズオブアース等が
順当に人気を集めるに違いない。

しかし、私はどうしても狙ってみたい馬がいる。

それがゴールドアクター、
北海道の小さな牧場が初めて有馬記念に送り出した馬である。

血統もサンデーサイレンス系統から外れ
騎手も日本人中堅の吉田隼人とこころもたない。

それを振りはらってまで
ゴールドアクターに期待する理由が当然あるのだ。

ゴールドアクターの祖父はグラスワンダー、
1998年の有馬記念の勝ち馬、
このとき彼は私に少なからずの小遣いを与えてくれた。
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時は流れ2008年、グラスワンダーの息子、
スクリーンヒーローが名手、ミルコ・デ・ムーロを鞍上に
ジャパンカップを40倍以上もの単勝で制し私を小躍りさせてくれた。
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祖父と父の恩義に報いなければ男がすたる。

血統、騎手、牧場の大小には目もくれず
ゴールドアクターに一票投じたその結果はもうすぐわかる。
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スクリーンヒーローの子供が有馬記念で勝つ、
それは、まさしくスクリーンの黄金の千両役者、
すなわち「ゴールドアクター」になる時!
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結果は如何に!
競馬はゲートが開くまでが面白い!!
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by shige_keura | 2015-12-27 09:03 | スポーツ | Comments(0)
師走の金沢 -ジビエ・ジビエ・ジビエ-
今回の金沢訪問に新たな楽しみが加わった。

それは、海の幸だけではなく
狩猟解禁時期の今、
北陸の山の獲物をふんだんに味わうことであった。

今、我々を乗せた車は金沢から東南、
馴染みの御鮨屋さん「千取」の脇の通り、
石引(いしびき)を通過している。
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石引とはその昔、加賀藩がお城の石垣を築くための石を
戸室山から切り出してお城まで引いて行った
道筋であるとこにその名の由来がある。

冬の17時半を回ればすでに夜の帳は降りている。

車は湯湧温泉(ゆわく)の方に向かって進路を取るに従い、
人家はまばらとなり漆黒の闇に包まれる。

こんなところにお店が本当にあるのか?と心配になるころ、
目的地のお店「つばき」が突如姿を現す。
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ジビエと言う言葉を初めて聞いたのが
1980年初頭のベルギー、ブラッセルでのことだった。

偶々、東京から赴任したのが冬の時期でもあったことで、
出迎えてくれた友人に「ジビエの季節にようこそいらっしゃいました」
と言われたのが最初だった。

ジビエとは本来狩猟のことだが、
そこから転じて狩りの獲物、野生の鳥獣を意味している。
               (店に吊るされる獲物の数々、欧州ではお馴染みの光景)
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当時の楽しみは鹿、山鶉、山鳩、野鴨、キジ等を
芳醇な赤ワインと共に味わうことだった。

1990年後半に帰国してからも一冬に1回は
フレンチレストランでジビエを味わうことを楽しみにしてきた。

ただ、日本で獲れたジビエを本格的に味わうのは今回が楽しみであり、
中でも、今まで味わったことのないジビエへの期待は大いに高まっていた。

なにしろ、この店は和菓子の名店、「吉はし」のご主人の紹介、
きっと、良い店に違いない。

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by shige_keura | 2015-12-26 08:47 | | Comments(0)
師走の金沢 -昆布の旅―
12月の金沢旅行、目的は食べることと
特産品の買い出しにあるのだが、
必ず立ち寄るお店が昆布・海産物處「しら井」である。
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その名の通り昆布、海苔は勿論、
間近に迫っている正月用食材、
昆布巻、田作り、海老等々を入手できるので大変重宝している。
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「しら井」本店は能登半島の七尾に
昭和7年から店を構えた。
               (「しら井」七尾市本店)
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開業の大きな理由は江戸時代に
北前船で賑わった当時の町屋を再興する為であり、
その後、金沢にも支店を開業し現在に至っている。

この店に入ったら買い物に精を出すだけでなく
昆布にまつわる興味深い展示も是非見ていただきたい。
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展示コーナーの目玉のひとつが「昆布ロード」の紹介である。
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一般的に世に有名なのは「シルク・ロード」、いわゆる“絹の道”だ。

これは、近代以前のユーラシアの全域で行われた
国際交易に使われた物流ルートであり、
一方の基点、中国から運ばれる主産品が絹であったことから
19世紀、ドイツの地理学者、リヒトホーフェンが「シルク・ロード」と名付けた。

さて、主役の昆布の話に入ろう。

昆布は非常に古くから人間の営みとかかわっているので
誕生についての確かな記録は残っていない。

日本には縄文の時代に中国から渡来したと伝えられている。

ただ、“コンブ”と言う名前はアイヌの人たちが付けた呼称であり、
それが中国に入って再び外来語として
本州に伝わってきたというのが定説となっているようだ。

歴史が進み鎌倉時代に入ると
北海道の松前と本州の間を
昆布を積んだ船が盛んに行き来するようになっていった。
               (七尾の港に停泊する多くの北前船)
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江戸時代に入ると「北前船」の名前で知られる
海上輸送が物流を牽引し、
昆布が運搬品目の主役となっていった。

「北前船」とは当初は日本の台所であった
大阪と北海道を結ぶルートを行き来する船だった。

大阪から北海道に向かう、「下り船」の主要品目は
酒、飲食品、衣服用品、瀬戸内海の塩、砂糖、紙、米等々豊富な品ぞろえだった。

一方の上り船(北海道から大阪へ)の荷は
主に海産品、数の子、身欠きにしん、干鰯であり、
中でも最も重要とされていたのが昆布だった。

その後、海上路は日本海沿いの北ルートに加え
江戸を主要市場とした太平洋沿いの南ルートも
盛んに使われるようになっていった。

更に、西に目を向ければ九州から琉球(沖縄)
そして清(中国)にまでルートが拡張していった。

このように、昆布を主要商品として出来た海上ルートを
「昆布ルート」と言うわけである。
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「シルクロード」ほどのスケールはないとは言え、
北海道から九州、琉球(沖縄)を経て清(中国)まで、
「昆布ロード」は北前船に乗って
人間の食生活を大いに豊かにしたのである。

昆布は日常生活には勿論のこと、
特にお正月には欠かせない食材である。
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我々は至極便利になった北陸新幹線ロードを利用して
昆布を自宅に持ち帰ろう。
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by shige_keura | 2015-12-25 10:44 | | Comments(0)
師走の金沢 -次女と同い年-
我が家の玄関口に無骨なブーツが姿を見せるのが12月、
毎年恒例の金沢旅行用の履物である。
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「弁当忘れても傘忘れるな」、
金沢で必ず聞かれる言葉が意味するように
当地の天気は変わりやすい。
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特に冬の季節は雲間から陽が覗かせたかと思うと
黒雲が立ち上り雷鳴と共にミゾレ交じりの雨、
時には横なぐりに雪がふりつける。
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道路は雪対策の融雪装置から
水がほとばしり水溜まりを作る。

温度が下がれば水溜りは凍り滑りやすい。

従って雨・雪用の履物がどうしても必要となるのだ。

このブーツを見ると遠い昔の印象的な北欧出張を思い出す。

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by shige_keura | 2015-12-21 21:30 | | Comments(0)
怪談の怪
今日のお話のきっかけとなったのは
先日観劇した「東海道四谷怪談」である。

四谷怪談の基を辿れば、
元禄時代に起きたある事件を基に創作されたお話で、
そこから多くのバリエーションが生まれているとのことだ。

中でも有名なのが三遊亭圓朝の落語と
鶴屋南北の「東海道四谷怪談」となる。

ここで、よく分からないことが二つ出てくる。

ひとつは、元禄時代に起きたある事件とは何か?ということと、
もうひとつは、事件の発生場所は一体全体どこか?

この二点である。

四谷というとすぐに新宿区の四谷を思い浮かべてしまうが
怪談の発生は、江戸時代の雑司ヶ谷町にあった
四谷(現在の豊島区雑司が谷)が舞台であるとの説が定着している。

ところが、鶴屋南北の歌舞伎狂言の中には
四谷左門の名前のお武家が登場してくる。

四谷左門とは言えば
すぐに連想するのが新宿区・四谷左門町となる。

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by shige_keura | 2015-12-18 09:39 | | Comments(0)
白眉の舞台
12月5日、見上げる空は雲ひとつない
冬晴れの日の国立劇場前である。
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今日の演目は「番町皿屋敷」、「牡丹灯籠」と並ぶ
日本怪談三大噺のひとつ「四谷怪談」である。
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「怪談は夏と決まっているだろう!
 なんで、わざわざ真冬のこの時期に??」。

こんな声が聞こえてきそうであるが、
これには訳がある。

作者の江戸時代の著名な歌舞伎狂言作者,鶴屋南北は
このお話しを12月に起こった大事件と関わり合いを持たせ,
歌舞伎としての演題を「東海道四谷怪談」としている。
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それでは、鶴屋南北が取り上げた12月に起きた大事件とは何だろうか?

それは、本日の国立劇場内に、
その趣向が取り入れられている。

舞台に向かって客席の両側の壁の模様が
いつもと違って雁木に描かれている。
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更には劇場内では、このようなお土産の飴まで売られている。
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12月~雁木模様~本懐とくれば、
これは「忠臣蔵」に決まっている。

雁木模様は主君の仇を討つために討ち入った
四十七士の装束に描かれているお馴染みのものだ。
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南北が書き上げた狂言が最初に演ぜられた文政8年(1825)、
場所は江戸の中村座なのだが、
その時、お芝居は「仮名手本忠臣蔵」と合わせて2日がかりで行われた。

具体的には1日目が忠臣蔵の6段目までと四谷怪談の3幕目まで、
2日目が忠臣蔵の7段目以降、四谷怪談の3幕目以降、
そして、大詰めの四十七士の討ち入りと繋がっていく。

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by shige_keura | 2015-12-15 07:42 | | Comments(0)
”カキ”と”カキ”
最近テレビを観ていて気になることのひとつが
アナウンサーのアクセント、イントネーションである。

民放は無論、公共放送アナウンサーまでが
標準語を外れたアクセントで堂々としゃべっている。

例えば、1月から12月までのアクセントの置き方を例にとろう。

少し前までは4月と言う場合、
私の理解では関西風の4にアクセントを置く
NHKアナウンサーに違和感を覚えていた。

それが、今では4月を待たず
2月を同じように2にアクセントを置いて喋っているアナウンサーを見かける。

このままでは、そのうち1月にまで繰り上がって
同じ現象が起こるのではないだろうか。

その点、表題のかきとかき(「柿」と「牡蠣」)の場合は、
今のところ、きちんと区別されて標準語で喋られている。

今日の話は12月9日の我が家で起きたことである。
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画像は10年以上も前に長女一家と九州を旅した時に、
娘からプレゼントしてもらった有田焼の徳利だ。

私はこれをいたく気に入っており、
燗酒の美味い季節は至極、重宝している。

しかし、徳利は気に入っているのだが、
そこに描かれている果物の柿はあまり興味がない。

生で食すにしても干し柿にしても
まるで食指が動かない。

極端に言ってしまうと柿の実が生っている景色は
如何にも日本の秋を感じるので大好きなのだが
食べようとは思わない。
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ところが、横浜・都筑区にある酒川農園の柿を食べて考えを改めた。

もともと酒川農園は甘酸っぱくて大ぶりのキウイが売りなのだが、
大根、里芋、ネギ等のお野菜も新鮮で味が濃い。

更には、ここの柿が今までの柿とは一味違う美味しさなのだ。
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私自身柿の味はよく分からないのだが、
柿大好物の娘婿が「今まで食べた柿で一番美味しい」と
言っているのだから本物である。

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by shige_keura | 2015-12-14 09:53 | | Comments(0)



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