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箱根八里・日帰りの旅 -王様の気分で足湯に浸る-
ここは目の前に芦ノ湖の眺望が開ける
カフェレストラン「ベーカリー&テーブル」である。
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看板に「Bakery & Table」 -since 1937-とあるが、
この場所に店を開いたのは2013年である。
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1937年はこの店と関係が深い
「赤倉観光ホテル」の創業した年である。
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この年、大倉財閥の二代目の大倉喜七郎は
「上高地帝国ホテル」、「川奈ホテル」に続き
「赤倉観光ホテル」を創業し多くのスキー客に
欧米のスキーの楽しみ方を提供した。
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そのときのひとつのセールスポイントが美味しいパンの提供にあり、
それが箱根のお店に受け継がれたというわけである。
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折角だからと当店お勧め「King of Sandwiches」(王様のサンドイッチ)を注文。

待つこと暫し、目の前には
フェンシングの剣をかたどった串に刺さったサンドイッチが現れた。
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まさに王様が食べるにふさわしい偉容、
国産腿肉のステーキと厚切りのベーコンの味も素晴らしく、
目の前の絶景と共に大いに楽しんだ。

もっとも、さすがの大食漢も
一人で食べきれるヴォリュームではないので
チーズ味濃厚のキッシュを頼み、家内と食べ分けた。

11時半の予約、昼食後店を出た時は長蛇の列、
この店の人気の高さが窺われた。

この店の売りのひとつ戸外で足湯に浸りながら
食事を楽しむカウンターは鈴なりの人で賑わっていた。

足湯に浸りながら戸外で食事を楽しむのも悪くない。

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by shige_keura | 2016-04-21 08:32 | | Comments(0)
箱根八里・日帰りの旅 -隠れたる名城跡-
11月26日(土)、6泊7日の九州旅行を終えた2日後、
娘一家と日帰りで箱根に出かけた。

ひどく忙しい毎日となったのは
箱根に残るユニークな城跡を孫と共に見たいがためのものである。

全国に点在する城の数は
極めて大ざっぱに言って3万から4万と言われている。

日本人は城好きな人が多いが、
「姫路城」「熊本城」「松本城」等々、
かつての威風堂々とした姿を再現した城の人気度が高いようだ。

しかしながら、天守閣は勿論のこと
城そのものの姿は何処にも残されていない城跡から
往時の模様を偲ぶのもなかなか味のあるものだと思う。
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奥深い箱根八里を国道一号線に沿って三島市に入って
ほどなくの所にある「山中城跡」は
貴重な中世の山城の面影を今に伝えている。
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「山中城」は戦国時代末期の永禄年間(1560年代)に
小田原に本拠を構えた後北条氏が築城した。
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その後、天正17年(1589)、豊臣秀吉との対立が深まりなか、
小田原攻めを防ぐために急遽、堀、出丸の整備を行った。

しかし、翌年、増築が未完成のまま4万の豊臣軍の総攻撃を受け、
わずか4千の北条軍の必死の抵抗もかいなく
城は半日で落城したと伝えられている。
                      

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by shige_keura | 2016-04-19 10:59 | | Comments(0)
九州6泊7日 -天下の名城-
バラエティに富み、中身も濃かった
6泊7日九州の旅は多くの思い出を残してくれたが、
最後は天下の名城、肥後・熊本城で締めくくることとする。
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数年前に駆け足で熊本に半日逗留したとき、
朝、ホテルのカーテンを開けた途端びっくりした。
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ホテルは今回と同じキャッスルホテル、
目の前には画像と同じ熊本城がそびえ立っていた。
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「これは凄い!」。

何が凄いかと言って、
これほど勇壮な城を見たのが初めてだったからである。

国も違う、全く城の形も違うが、
かつて南仏をプロヴァンスからランドックへと旅したとき、
ブドウ畑の遥か向こうにカルカソンヌの城を見た時と同じような感動を覚えた。
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カルカソンヌを攻め落とすのは一筋縄ではいかない、
又、熊本城も難攻不落の偉容を誇っている。

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by shige_keura | 2016-04-16 17:57 | | Comments(0)
九州6泊7日 -戦地に散った好漢-
ここは熊本城を見下ろす小高い山に建てられた日蓮宗・本妙寺、
肥後熊本藩初代藩主であった加藤清正を祀る浄池廟がある。
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ここから長い長い石段を登って行った先に
長い槍をかざした加藤清正公の堂々たる銅像を見ることが出来る。
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加藤清正は安土・桃山から江戸時代にかけて活躍した武将で、
特に我々にとっては朝鮮征伐の時の
虎退治でお馴染みの人気者である。

人気者と言えば、この寺にプロ野球の草創期に
わずか4年の在籍とは言え満天下のファンを魅了した男の墓がある。
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彼の名前は吉原正喜、熊本工高時代から甲子園を沸かし、
赤バットの川上哲治と共に巨人に入団した。
               (熊工甲子園準優勝の時、後列右が川上、中央が吉原)
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正確に言うならば巨人は吉原をどうしても獲得したかったことで、
吉原の願い「川上も一緒に」を受け入れて契約した。

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by shige_keura | 2016-04-14 09:36 | | Comments(0)
九州6泊7日 -木村の前に木村なく・・・・・-
ここは熊本市南区野田にある大慈禅寺、
曹洞宗の流れを汲む堂々たる寺である。
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ここに日本柔道史上最強と言われている木村政彦が眠っている。
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墓石には「鬼の柔道」と彫り込まれ、
横に建立されている石碑には
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と書かれている。
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木村は1917年にこの地で生まれ、
家は貧しく、近くの激流「加勢川」でザルを使って
砂利取りをして家計を手伝っていた。

この労働が木村の類まれなる強靭な足腰を作り上げていった。

その後、同郷の鎮西中学の先輩で
拓殖大学で柔道指南をしていた牛島辰熊の下で
1日10時間というハードな練習をこなし
その名前を知られていくようになった。

1メートル80センチ、85キロの体格は
柔道家としては格別優れたものではないが、
彼の荒々しいスタイルは「鬼の木村」と恐れられていった。
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木村がどれほど強かったのか、
ライバルたちの意見も取り入れながら紹介しよう。

木村は1937年に全日本のチャンピオンになってから13年間その座を譲らず、
その間行われた皇紀2600年記念展覧試合でも
5試合すべて1本勝ちで優勝した。

               (木村政彦無敵のころ、21歳)
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立ち技寝技ともに優れ、
立ち技の得意は大外狩り、失神者続出で技を出すことを禁じられた。

寝技はどの体勢からも入れる腕ひしぎが強烈で
多くの脱臼者が出たため、これも禁じ手となった。

その中で木村は勝ち続け柔道を離れる15年間不敗を貫いた。

のちにプロレスに転じて活躍した120キロの巨漢・遠藤幸吉の弁
「強さが別格!巨大な岩みたいに動かないのだから技の掛けようがない」。

牛と格闘し空手でも有名な大山倍達はこう語る。
「全盛期の木村だったら、へーシング、ルスカは3分と持たない」。

世界的な柔術家・エリオ・グレーシー曰く
「私がただ唯一敗れた偉大なる相手だ」。
               (グレーシーを絞め上げる木村)
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1964年の東京オリンピック、
日本柔道の前に大きく立ちはだかったのがオランダのへーシング。

そのとき、木村はすでに47歳を迎えようとしていたが、
関係者の間では彼以外にへーシングに勝てる見込みがないとして
真面目に出場が検討されたという。

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by shige_keura | 2016-04-13 09:35 | | Comments(0)
九州6泊7日 -肥後もっこすの野球場-
戦後の荒廃の中から復興を目指したプロ野球、
バットで牽引していったベストスリーを挙げると、
藤村、大下と今回の主人公、川上となる。
               (初代ミスター・タイガース・藤村富美男)
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物干しざおといわれた長いバットを振り回し、
喜怒哀楽を表に出した藤村富美男は
ショーマンシップ豊かな男として異彩を放っていた。
               (青バットの天才・大下弘)
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青空に描く美しい放物線、
ホームランを「ポンポン」外野席に打ち込むことで
「ポンちゃん」のニックネームが付けられた大下弘は
端正で女性にモテモテの一方で、子供を可愛がる優しい性格の持ち主だった。

川上哲治の名前が出るときに
必ず言われる言葉が「肥後もっこす」である。
               (赤バットの弾丸ライナー・川上哲治)
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肥後は熊本県、「もっこす」とは純粋で一度決めたら
梃子でも動かない頑固で妥協しない性格を意味している。

「肥後もっこす」は「津軽じょっぱり」「土佐いごっそう」と並ぶ
日本三大頑固のひとつであり、
川上は「もっこす」の典型的な男だった。

川上の生まれ故郷熊本県・人吉市の郊外。

目の前には小雨煙る中に1999年に郷土の英雄を記念して造られた
「川上哲治記念球場」の標識が見えてきた。
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両翼97メートル、中堅120メートルの広さを持つメモリアル・ボールパークは
川上が選手として監督として大活躍した後楽園球場とほぼ同じ形状である。
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川上は父の野球指導を受け
小学校4年で野球部に入り2番でライトを守った。
                (中列の中央が川上哲治)
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そして、その年の九州大会の決勝で見事決勝のランニング・ホームランを放っている。
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その後、野球の名門・熊本工高に入り、
伝説の名捕手であった吉原正喜とバッテリーを組み2度の甲子園準優勝、
1度の明治神宮大会の優勝を果たした。
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by shige_keura | 2016-04-12 09:41 | | Comments(0)
九州6泊7日 -人吉の名店ふたつ-
熊本市から車で南に小1時間ほど南に下る。

山間部に咲く山桜に見とれているうちに
山地に囲まれるようにした人吉盆地の中心、人吉に到着する。

市内中心には熊本県唯一の国宝である青井阿蘇神社がある。
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珍しい茅葺屋根の本殿に見入った後、
ふと目についたのが寄進の石塔に彫り込まれている一人の名前。
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そこに書かれているのは川上哲治、
ここは戦後のプロ野球に赤バットを引っ提げて
巨人の4番として大活躍した男の故郷である。
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人吉は清流・球磨川沿いにあるので米作りに適し、
米焼酎造りも昔から盛んである。

又、新鮮な川魚の宝庫でもあり、
隠れたる鰻の名店がここにある。
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その名前は「上村」、朝の10時過ぎから店を開け、
時分時には長蛇の列となる人気店だ。
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店内はこれぞ昔の人吉村の風情、
椅子席前の囲炉裏が興趣をそそる。
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ここの鰻は勿論、関西風、
すなわち腹開きした鰻を蒸さずにそのまま焼き上げる方式だ。

実際の所、私は鰻は断然の関東派、
蒸してトロッとした口当たりの良い鰻が大好物である。

「江戸っ子はなんてったって背開きよ! 
 腹開き?? 切腹なんて縁起でもねえ!!」。

と、今まで思っていたのだが、この店で考えを改めた。
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お重を開けると分厚い鰻が4 切れ、
更にご飯の間に2切れ、計6 切れの鰻が現れる。
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「しまった!ホテルで朝食を何でたくさん食べてしまったのか!」。

後悔しながら食べ始めると、何とすいすいとお腹に収まっていくではないか。

香ばしく焼き上がった鰻は
今までの関西風に感じていたシツコサはどこにも感じられない。

むしろ、関東風の鰻に比べすっきりとした味わいだった。
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店内には仲代達也さん、そして大先輩でもある故小沢昭一さんのサインもあった。
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小沢さんのサインは1971年、
丁度、飯塚の「果穂劇場」旗揚げ公演の時期と重なる。

無事、公演を終えた先輩は
ここで至福の一時を過ごされたのだろう。

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by shige_keura | 2016-04-10 13:18 | | Comments(0)
九州6泊7日 -本家・真知子巻きが現れた地-
今回のテーマは映画である。

比較が難しいのだが、その昔、
外国映画のロードショーの多くは単独館興業で行われていた。

要は日本でただ一つの映画館で公開されたのである。

歴史上、洋画単独館ロードショーで
最も観客が集まったのが「ローマの休日」。
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デビューしたオードリー・ヘップバーンの魅力もあって
日比谷映画劇場に詰めかけた観客は6週間で35万人!
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実に1日平均8,330人の観客を集めた。

「アンビリーバブル!!」。

ここに邦画で破天荒な観客を集めた作品がある。

1953年から’54年にかけて公開された「君の名は」の三部作は
合計で3,000万人の観客が映画館につめかけてと言う。

「君の名は」は昭和初期に放送されたラジオ・ドラマ。

「忘却とは忘れ去ることなり・・」で始まる、
脚本家、菊田一夫の代表作。

二人の男女の典型的なすれ違い恋愛物語が、
特に世のご婦人方の人気を呼び
放送が始まると銭湯の女湯が空っぽになるとまことしやかに言われたものだった。

主人公の二人、氏家真知子に岸恵子、
後宮春樹に佐田啓二という人気俳優を起用した映画化は大成功、
数寄屋橋の出会いから二人のすれ違い、出会いは2部、3部と続いていった。
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この映画では岸恵子が事あるたびにショールを巻いて登場するが、
これがいつしか「真知子巻き」と呼ばれ全国的に大流行、
切手にまで真知子巻きの岸恵子が登場した。
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だから、この時代、後ろから見ただけでは
岸恵子みたいな女性が全国を横行していた。

本日逗留したのが雲仙温泉。

雲仙温泉と言えば地獄の名前で名高い硫黄の湧き出る名所だが、
そこで「君の名は」の3部の撮影が行われた。
               (第3部のポスター、背後に噴煙を上げる雲仙岳が見えている)
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この私、実は「君の名は」のような非現実的メロドラマは好みではない。
好みではないが、目と鼻の先まで来てロケ場所を拝まぬ手はない。
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雲仙温泉は流石に「君の名は」を忘れてはいなかった。
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ロケ現場には説明書きと共に、
その場所の岩を「真知子岩」と命名してあった。
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しかし、公開後半世紀以上経った今となっては
「君の名は」そのものが「忘却とは忘れ去ることなり」になってしまっているのではないか。
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by shige_keura | 2016-04-08 09:27 | | Comments(0)
九州6泊7日 -椿の浜で炉端焼き-
五島列島は椿の名所、
ツバキ油の生産量も伊豆大島に続き全国第2位、
「西の五島、東の大島」と言われている。
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椿の花の盛りは過ぎたとはいえ、
島のあちらこちらに椿の花の絵やマークが描かれている。
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ここは、福江島、サンゴの白さが目に眩い
香珠子海岸を見下ろす高台に椿茶屋がある。
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島を離れる前に自然を愛でながら
炭火焼の昼食を楽しむ趣向だ。

店の入り口にはカラフルな貝が敷き詰められていた。
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その名も「緋扇貝」、房総半島の南に生息するので
関東でも目にすることが出来るが、
ここの緋扇は姿かたちが実に立派で見とれてしまう。

この貝は「帆立貝」と同じ種類であり、
味もほとんど違いがないようだ。
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緋扇貝、鯵、鶏手羽先、豚肉等の炭火焼と
おにぎりと饂飩で腹を満たした後に向かったのが隣の塩づくり。
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今まさに竈に火を焚いて水分を蒸発させているところだ。
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すでに完成した粗塩はキラキラと光り輝いていて真に美しい。
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九州、福岡の焼き鳥屋老舗の特注品とか、
焼き鳥の旨さが容易に想像できるというものだ。
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そばの売店で売っていた塩ソフトに思わず手を伸ばしペロリペロリ。
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口をさっぱりさせた後は一路福江の港から長崎に戻る。
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これで椿の島ともお別れである。
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by shige_keura | 2016-04-07 08:40 | | Comments(0)
九州6泊7日 -五島列島とキリシタン-
私が最初に五島列島の名前を知ったのは大相撲の世界からだった。

柏鵬全盛時代に粘りの相撲で頭角を現してきたのが
出羽の海部屋の佐田の山だった。
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無骨なまでの生真面目な相撲に好感を抱いたのだが、
そこで知ったのが彼の出身地である五島列島という島々の存在だった。
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従って、当時は五島列島がキリシタン・キリスト教と
深い関わり合いを持っていたことなどは露にも知らなかった。

五島列島はその昔の平安時代にこの地を訪れた中国人が
海に五つの島が浮かんでいるように見えたのがその名前の由来とされている。
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しかし、島の数は五つどころではない。

五島列島とは長崎から西100キロの洋上に点在している140余りの群島の総称である。

五島列島を大きく分けると上五島と下五島に分けられるが、
今回訪れたのはキリシタンを深い関係を持っていた下五島の三つの島だった。
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具体的には五島列島最大の島である福江島と
奈留島、久賀島であり、面積と人口は次のようになる。

          面積        人口
福江島     326平方キロ   37,000人
奈留島     24平方キロ     2,600人
久賀島      0.5平方キロ      380人

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by shige_keura | 2016-04-06 08:39 | | Comments(0)



2007年9月末にこちらに引っ越してきました。
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