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熊本・天草の旅 -腹切りも悪くなか!-
好物の鰻のかば焼き、
関東風と関西風には著しい違いがある。

まずは鰻のさばき方だが、
関東風は背開きに対し関西風は腹から開いていく。

江戸の昔、武士が中心であった東京(江戸)は
腹から切ることを切腹に見立てて嫌ったのが背開きになったと言う。

もう一つの大きな違いが関東風は蒸して脂を抜くのに対し、
関西風は蒸さずに焼いて脂を落とす。

その結果、関東の蒲焼はふっくらとしているのに対し
関西のものは若干パリッとしている。

私は蒲焼ならば今まで断然に関東派、
関西風の蒲焼には魅力を感じていなかった、
この人吉の「上村」の蒲焼を食するまでは。
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上村の鰻はステーキで例えればアメリカ風ビーフと言えよう。

一方の関東の蒲焼は和牛霜降り肉のステーキとなるだろう。

すなわち、「上村」の鰻の蒲焼はヴォリュームたっぷりなのだが
驚くほどに食べられてしまう。

重箱を開けると肉厚の蒲焼が4切れ,
目に飛び込んでくる。
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うっすらとタレを施し、焦げ目がついた蒲焼を
ご飯と一緒に腹にかっこむと・・・・・・、
ご飯の中に3切れの蒲焼が現れてくる。

都合、7切れの蒲焼が雑作もなく腹におさまり、満足、満足。

知る人ぞ知る名店、有名人の来訪も多い。

その中には我が学校の大先輩である
小沢昭一さん、加藤武さんの色紙も飾られている。
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小沢さんが主宰となって立ち揚げたのが芸能座。

立ち揚げ公演「清水次郎長伝伝」に
次郎長役で主演したのが盟友の加藤さんである。
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そのほか、山口崇、木の実ナナ、山谷初男等を引き連れて
九州、飯塚の「嘉穂劇場」公演の折に立ち寄ったものだろう。

恐らく巡業の合間にスタミナ補給、
この店に立ち寄ったに違いない。
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先輩諸氏が訪れ、色紙を残した鰻の名店で
秘伝の蒲焼を楽しむことが出来たとは・・・、
これだから人生は面白い。
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by shige_keura | 2016-11-30 22:41 | | Comments(0)
熊本・天草の旅 -焼酎街道の女もっこす-
「肥後もっこす」とは熊本県の県民性を表した言葉。

「津軽じょっぱり」、「土佐いごっそう」と並び
日本の三大頑固県民性を表す言葉だ。

熊本県が生んだ「もっこす」の代表的人物が
プロ野球の読売巨人の中心として活躍
その後無敵のチームをを率いた川上哲治であろう。

彼の現役時代のニックネーム「打撃の神様」、
監督となってからの9連覇達成までの足取り、
共に「初心貫徹」の「肥後もっこす魂」
頑固さが生み出した輝かしい財産と言えよう。

               (人吉市にある川上哲治記念球場)
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川上選手の生まれは人吉市、
ここは米焼酎として名高い球磨焼酎の酒蔵が並び
焼酎街道と呼ばれている。

川上と同じ人吉市、「焼酎街道」の一角に
昔ながらの製法にこだわりを持つ、
地域唯一の女杜氏のお店「寿福酒造」がある。
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数あるライバルのお店がすべて機会製法に切り替わった今も
息子さんと二人で汗水たらし焼酎を作っている。

彼女、寿福絹子さんこそ「肥後もっこす」の代表に相応しい。

今回お邪魔した時は丁度仕込みの大事な時、
それにもかかわらず彼女は親切に現場を紹介してくれた。
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もろ肌脱いで炊き立てのお米をかき混ぜている息子、
これまた額に玉の汗を浮かべ手伝っている母が寿福絹子さん。
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漸く一息ついてお米にお布団をかぶせ
隣の部屋で一晩寝かせ次の工程にかかる。
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お茶を飲みながら彼女は言う。

「もー、へとへと・・・しんどいねー、
 だけどね、あたしゃ、どうしても手作りにこだわりたいんよ。
 焼酎は私の子供ばい、愛情かけんといけんとね」。

 今日はこれから出前の鰻で力つけるんよ、
 何!!あんたたち、鰻食べてきたと!!
 美味しかったでしょう、上村の鰻」

汗が光る絹子さんの顔は疲れているに違いないが
生き生きと輝いていた。
               (若かりしころの絹子さん)
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続いて出る言葉が彼女らしい。

「冥途の土産と思って買ってくんさい、送料はただにしとくから」。

アルコール飲料の中で、私が好きなベストスリーは
ワイン、日本酒、ウイスキーであり
焼酎の優先度はあまり高くない。

更に、今年の3月に立ち寄った時に購入した
焼酎が、まだ家に残っている。

にもかかわらず、新たに2本の焼酎を買う自分が居た。
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熊本復興に一役かわにゃいけん・・・・・・、
というよりも、女肥後もっこすの心意気にのらにゃいかんばい。
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by shige_keura | 2016-11-29 13:24 | | Comments(0)
熊本~天草の旅 -四郎の呪縛―
天草と言えば誰しもが思い浮かべるのが天草四郎、
若くしてキリシタンを率い
幕府に反旗を翻した「島原の乱」で討ち死にした悲運のヒーローである。

天草に足を踏み入れたと同時に目立つのが天草四郎関係の宣伝、PR。
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「天草キリシタン記念館」、「天草四郎メモリアルホール」、
「天草パールセンター」、「藍のあまくさ村」、「鬼池港」等々、
至る所に彼の像が建立されている。
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天草の観光は天草四郎一色、
すべては彼に委ねられているようだ。
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それでは、この作戦が功を奏しているかというと首を傾げざるを得ない。

まず第一に天草四郎の実態が歴史のなかで、
解明されていないことが多すぎるのである。

江戸初期のキリシタン信奉者
実は豊臣秀頼の落胤をはじめ、
出生地についても天草諸島、熊本の宇土、或いは長崎と諸説ある。

               (幕府側の拠点となった富岡城跡)
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1621年或いは1623年に生まれ、
1637年の島原の乱のときに
十字架を掲げてキリシタンの総大将を務め原城で討ち死にしたというのだが・・・・。

十代の前半にして軍を率いることが現実的でないとの疑問もあるし、
そもそもこの戦いがキリシタンと幕府の争いではないとの説が今や一般的なのだ。

「島原の乱」は領主の圧政に立ち上がった単なる農民一揆であり、
そこに攻める方も守る方もキリシタンを担ぎ出したという背景がある。

一揆側としては奇跡を起こしたキリシタン信者を大将に掲げることで
聖なる戦いとの色彩から、より大きな力が湧いてくる。

一方の徳川幕府は家光の時代、
まだまだ徳川は盤石とは言えなかった。

従って、どこかで幕府の強大な力を見せつける必要があった。

そこでキリシタン嫌いの家光が考え出したのが
キリシタン弾圧に名を借りた一揆側と豊臣残党の殲滅作戦だった。

確かに一揆側には豊臣の流れを汲む者も居たという説がある。

従って、天草四郎の名前を売れば売るほど
話が嘘っぽく思われてくる。

しかも天草四郎には悲劇の影、暗いイメージが付きまとっている。

               (大江天主堂)
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それは天草の持つ風光明媚な自然と
余りにも大きなギャップを感じさせてしまう。

               (大江天主堂にあるルルドの聖母)
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天草四郎を売れば売るほど不自然さは強調され
天草の全体イメージを暗くしているようにも思われた。

               (埼津教会)
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「脱天草四郎」こそ今の天草が真剣に考えなければいけないのではないだろうか。

               (富岡城跡より天草諸島を見下ろす)
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天草諸島が持つたおやかな自然、
豊かな海の幸、山の幸をもっともっとアピールするべきである。
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by shige_keura | 2016-11-28 09:54 | | Comments(0)
熊本~天草の旅 -肥後の石工-
私は読んだことがないが
「肥後の石工」(ひごのいしく)という児童向けの本がある。
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江戸時代に肥後の国をより良くするために
石橋作りに心を砕いた男たちの物語。

そこからアーチ式橋(眼鏡橋)造りの名人集団
「肥後の石工」の名前が生まれた。

「肥後の石工」の凄さを物語る数字がある。

全国に残っている眼鏡橋の数はおおよそ1,000、
そのうち9割が九州に存在し、
その3割以上が熊本県(肥後の国)に集中している。

更に、名工たちは隣の薩摩の国に呼ばれ、
国を守る重要な橋梁建築を任された。

彼らは本拠地・熊本だけではなく
九州全般に影響力を及ぼしたのである。

石工たちは阿蘇の大噴火がもたらした火砕流が
冷却してできた溶結凝結岩が
石材に適していることを見抜き、
米どころの肥後の国をより豊かにするための
水路橋、往来橋を急流の難所、要所に架橋していった。

益城郡を流れる堂々たる緑川に
船津峡と呼ばれた交通の要所にして難所があった。

江戸時代の初めに架けられた木の橋は次々と流失していった。
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そこで立ち上がった72名で組織された肥後の石工のプロ軍団は
1846年に難工事の末にアーチ式の、いわゆる眼鏡橋を架けた。
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橋の名前は「霊台橋」(れいだいきょう)、
おそらく霊魂尽きるほどの努力の結果、
台地に根を生やすかのように完成した橋と言う想いが込められているに違いない。
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この橋は1966年に上流に鉄橋が出来るまで、
船津峡谷の難所を行き来する人たちにとって
千人力の力を発揮したことは間違いない。
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「霊台橋」から峡谷を登っていくと
緑川の支流、阿蘇の外輪山の南側を流れる五老ヶ滝川がある。

その川に江戸時代、1854年に架けられたのが
「通潤橋」(つうじゅんきょう)の名前がついている眼鏡橋である。

この橋の役目は名前が示す通り、
潤いを通すための橋である。
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すなわち、周辺の水に恵まれぬ台地に
灌漑と飲料の目的で作られた橋、
これのおかげで肥後五十四万石の健全な運営が可能となったのである。

「通潤橋」は日本の独自技術で実現した
最初の噴水管(逆サイフォン)として
「肥後の石工」のものづくり技術の高さを今に伝えている。
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「肥後の石工」、老爺となった今、
遅きに失したが、名児童文学書をひもとこう。
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by shige_keura | 2016-11-25 08:51 | | Comments(0)
熊本~天草の旅  -無残やな・・・・ー
目の当たりにする惨状に言葉を失った。

同時に、浮かんだのが芭蕉の句である。
「無残やな かぶとの下の きりぎりす」。

                (隅石一本で辛うじて支えている飯田丸五番櫓)
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この句は芭蕉が加賀の国を訪問した時詠んだものであり
熊本城とは何ら関係ない。

恐らく、兜~加藤清正~熊本城の連想が
頭を駆け巡ったのだろう。

今年の3月22日から24日にかけて熊本を訪問、
天下の名城熊本城の威風堂々たる姿に見とれた。
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               (2016年3月訪問時)
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それから1ヶ月もたたぬ4月14日に
熊本地方は大地震に見舞われ
城も甚大な被害を蒙ったことを新聞、テレビで知った。

そして11月、再び熊本訪問の機会を得た。

熊本城の惨状! 見ると聞くとは大違い。
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根こそぎ倒れている大木、崩れ落ちている城壁、
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瓦が滑り落ちむき出しになっている屋根、
わずか一本の柱でかろうじて崩壊を免れている城…。
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特に築城(慶長11年、1606)以来の姿を維持し、
熊本城の美の象徴とまで言われてきた
「長塀」もところどころ崩れ無残な姿をさらしている。
               (3月訪問時の長塀)
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               (11月、修復中の長塀)
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県のシンボルであり県民の誇りでもある
熊本城の変貌が熊本の人たちに与えた影響は計り知れぬことだと思う。

城の復興計画が今始まっている。

しかしながら、どこまで再建できるのか?するべきなのか?
城の復旧よりもいまだに仮設住宅で
不自由を余儀なくしている人たちの救済の方が優先すべきではないのか?

県内でも議論百出、
熊本トータルとしての復興計画の一本化はされていないようだ。

湯水の如き金を城の復旧に注ぎ込み
完全に元の姿に戻すよりも
地震の被害は被害として後世に伝える復旧に取り込むべきだと思う。

自然災害、とりわけ地震の凄さを改めて肌で感じた。
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by shige_keura | 2016-11-23 18:23 | | Comments(0)
空の玄関口の映像祭
2012年から行われている「蒲田映画祭」の一環として、
今回、「蒲田映像フェスティバル」が、
東京の空の玄関として発展し続けている
羽田国際空港ターミナルで行われた。

「蒲田映像祭」が何故羽田で行われるのか?

これに対する答えは以下の通りだ。

映像の原点とも言える映画の聖地が
蒲田であることは衆目一致している。

その蒲田から驚くべき進化を遂げている映像は
瞬時に世界を飛び回っている。

従って、「蒲田映像祭」のお披露目として
国際色豊かな羽田国際空港は絶好の開催地なのである。
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2012年から始まった「蒲田映画祭」のお客様は主に大田区民。

映画祭の目的は、かつて栄華と共に発展した
「キネマの天地・蒲田」を、お客様と主催者が共有することで
街の活性化を進めていくことにある。
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それが、今回は蒲田だけでなく、
蒲田から飛び出して大田区の要所である羽田から全国に、
そして海外に主に映像を通じて、
日本の美・技・心を伝えることを意図した壮大な仕掛けである。

開催は11月2,3の両日。
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オープニングプログラムは伊勢神宮の式年遷宮を中心に据えて
太古の昔から森や海、川と共生を続けてきた
日本人の心に迫ったドキュメンタリー映像「うみ やま あひだ」。
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写真家である宮澤正明氏の手によって描き出された画面は
あくまでも美しく厳かで観る者の胸を打つ。
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2日目は若き工学院学生たちによるアニメとコスプレで幕が開いた。

授業の一環として行われたイベントは浮ついたところはどこにも無い。

思い思いの役に扮した舞台上のコスプレの熱演、
それを熱心に食い入るように見つめていた学生たちの姿、
共に印象深いものがあった。
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牧野健太郎氏による浮世絵の拡大図を使っての説明はユニークこの上もない。

浮世絵原画では見過ごしてしまう細部に打つ出されているもの。
それは当時の江戸庶民の背伸びはせずともお互いに思いやり、
人情に満ち溢れ、生き生きとした日常生活である。

スイス人ファミリー6人組による
外国人の視点で描かれた映像には
我々、日本人が、ともすれば忘れがちな日本の良さが一杯につまっていた。

好奇心と行動力に溢れたスイス人家族は
日本人の忘れ物を心優しくも届けてくれたのである。

最後を飾ったのは人気現代墨絵アーティスト、
茂本ヒデキチ氏のトークショーと墨絵のライブイベント。
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所要時間は僅かの20分。

真っ白な紙に筆に含ませた墨を散らすことでパフォーマンスが始まった。
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開始2、3分を過ぎたころ、
何が現れてくるのか?? 全く見当がつかない。
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ほどなくして、何やら馬のような、
ペガサスとも連想させる形が描かれてきた。
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15分ほどで、騎馬侍の雄姿が徐々に浮かび上がってきた。
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イベントが行われた羽田の江戸舞台に相応しく、
戦国の騎馬武将が見事に登場!!

手練の技が観客を魅了した。
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ヒデキチさんは言う。
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「筆が動いている間が作品であり完成したものは私にとっては作品ではない」。

含蓄のある言葉だが、それが真に腑に落ちたライブイベントであった。
               (スイスファミリーも墨絵に魅了)
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会場の外では昔懐かしい「縁台将棋」。

そこでは、老いも若きも街の将棋自慢が
島九段をはじめとするプロの棋士相手に
一世一代の名人戦を繰り広げていた。

国際空港に、かつての日本人がこよなく愛した人間の繋がり、
縁台将棋を取り入れたユニーク溢れる趣向である。
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秋晴れの両日、羽田を発着する飛行機の数々、
今回のイベントが少しでも羽に乗って様々な場所に運んでくれることを望む。

日本人は自分たちが持つ歴史の深さ、
心の清らかさ、匠の技を決して忘れてはいけない。
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                (映画「うみ やま あひだ」の一場面)
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by shige_keura | 2016-11-11 14:20 | | Comments(0)
開場50周年
歌舞伎公演の基本に立ち返り、
通し狂言による上演を基本との理念のもとに
国立劇場が設立されたのは昭和41年(1966年)の事だった。
           (完成間近のころの国立劇場、まだ都電が走ってる)
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開場公演の「菅原伝授手習鑑」に際して
祈念切手が発売されたことに期待の高まりが見て取れる。
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以来、今年の11月で満50年、
歌舞伎公演300回を迎えたた節目に
10月から3か月通しで行われている公演が人気演目の「仮名手本忠臣蔵」である。
                (11月5日、秋晴れの国立劇場)
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「仮名手本忠臣蔵」の初演は寛永元年(1748年)に遡るが、
いずれの時代も歌舞伎の人気演目としての不動の位置を保ち続けている。
              (国立劇場開場20周年の時の「仮名手本忠臣蔵」)
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実際の松の廊下の刃傷沙汰から
赤穂浪士の討ち入りが起こったのが1701年~1702年の事だから
初演は事件後46年の事となる。

従って、お芝居は時代も足利時代に置き換え、
人物の名前も変えざるを得なかった。

更に、討ち入りの浪士の数、四十七士を
「いろは四十七文字」に見立てたことで「仮名手本」のタイトルがつけられた。

記念三か月公演の上演時間を合計すると
15時間以上に達する超大作である。

今回の11月は5段目から7段目、
お軽・勘平の道行と不思議な因縁、
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そして四十七士を率いる由良之助が一力茶屋で見せる
放蕩と見せかけた振る舞いが見せ場となっている。
                (7段目・祇園一力茶屋)
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今まで断片的にしか知らなかったお芝居の中身が
漸くつながりとして捉えられたことが
興味深く観られた大きな要素となった。

主君の仇討に向かうお話を縦糸とし、
それにまつわるいくつかのエピソードが
いわば横糸として巧みに、緻密に張り巡らされていることに驚いた。
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尾上菊五郎、中村吉右衛門以下、尾上菊之助、
尾上松緑、中村錦之助、中村雀右衛門、等々の豪華出演。

なかでは、お軽の兄、寺岡平右衛門に扮した
中村又五郎の硬軟取り混ぜた熱演、
そして、お軽に横恋慕する鷺坂伴内に扮して
滑稽味を醸し出す坂東亀三郎が印象的だった。

とりわけ中村又五郎の芸域に幅が出たことは
驚きでもあり今後の楽しみにもなった。
             (先代・又五郎の「剣客商売」秋山小兵衛)
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先代又五郎は痩身小柄ながら存在感は抜群であり、
池波正太郎が偶然に出会った時に
人気シリーズ「剣客商売」の秋山小兵衛をイメージしたと
度々随筆に著していた。
             (池波正太郎氏が描いた秋山兵衛)
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一方の当代・又五郎は小太りで小柄、
同じ池波正太郎の人気シリーズ
「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵にぴたりとはまる役者だと感じた。
             (右・中村吉右衛門・当代鬼平、左・当代・中村又五郎)
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             (池波正太郎氏描くように長谷川平蔵は小柄で小太りの男)
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話が若干横道にそれたが、12月の幸四郎の由良之助が楽しみだ。
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by shige_keura | 2016-11-07 08:55 | | Comments(0)
乾坤一擲
乾坤一擲とは運命を託した大勝負手、
「のるかそるか」の背水の一手である。

この大博打が決まれば今までの劣勢を大逆転出来るし、
仮に思い通りいかなくとも、すべてをやりつくした充足感に浸れる。

その意味では、彼には悔恨の想いが強く残ったに違いない。

彼とは日本シリーズで日ハムと死闘を繰り広げた
広島を率いた緒方監督である。

今年のプロ野球日本シリーズは
2勝2敗とタイとなった時に予想した通り、
4勝2敗で日ハムが日本一の座を獲得した。
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ただ、このシリーズは際どい試合の連続であり、
ほんのちょっとしたミスが試合を左右していった。

そのミスは選手だけではなく
監督の采配の躊躇すなわちミスも含まれている。

北海道へ決戦の場所が移ってから
広島の緒方監督の采配に迷いが見て取れた。

打つ手打つ手が逆目に出たのである。

その結果、本拠地に戻った第6戦、
彼は「動かざること山の如し」の戦術に出た。

ただ、この時のチームの状況は後がないとはいえ、
熱狂的な地元の後押しがある。

こういう時には、積極果敢にうって出て
チーム全体を鼓舞する方が得策ではなかったか?

問題は4-4同点で出迎えた8回の表、
中継ぎのジャクソンが簡単に2死を取った後で3連打を浴び満塁となった。

打者は中田、4番とは言え穴の多く、
コントロールミスさえしなければ打ち取れる。

ジャクソンはそれを意識した余り、ストレートの押し出し、
続く投手のバースにまさかのタイムリーを浴びた。

これでは守っている選手はやりきれない。
試合をひっくり返そうという闘志も萎えてくる。

話を巻き戻すと、打者・中田の場面で
監督として最良の選択をしなければいけない。

その最良とは、もちろんピンチを切り抜けることだが、
同時にナインを鼓舞し広島ファンのボルテージを最高に上げる戦術だ。

ならば、この場面は黒田の投入しかない。
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既に引退を宣言した黒田の最後の雄姿、
花道にこれほど相応しい場面はない。

おそらく、あそこで黒田を投入すれば
中田は心を乱され凡打、三振に打ち取られていたと確信する。

仮に万一、黒田が打たれたとしても、
選手、ファンは納得し試合を逆転する闘争心に火がついたと思う。
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スポーツ、勝負事には乾坤一擲の大ばくちが必要な場合がある。

乾坤一擲の、勝負手をしまいこんでしまったが為に
試合は風船が萎んだような味気ない結末となってしまった。

緒方監督を責めるつもりはないが
あそこは全軍の将として動くべき時だったと思う。
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by shige_keura | 2016-11-04 08:49 | スポーツ | Comments(0)
85歳の奇跡
1982年、「ファイヤ- フォックス」、
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当時の東西冷戦化を背景にマッハ5の性能を持つ
ジェット戦闘機の迫力を如何なく描き出した時が52歳。

2000年の「スペース・カウボーイ」では
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現役を引退した年寄り4人組の宇宙への再挑戦を
夢とロマンをたっぷりと盛り込み観客を魅了したのが60歳のとき。

そして85歳を迎えた今、
三度び空をテーマとした傑作を生み出したのがクリント・イーストウッドである。
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実話をもとにした「ハドソン川の奇跡」は
タイトル通り航空機史上の奇跡であるとともに
年老いた監督の映画への情熱が生み出した奇跡の大傑作だ。

クリント・イーストウッドは
当初しがないテレビ西部劇の俳優だった。
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               (テレビ西部劇「ローハイド」
                左・イーストウッド、右・エリック・フレミング)
その後、マカロニウエスタンの顔として
その存在を世に知らしめた。
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従って監督としてのデビューは遅咲きとは言え
2000年以降に生み出した傑作群は
彼の非凡な才能と共に常にフレッシュな感性を強く印象づけてきた。

例えば、2004年の「ミリオンダラー・ベイビー」は
人間の死に対して冷徹で客観的な結論を下している。

2008年の「グラントリノ」では人種問題を通じて
老人の覚悟が潔く語られた。

2009年、「インビクタス/負けざる者たち」は
南ア初の黒人大統領の決意をラグビーを通じて
痛快に爽やかに伝える娯楽作品である。

その後、2014年には「アメリカンスナイパー」と
「ジャージーボーイズ」と言う好対照の傑作を送り出した。

一方は中東の戦場に送り出された狙撃手の
心の葛藤を描く社会的作品であり、
他方は彼が得意とする音楽分野の娯楽作であった。

イーストウッドに対して驚くのはクランクインから
アップまでのスピードの速さであること。

そして彼の作った映像からは
何のてらいもない映画に対しての素直さがはっきりと窺える。

これが、今までの巨匠たちとは大きく違うところだ。

アメリカの巨匠、アカデミー賞を5回獲得したジョン・フォードでも
62歳の時に作った「捜索者」を最後に切れ味、枯淡の味共に失われていった。

英国生まれでハリウッドで大活躍したアルフレッド・ヒッチコックは
61歳の時に生み出した「サイコ」が彼らしい最後の作品となった。

日本を見ても、大傑作「七人の侍」を世に送った黒澤明でさへ、
70歳の「影武者」、「乱」は冗長で独りよがりの色濃く、
巨匠老いたりの感が強い。

「ハドソン川の奇跡」、実話を真正面に捉え、
力むことなくわずか1時間30分余で観客を酔わせるイーストウッド、
とても85歳の老境に差し掛かった男の作品とは思えない。

これは「85歳の奇跡」として
映画史に残る娯楽作品の見本と言えよう。

こういう作品は、最後の最後まできちんと見よう。

そこに登場するのは実際のサリー、
瞬時の判断で大惨事を未然に防ぎ犠牲者を一人も出さなかった機長である。
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               (左より、副長役のジェフ・スカイルズ、実際のサリー、
                クリント・イーストウッド、トム・ハンクス、機長役)
この飛行機には当時二人の日本人が搭乗していた。

機長と一緒の救命ボートに乗った一人はこう語っている。

「救助が完了して陸に上がった時の機長から興奮の色は何も感じなかった。
 これで任務完了、帰りに一杯飲んで帰るかというような余裕さへ感じた」。

サリーを演じたトム・ハンクスも見事な役者として引き付けたが、
実際のサリーは、わずかな登場の中で
英雄とは何たるかを教えてくれた。

クリント・イーストウッド、
次はどのようなテーマで観客を楽しませてくるのであろうか。
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by shige_keura | 2016-11-01 09:21 | | Comments(0)



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