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早春の熱海 ~ヨーロッパの旅館~
「ヨーロッパの旅館」、これが昨年10月末
“ひらまつ”グループが始めた
リゾート・ホテルのキャッチフレーズだ。

レストラン・ひらまつはホテルオークラで修業した
平松博利氏が、その後日本人として初めて
パリでオーナーシェフとしてミシェランの星を獲得したことで有名になった。
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今や、“ひらまつ”と言えば広尾の「ひらまつ本店」をはじめ、
代官山、銀座の“ASO”、ポールボキューズ、オーベルジュ・ドゥ・リルトーキョー、
アイコニック等のフレンチの名店を展開し
世のグルメ、グルマンにとっては堪らない存在となっている。

その“ひらまつ”が昨年の7月に賢島に
「ヨーロッパの旅館」をキャッチフレーズとしたリゾート・ホテルを開設した。
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今回滞在した熱海のホテルは昨年10月末開いたもの、
更に、矢継ぎ早に昨年末、箱根仙石原に三軒目のホテルを開設した。
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どのホテルも部屋数は少なく、熱海の場合も13室、
まさしく私が欧州に生活している頃愛用したシャトーホテルのコンセプトである。

シャトーホテルとは欧州の各所に点在している
貴族の館、僧院等をリゾート・ホテルとして改築したものである。

セールスポイントのひとつが
都市型のホテルに比べ小さいので
サービスが行き届いていることだ。

二番目は当時から地産地消を掲げ、
腕の良いシェフが腕によりをかけた料理を提供してくれることだ。

つぎにホテルのロケーションの大半が
街中の雑踏を離れ郊外の森の中、
或いは海辺に位置しているので、
ゆったりとした気分で真の休暇を満喫できるのが嬉しいことだ。
                (地中海に面したプチ・ニース)
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例えば、フランスのマルセイユ郊外に
地中海に面して建つ“プチ・ニース”、
プロバンス地方の山間に分け入った場所に
陽光を浴びて佇む“ボーマニエール”で過ごした時間は今でも忘れられない。
               (プロバンスの山間にあるボーマニエール)
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自家菜園で太陽を浴びて育ったトマト、ズッキーニや葉物、
地中海の海の幸に山の獲物を
ワインと一緒にやるのは至福のひと時である。

今回の熱海ではホテル側の格別な計らいで
思いがけず、ゆったりとした日本間に泊まれることが出来た。
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目の前に広がるのは伊豆の海、
すぐそばに浮かぶは初島、遠くに大島が霞んでいる。
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露天風呂でゆっくり身体を温め、いざ夕食!
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先ずは兎のリエットをおつまみにシャンパン。
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相模湾の赤座海老の備長炭・炭火焼、
蒸しアワビに肝のソース、フォアグラ等々、
シェフの選りすぐった食材に舌鼓を打つ。

勿論、紅白のワインが食事を盛り上げてくれる。

チーズにデザート、満ち足りた気分、
部屋に戻って一休みののち、
もう一度ゆっくりと温泉でくつろぐ。
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満天の星空、ゆったりと時が流れていく。
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by shige_keura | 2017-01-28 22:12 | | Comments(0)
早春の熱海 ~熱海のローマ風呂~
昔々の事だが、そのころ熱海と言うと
何故か大野屋のローマ風呂が有名だったような記憶がある。

それは中学校の頃だと思うが、
偶々、大野屋のローマ風呂に入ってみた所、
普通の大浴場で拍子抜けしたことを覚えている。

さて、熱海は気候温暖にして良質の温泉が豊富とくれば
古くから多くの実業家、政治家等の別荘が軒を連ねていた。

中でも三大別荘と言われたのが
岩崎弥太郎の「岩崎別荘」(現在は非公開)、住友別荘(現存せず)に並び
唯一見学できるのがここ「起雲閣」である。

この別荘の特徴は時代と共に持ち主が替り、
その都度新たな増改築を行っているので
大正・昭和ロマンの香り豊かさを和洋折衷の建物に
たっぷりと味わえるところである。

この建物が最初に出来たのが大正9年(1919)、
持ち主は当時海運王と言われた内田信也が
母の静養のための別荘として新築したものだ。
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このときは純粋の和風建築であり、
それは薬医門の名前の表門(鎌倉・室町時代の武家・公家屋敷に使われた様式)や
麒麟の名前が付けられた凛とした佇まいの和室に見てとれる。
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尚、和室の壁の特徴的な群青色は
後に旅館となった時に、
持ち主の石川県出身の桜井兵五郎によって手が加えられたものだ。

桜井兵五郎は当時、石川県、金沢郊外の湯涌温泉に
東洋一と謳われた「白雲楼」ホテルの持ち主として名高い人物である。

               (金沢市郊外、湯涌温泉にあった白雲楼ホテル)
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10年ほど前に金沢に暮らしていた頃、二、三度訪れた折、
今や廃墟同然となった「白雲楼」を見て残念な想いをしたものだった。

話を「起雲閣」に戻そう。

時は大正14年(1925)、持ち主が変わった。

新たな持ち主は青山にある「根津美術館」で有名な根津嘉一郎、
彼は政治家として東武鉄道の社長等、実業家としても名を馳せた人物だった。
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根津の時代に「起雲閣」は洋風の味付けを加えていき、
三代目の持ち主で旅館として活用した
桜井兵五郎の手で、よりスケールを増していった。
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この時代にここで筆を執った文豪は
山本有三、志賀直哉、太宰治、舟橋聖一、谷崎潤一郎、
三島由紀夫等枚挙にいとまがないほどだ。
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そして、舟橋聖一が離れの「孔雀の間」で執筆した「雪夫人絵図」は
日本が誇る巨匠、溝口健二の手で映画化されるときに、
ここの洋館にあるローマ風呂を使って撮影された。
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出演は上原謙、木暮実千代、久我美子等々で、
由緒正しき家柄の久我美子の入浴シーンは特に話題を呼んだものだった。
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このローマ風呂は肌触りやすべり止めを考慮して
床は木製のタイルを使っているのだが、
一見したところ石と見まごうほど精巧に造られている。
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「起雲閣」のローマ風呂は
中学時代に見た大野屋とは比較にならぬほどの質感の高さを誇示していた。
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by shige_keura | 2017-01-27 13:53 | | Comments(0)
早春の熱海 ~不老長寿~
ここは熱海梅園から緩やかな坂を下って
10分ほどの所にある「来宮神社」。
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最近はパワースポットして人気が高く
初詣の時期は神社境内が人の波となるそうだ。
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何故人気が高いか、
その訳はこの神社に祀られている楠の大樹にある。

樹齢推定2,000年を超えると言う巨木の楠、
江戸時代の末期まで、ここは「木宮明神」と名付けられていた。

これだけの樹齢を誇れば当然ながら
ご利益は「不老長寿」「無病息災」ということになるので
参拝客も年々増加しているとのことである。
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樹木の大きさは幹の周りで決まるが、
ここの楠の太さは23.9メートルで、
これは日本で二番目、本州ではナンバーワンの大きさを誇っている。

巨大な楠の左の幹は完全に死んでいるが
右側の巨木は今なお成長を続けている。
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根元が盛り上がっているようにも見える幹は
さながらモンスター、大魔神のように吾を圧倒し、
2,000年と70余年の差を実感させられる。

この神社には第2大楠と呼ばれる御神木もある。
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それはこの楠が雷で片側を削り取られ
幹の殆どが抉られているにもかかわらず
未だに生き続けているためである。

「成長のエネルギーを木の裏側で実感してください」、
との解説文に従って裏側に回って見ると、
確かに幹の中身は殆ど空っぽである。
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これは成長のエネルギーと言うよりも
良く言えば、骨と皮だけになっても飽くなき生への執着心、
端的には、最後のあがきのようなものを感じてしまった。
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因みに日本一の巨樹は鹿児島県の蒲生八幡神社にある
同じ楠で推定樹齢は1,500年と来宮神社の巨木より若いが
幹の太さは24.2メートルと僅かながらに凌駕している。

南の土地で育っているだけに成長も早いのだろうか。
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by shige_keura | 2017-01-26 21:57 | | Comments(0)
早春の熱海 ~梅は咲いたか・・・・~
「梅は咲いたか、桜は未だかいな、
 柳ゃ、なよなよ風次第、山吹は浮気で色ばかり
 しょんがいなー、しょんがいな」

江戸時代、お座敷で流行った端唄、
「しょんがえ節」の一節である。

お座敷で好まれたものだけに
芸妓さんを花にたとえている。

梅は若い芸妓、桜はちょいと年増の姐さん、
柳は移り気芸者、山吹は実を結ばない浮気な芸妓となる。

又、季節の到来も意味しているのは
梅が咲いたけど、桜は未だだろうなの文句でも明らかである。

この画像は今年の1月19日熱海梅園前、
何と!既に桜は満開である。
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梅園の梅は木の種類によっても違うが全体的に七、八分咲き。

ということは、熱海では
「桜は咲いたが、梅はまだかいな」となってしまう。
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この桜は1965年熱海桜と命名され、
その後1977年に熱海市の木に指定され、
日本で一番早く開花を迎える桜である。

この桜はインドが原産で
日本に入ってきたのは明治4年ごろに訪れた
イタリア人によってとされている。

花弁が濃いピンク色で花が大きいのが特徴であり、
寒緋桜と山桜の雑種とされている。
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熱海梅園から坂を下り来宮神社を過ぎて
更に坂を下った市街地に流れる糸川の両側が
熱海桜の見どころである。
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花は満開、次から次へと黄緑色をしたメジロが
蜜をついばみに枝から枝へと飛び回っている。
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日本では「河津桜」が早咲きとして有名だが
実は「熱海桜」の方の開花が早く
今年は12月末に花がほころび始めた。

昨年末に花が咲き始めた桜が
今もなお満開で色鮮やかに咲き誇っているのはどういうわけか?
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通常の桜は満開時期が短く
「三日見ぬまの桜かな」という言葉も生まれているのに
熱海桜の満開が長いのは何故だろう。

その理由は一本の枝に早期に咲く花芽と
遅く出てくる花芽があるからだ。

早期に咲く花が散るのを待つように
第二弾の花芽が膨らんで花を咲かせる。

いずれにせよ、梅見は想定内だったが
思わぬ桜見物が出来るとは。
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「梅は咲いたし、桜も満開じゃ、
 ええじゃないか、ええじゃないか!」。
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by shige_keura | 2017-01-25 21:19 | | Comments(0)
早春の熱海 ~紅白に黄色~
熱海と言う言葉から連想するのは
別府、草津等と同じく、温泉であるのが一般的だろう。

歴史をひもとくと1500年ほど前に
海中から熱湯が噴出したことが町の名前である熱い海、
熱海の由来であり、それが温泉に繋がっている。

江戸幕府を開いた徳川家康も一週間余り
熱海に湯治滞在したとの記録も残っている。

明治18年(1885年)には日本初の温泉療養施設が
噏滊館(きゅうきかん)の名前で当地に造られた。

その翌年に療養所に滞在する人々の自然浴を促進させるために
造られたのが熱海梅園の起こりであるそうな。

1月19日、天気予報が良いほうに外れ
雲間から日が拝める陽気。
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熱海への一泊旅行の折に
梅の具合は如何なものだろうかと梅園を訪れた。
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事前に調べたところでは未だ5分咲きとの話だったが、
どうしてどうして、白梅、紅梅見事な咲きっぷりで
我が目を楽しませてくれた。
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とりわけ見事だったのが堂々たる蝋梅が
香りと共に黄色い艶々とした花を満開にさせていたことだ。
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蝋梅は名前に梅の字があるが為に
梅の仲間(サクラ属)と誤解されることが多いが
梅とは違う仲間である。
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蝋梅の源を辿ると楠であり原産は中国、
日本には17世紀ごろ伝来してきたと言われている。

伝来してきた国の名前から
「唐梅」とも日本では呼ばれているが
中国の正式名称も蝋梅である。

この名前は本草綱目によれば
半透明で艶のある花弁が蝋細工のようでもあり、
且つ、蝋月(旧暦12月)に咲くからだとある。
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艶々とした蝋梅、紅白の梅、
春の訪れを知らせる梅林散歩は
まっこと、気持ち良きものでありました。
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by shige_keura | 2017-01-23 15:08 | | Comments(0)
2017年お正月  -サビが効いてる!-
「サビ」とは音楽の曲の中の山場、
メロディーが最も盛り上がるところを言う。

その由来は松尾芭蕉が俳句の最も美しい部分を
「寂」(ワビ・サビ)と述べたことにある。

ただ、我々が「サビが効いてるーーー」と
良く口に出すのが鮨をつまんでいるときである。

このサビは勿論シャリとネタの間に入っている山葵の
つんとは来るが爽やかな風味を意味している。
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ワサビは漢字で書くと山葵、
諸説あるがワサビの葉が葵に似ているというのが有力だ。

奈良時代の718年に出された「賦役令」、
つまり、法人税法施行令に
初めて山葵という文字が記載されている。

恐らく土地の名産品、薬用に用いられていたのだろう。

室町時代に入ると現在と同じ、薬味として使われ
江戸時代、寿司、蕎麦をはじめ庶民に多く使われるようになっていった。
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江戸幕府を開いた徳川家の家紋が葵であったことで
山葵は幕府の庇護を受けて成長
日本を代表する薬味として現在の地位を築いた。
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暮れに白馬にスキーに行った次女一家、
その折に立ち寄った安曇野で
大層立派な山葵をお年賀として届けてくれた。
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我ら夫婦も5年ほど前に安曇野を訪れ
道祖神めぐりを愉しんだ後、「大王わさび農場」と名付けられた山葵園を見学、
その広大な農場と鮮烈な川が流れる風景に目を見張った。
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1月2日から山葵の有効活用を考えながらの食事が続いている。
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最初に考えるのは勿論刺身である。

ただ、刺身ならばどの魚でも良いと言うわけではない。

例えばイカ、鯵、鰯等は山葵よりも生姜の方が好ましいからだ。

その結果選んだのがカンパチとタコ。
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山葵は八の字を描き子供の様に柔らかな力で焦らず擦る。
じきに山葵特有の香りが強く漂ってくる。
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この日同時に、試したのは「菊五郎巻」、
かつての歌舞伎役者が好んで食べた山葵の細切りの巻物だ。
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しかし、これは期待外れに終わった。
やはり、山葵はすってこそなのだ。
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次の日は鉄板で蝦夷鹿の肉を焼き、
たっぷりと山葵を載せて食べた。
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ジビエと山葵、野生同士の絶妙のコンビネーションだった。
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昼食には、富山から送られてきた
つきたてのお餅をこんがり焼き上げ、
納豆、大根おろし、そして山葵で賞味する。
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大根のツンとくる辛味、
爽やかでこれまたツンと来る山葵が面白いハーモニーを奏でている。
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鯛茶漬けと豆腐の厚揚げ、
このときも本来は脇役のはずの山葵が主役を張った。
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お次に登場したのがローストビーフ、
肉は豪州産のお手頃価格ではあるが
ワサビ効果で、ワインと共に美味しくいただいた。
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これだけの料理に活用しても、まだ残っている。
さー、これからはどのように使おうか。
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by shige_keura | 2017-01-12 08:52 | その他 | Comments(0)
2017年お正月 -こいつは春から・・・-
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1月5日、国立劇場の舞台も大詰め、
お正月公演恒例の手ぬぐいのふるまいに入った。
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お芝居を盛り上げた役者が舞台に勢ぞろい、
記念の手ぬぐいを客席に投げ入れはじめた。

すると舞台中央の座長・尾上菊五郎の投げた手ぬぐいが、
どうしたものか、近くの椅子の角に当たって跳ね上がって視界から消えた。
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次に私の膝の上を見れば、
なんと、その手ぬぐいがちょこんと載っかてるではないか。

これぞ、歌舞伎の決め台詞、
「こいつは春から縁起がいいわい!」
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今回の演目は、国立劇場開場50周年記念の一環、
通し狂言「しらぬい譚(ものがたり)」。

江戸庶民の間で大人気をとった長編絵物語を
河竹黙阿弥が脚色し舞台化したものである。
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内容は江戸時代初期に起きた
筑前国黒田家のお家騒動を基本に
天草四郎が首魁とした島原の乱の味付けを加えている。

幕が開いた途端に広がるのは大きな壺が沈んだ海底、
2匹の巨大な烏賊が泳ぎ回り、
観客からはどよめきの声が挙がる。
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演目の横に「尾上菊之助交いの宙乗り相勤め申し候」とあるとおり、
今や旬を迎えた女形の一番手、
菊之助の妖艶華麗な宙づりの舞が
荒れ狂う海の舞台を見下ろす。

これだけの大掛かりで巧妙な舞台仕掛けをあまり見たことがない。

お正月に相応しく和服のお客様をはじめ
満場のファンからは「音羽屋!」の掛け声が盛んに飛び交う中、
熱気に包まれて初春の舞台の幕は閉じた。
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今年は国立劇場50周年の節目の年。
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その記念すべき年に音羽屋から手ぬぐいを頂戴するとは、
もう一回言おう。「こいつは春から縁起がいいわい!!」
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by shige_keura | 2017-01-10 09:34 | その他 | Comments(0)
2017年お正月 -初夢の続き-
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初夢と言う言葉が歴史上最初に登場するのは
鎌倉時代の「山家集」と言われる。

「山家集」は西行法師の歌集と言われ
その「上、春・第一 たつ春の朝によみける」には
確かにこのような句が詠まれている。

年くれぬ 春来べしとは思い寝に
まさしく見えて かなふ初夢

「たつ春の朝によめる」のたつ春とは
「春が来る」すなわち節分と解釈され
ここでいう初夢は立春の日から節分にかけて見る夢となる。

それが時代と共に変化し、
江戸時代には大晦日から元旦、元日から2日、
正月2日から3日と諸説入り乱れている。

現代では初夢とは元日の夜から
2日の朝にかけて見る夢が定着しているようだ。
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「一富士、二鷹、三茄子(なすび)」が
縁起の良い初夢と言われていることはつとに知られている。

では、何故これが縁起が良いかの理由については
次の二つの説が有力だ。

ひとつは江戸幕府を開いた徳川家康に縁のある
駿河の国(静岡県)の誇れるもの三つというもの、
すなわち当時は他国より早く実る茄子、
最高峰、富士の山と、そこに住む鷹ということである。

もう一つの説は、富士は不死、鷹は高貴(貴、たか)
そして茄子は成すから子孫繁栄と
縁起が良い言葉であるとのものである。

そして、後者を取ると、その続きがある。

それが、「四扇、五煙草、六座頭」(しおうぎ、ごたばこ、ろくざとう)である。

これの由来はご賢察の通り、
扇は末広がり、たばこの煙は高く昇って運気上昇、
座頭は琵琶法師で分かるように
剃髪して毛がない(怪我がない)と言うこととなる。
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それでは、今年どのような初夢を見たのか?
それが例年同様、全く覚えていない。

これは齢を重ねたために忘れっぽくなったわけではなく、
いつもぐっすりと眠っている為である。
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by shige_keura | 2017-01-09 11:08 | その他 | Comments(0)
2017年お正月 -賑やかな初釜-
元日、墓参りと愛宕神社参拝の後に向かったのは
いつも通りの六本木ヒルズ。
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雲ひとつない青空を背景にそびえる東京タワーが美しい。
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スカイツリーが出来た今も、
東京のシンボルは姿かたちの流麗なことからも
東京タワーに決まっている。

昼食、そしてエノテカでワインの福袋を購入するのも例年のごとし。

あとは一族郎党10名が我が家に集まって、
福袋を開けてワインの品定め。
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福袋だから定価以上のものが入っているのは分かってはいるが
好みのポーリャックが入っているか?
イタリアワインならバローロ?
トスカーナのアンテノーリ?
興味は尽きない。
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孫にとっては苦手の御屠蘇の儀式、
しかめっ面をしつつも無事こなした後は「初釜」となる。
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「初釜」とは新春を迎えて初めて開く茶会であり
茶道の仕事始めのことである。
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従って、茶道をたしなむ者にとっては
大切な厳粛なものであるのだろうが、
我が家の「初釜」は賑やかなことこの上もない。
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自分の子供の頃を顧みると
抹茶を美味しいとは思わなかったものだが
当世の孫たちは違う。

御屠蘇の時とは別人のように、
お代わりを所望している。

抹茶も好きだが、それ以上のお目当ては
金沢土産の和菓子、
福梅と落雁にあることは言うまでもない。
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「村上」の福梅と「諸江屋」の落雁、
老舗の味を子供のうちから覚えられるのは幸せだ。

その横のソファーでは
朝早く初詣を済ませた娘婿はうつらうつら、
初夢モードに入っている。

こうして、今年の元日も和やかに楽しく時が流れていった。
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by shige_keura | 2017-01-08 10:13 | その他 | Comments(0)
2017年お正月 -願いは叶う-
港区にある愛宕神社は近年初詣の人気上昇中、
年ごとに訪れる参拝客の数は増えている。

その理由は、誰が仕掛けたか知らぬが
都内のパワースポットだと言うことと、
23区内の天然の山では最高峰であることに因る。

最高峰を具体的に言うと25.9メートル、
これをもって高い低いを論じることは意味がないが、
正面の男坂と呼ばれる階段を見上げると、
その高さは現実性をもって迫ってくる。
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この石段の数は86段であり、
最大傾斜40度に達していると言う。

この階段は俗に「出世の階段」と呼ばれており、
名前につられて息を切らしながら上る人の跡は絶たない。

命名の背景には次の話が残されている。

時は寛永11年(1634年)
三代将軍・家光が芝の増上寺参拝の帰りに
この石段の前を通りかかった。

そのとき将軍が見上げた石段の上に
梅の花が咲いていたので、
誰か勇気ある者、馬で取って来いと命じた。

尻込みする家来の中で
讃岐・丸亀藩士の曲垣(曲木)平九郎が
見事馬を御して梅の花を将軍に献上し、
彼の名前はたちまちのうちに広がったのである。
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急な階段を見上げると、
これは講談、浪曲の中の架空の話であると思えるのだが、
明治以降、実際に馬で山上の神社まで上った例が三件ある。

もっとも最近では1982年、馬術のスタントマンが
テレビの番組のなかで32秒で頂上まで到達した。

さて、この神社が創建されたのが慶長3年(1603年)、
江戸幕府を開いた家康が
江戸の町が火災から無事に守られることを願ったものである。

その後、江戸は振袖火事をはじめ
何回か大火事に見舞われたが、そのつど見事に復興した。

しかし、最大の危機は幕末、慶応4年(1868年)、
西郷隆盛率いる東征軍が計画した江戸総攻撃にあった。

もしも総攻撃が実行されるならば
江戸は猛火に包まれ灰塵に帰すところだったのだが、
西郷隆盛と勝海舟の会談の結果、
寸前で総攻撃は回避された。

このとき、二人は愛宕山に登り、
江戸の町を見下ろして語り合ったとの一説が残されている。
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もしも、これが事実ならば
家康の願いは260年も経過した後の世まで通じていたのだ。

出世には、時すでに遅しであるが、
孫につられて山頂を目指した。

幸いにして今年も息も上がらずして
愛宕神社遥拝を済ますことが出来た。
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但し、これはいつもの例だが
下山を横の女坂にしたのは、爺の高所恐怖症の為のものである。
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by shige_keura | 2017-01-06 09:29 | その他 | Comments(0)



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