人気ブログランキング | 話題のタグを見る
Top
我が青春の女神たち -不可思議なロンパリ女神ー
欧州映画の歴史を振り返ってみると
フランスとイタリアが両輪となって
引張って来たことは間違いないだろう。

両国以外、イギリス、ドイツも
名画を生んできたことは否定できない。

しかし、イギリスは歴史的に
映画を軽んじた風潮と
厳しい風土を反映してか
明るく楽しい作品が誕生しなかった。

又、ドイツについては
よく言えば真面目、悪く言えば面白みのない
国民性に因るものだろうか?
これまた楽しいドイツ映画を見たことがない。

そして、このシリーズのテーマである”女神”についても
映画と同様、イギリスとドイツには存在せず
専ら、イタリアとフランスにあこがれの君は多い。

しかし、フランスとイタリアの女神は違う。

イタリア女神は官能的美女が多いながらも
親しみやすさを感じる。

その一方、フランス女神は
美人度ではイタリアを凌駕しているが
全般的にツンとして近寄り難い雰囲気を醸し出している。

(ダニエル・ダリュー)
我が青春の女神たち -不可思議なロンパリ女神ー_c0135543_15313287.jpg

古くはコリンヌ・リュシェール、アナ・べラをはじめ
ダニエル・ダリュー、ミシェル・モルガン、
アヌーク・エーメ、カトリーヌ・ドヌーブ等である。

(ミシェル・モルガン)
我が青春の女神たち -不可思議なロンパリ女神ー_c0135543_15331437.jpg

フランソワーズ・アルヌールは数少ない例外、
可愛らしさの中に、どこか薄幸の影を引きずる彼女、
それは彼女の生まれ、即ちアルジェリアであることに
起因しているのでは無いだろうか。

(フランソワーズ・アルヌール)
我が青春の女神たち -不可思議なロンパリ女神ー_c0135543_15335945.jpg

つまり、アルヌールは本当の意味のフランス人ではないのだ。

ここに、南仏の高級リゾート、ニースに生まれながら
私が親しみやすさを感じた例外のフランス女優がいる。

ただ、親しみやすさを感じたということは
決して彼女から強烈なインパクトを
受けたことを意味しているわけではない。

なんだか良く分らないままに
彼女の魅力にはまっていってしまったのだ。

続きを読む
# by shige_keura | 2010-12-16 09:59 |
あの人を想うとき
12月も半ば、年賀状作成の季節である。

年賀状とは、皆様良くご承知の通り、
「新年に送られる郵便葉書や
 カードを用いた新年を祝う挨拶であり、
 旧年中の厚誼の感謝と共に
 新しい年も変わらぬ厚情をお願いするものだ」

その歴史を辿ると奈良、平安に遡る。

その時代、年始の挨拶を行えない
遠方の人に対して書状をもって
年始の挨拶に代えたものが起源と言われている。

江戸時代には飛脚を用いて年賀状の交換が行われ
明治20年ごろより国民の間に定着した。

1949年お年玉付年賀葉書発行と共に
年賀状の取扱量は急増した。

発行枚数で見ると、
ピークは平成16年の44.6億枚である。

以降、インターネットの普及等により
発行枚数は漸減傾向を辿っているが
本年も39億枚が発行されるという。

これは、人口一人当たりの
単純平均で約30枚になるのだから
今の世の葉書、手紙衰退の中にあって
いまだに人々の間に強く浸透しているといって良いのだろう。

続きを読む
# by shige_keura | 2010-12-14 21:38 | その他
我が青春の女神たち -イタリアの大姉御ー
イタリアと言う国は
実に多くの魅力的女優を輩出してきた。

美しいがちょいと恐そうな、ソフィア・ローレン、
我が青春の女神たち -イタリアの大姉御ー_c0135543_21373146.jpg

バラの名前にもなっている、ジーナ・ロロブリジータ、
我が青春の女神たち -イタリアの大姉御ー_c0135543_21381779.jpg

官能派ナンバーワン、エレオノラ・ロッシ・ドラゴ、
我が青春の女神たち -イタリアの大姉御ー_c0135543_21385728.jpg

ジェームス・ディーンの恋人、ピア・アンジェリ、
我が青春の女神たち -イタリアの大姉御ー_c0135543_21393767.jpg

チョッピリ野生派、クラウディア・カルディナーレ、
我が青春の女神たち -イタリアの大姉御ー_c0135543_21401284.jpg

歴代ボンドガール、ナンバー・ワン、ダニエラ・ビアンキ、
我が青春の女神たち -イタリアの大姉御ー_c0135543_21404629.jpg

奥様のお色気、シルヴァ・コシナ、
我が青春の女神たち -イタリアの大姉御ー_c0135543_21411794.jpg

いやー、凄い顔ぶれ、目移りがしてしまう。

しかし、イタリアで今もって人気が高く
全ての女優を束ねる存在感を持つ人、
それは、シルヴァーナ・マンガーノにほかならぬ。

彼女の死後20年も経ったにもかかわらずだ。
我が青春の女神たち -イタリアの大姉御ー_c0135543_21515519.jpg

16歳の時、ミス・ローマに選出された彼女は
1948年の「にがい米」でデビューし
豊満な肉体を誇示して世をアット言わせた。

時にマンガーノ弱冠18歳の時の事だった。
我が青春の女神たち -イタリアの大姉御ー_c0135543_21531488.jpg

私が「にがい米」を見たのが大学生時代、
彼女の余りにも強烈な存在感に圧倒された。
我が青春の女神たち -イタリアの大姉御ー_c0135543_21551623.jpg

”好き”、”嫌い”を通り越して
ただただ、”恐れ入りました”の一言だった。

続きを読む
# by shige_keura | 2010-12-13 13:24 |
師走の”とおさんば”
”とおせんぼ”ではなく”とおさんば”
正確には”通さん場”である。

芝居小屋の暮れと正月は
いつも以上に活気を呈する。

暮は年忘れ興行、正月は新春興行と言う具合に。

そして、12月の歌舞伎といえば
それは「仮名手本忠臣蔵」となる。
師走の”とおさんば”_c0135543_21391328.jpg

「菅原伝授手習鑑」、「義経千本桜」と並ぶ
人形浄瑠璃の三大傑作が
元禄の世の赤尾浪士の仇討ちを手本としていることは
日本人であれば誰でもが知ってる。

徳川の世、芝居に実名を使うことは許されず
赤穂四十七士をイロハ47文字にかけて「仮名手本」、
更には主人公の忠臣と大石内蔵助の蔵から
「忠臣蔵」を考え出して出来た題名が
「仮名手本忠臣蔵」なのである。

このお芝居は通しで全十一段からなる大作なのだが
それを1日で見ることは先ず不可能だ。

何故なら、今、国立劇場で行われている
三、四、道行、七、十一段目ですら
5時間を超える大芝居となるのだから。

続きを読む
# by shige_keura | 2010-12-10 10:10 |
我が青春の女神たち -黄色いリボンは誰の為ー
今日の主人公は私にとって
印象の薄い存在である、
この1本の作品を除いては。

映画のタイトルは、「黄色いリボン」
西部劇の神様と謳われたジョン・フォード監督が
1949年に手掛けた初のカラー作品である。
我が青春の女神たち -黄色いリボンは誰の為ー_c0135543_15305167.jpg

カラーにしたわけは映画を見れば良く分るのだが
その前にジョン・フォードの
この映画に至るまでの心境の変化を説明しよう。
我が青春の女神たち -黄色いリボンは誰の為ー_c0135543_9245491.jpg

フォードは古典的西部劇の傑作
「駅馬車」を1939年に世に送った。

次に、これまた傑作との評判が高い
「荒野の決闘」を製作したのが1946年である。

インディアンの襲撃あり、騎兵隊の救援あり、
主人公と悪党一味の決闘あり、
西部劇のあらゆる面白さが凝縮されたのが「駅馬車」だ。

一方の「荒野の決闘」には
同じ監督の作品とは思えぬほど
フォードの枯れた味が全編に漂っている。

何故、これほどまでに作風が変わったのか?

それは両作品の間にある7年間の空白が鍵となる。

この間、フォードは
第二次大戦の従軍カメラマンを志願した。

任地は太平洋最大の激戦地ミッドウェー、
戦争の殺戮の真っ只中で
決死の覚悟で彼はフィルムを廻し続けた。

そのことがフォードの心に
既存の西部劇、即ち、人と人が、白人とインディアンが
争い殺しあう映画を作ることに
ためらいが生じたのだと思う。

その結果、世に送り出したのが「荒野の決闘」、
静かなオリジナルタイトル、「My darling Clementine」に
フォードの心境の変化が見て取れる。

続きを読む
# by shige_keura | 2010-12-09 09:31 |



2007年9月末にこちらに引っ越してきました。
→過去のブログを見る


ホームページ 



LINK 


LINK FREE

このブログの写真・テキストの無断使用はお断りします。

(c) 2007 shige_keura. All rights reserved.