欧州映画の歴史を振り返ってみると
フランスとイタリアが両輪となって 引張って来たことは間違いないだろう。 両国以外、イギリス、ドイツも 名画を生んできたことは否定できない。 しかし、イギリスは歴史的に 映画を軽んじた風潮と 厳しい風土を反映してか 明るく楽しい作品が誕生しなかった。 又、ドイツについては よく言えば真面目、悪く言えば面白みのない 国民性に因るものだろうか? これまた楽しいドイツ映画を見たことがない。 そして、このシリーズのテーマである”女神”についても 映画と同様、イギリスとドイツには存在せず 専ら、イタリアとフランスにあこがれの君は多い。 しかし、フランスとイタリアの女神は違う。 イタリア女神は官能的美女が多いながらも 親しみやすさを感じる。 その一方、フランス女神は 美人度ではイタリアを凌駕しているが 全般的にツンとして近寄り難い雰囲気を醸し出している。 (ダニエル・ダリュー) 古くはコリンヌ・リュシェール、アナ・べラをはじめ ダニエル・ダリュー、ミシェル・モルガン、 アヌーク・エーメ、カトリーヌ・ドヌーブ等である。 (ミシェル・モルガン) フランソワーズ・アルヌールは数少ない例外、 可愛らしさの中に、どこか薄幸の影を引きずる彼女、 それは彼女の生まれ、即ちアルジェリアであることに 起因しているのでは無いだろうか。 (フランソワーズ・アルヌール) つまり、アルヌールは本当の意味のフランス人ではないのだ。 ここに、南仏の高級リゾート、ニースに生まれながら 私が親しみやすさを感じた例外のフランス女優がいる。 ただ、親しみやすさを感じたということは 決して彼女から強烈なインパクトを 受けたことを意味しているわけではない。 なんだか良く分らないままに 彼女の魅力にはまっていってしまったのだ。 続きを読む #
by shige_keura
| 2010-12-16 09:59
| 観
12月も半ば、年賀状作成の季節である。
年賀状とは、皆様良くご承知の通り、 「新年に送られる郵便葉書や カードを用いた新年を祝う挨拶であり、 旧年中の厚誼の感謝と共に 新しい年も変わらぬ厚情をお願いするものだ」 その歴史を辿ると奈良、平安に遡る。 その時代、年始の挨拶を行えない 遠方の人に対して書状をもって 年始の挨拶に代えたものが起源と言われている。 江戸時代には飛脚を用いて年賀状の交換が行われ 明治20年ごろより国民の間に定着した。 1949年お年玉付年賀葉書発行と共に 年賀状の取扱量は急増した。 発行枚数で見ると、 ピークは平成16年の44.6億枚である。 以降、インターネットの普及等により 発行枚数は漸減傾向を辿っているが 本年も39億枚が発行されるという。 これは、人口一人当たりの 単純平均で約30枚になるのだから 今の世の葉書、手紙衰退の中にあって いまだに人々の間に強く浸透しているといって良いのだろう。 続きを読む #
by shige_keura
| 2010-12-14 21:38
| その他
イタリアと言う国は
実に多くの魅力的女優を輩出してきた。 美しいがちょいと恐そうな、ソフィア・ローレン、 バラの名前にもなっている、ジーナ・ロロブリジータ、 官能派ナンバーワン、エレオノラ・ロッシ・ドラゴ、 ジェームス・ディーンの恋人、ピア・アンジェリ、 チョッピリ野生派、クラウディア・カルディナーレ、 歴代ボンドガール、ナンバー・ワン、ダニエラ・ビアンキ、 奥様のお色気、シルヴァ・コシナ、 いやー、凄い顔ぶれ、目移りがしてしまう。 しかし、イタリアで今もって人気が高く 全ての女優を束ねる存在感を持つ人、 それは、シルヴァーナ・マンガーノにほかならぬ。 彼女の死後20年も経ったにもかかわらずだ。 16歳の時、ミス・ローマに選出された彼女は 1948年の「にがい米」でデビューし 豊満な肉体を誇示して世をアット言わせた。 時にマンガーノ弱冠18歳の時の事だった。 私が「にがい米」を見たのが大学生時代、 彼女の余りにも強烈な存在感に圧倒された。 ”好き”、”嫌い”を通り越して ただただ、”恐れ入りました”の一言だった。 続きを読む #
by shige_keura
| 2010-12-13 13:24
| 観
”とおせんぼ”ではなく”とおさんば”
正確には”通さん場”である。 芝居小屋の暮れと正月は いつも以上に活気を呈する。 暮は年忘れ興行、正月は新春興行と言う具合に。 そして、12月の歌舞伎といえば それは「仮名手本忠臣蔵」となる。 「菅原伝授手習鑑」、「義経千本桜」と並ぶ 人形浄瑠璃の三大傑作が 元禄の世の赤尾浪士の仇討ちを手本としていることは 日本人であれば誰でもが知ってる。 徳川の世、芝居に実名を使うことは許されず 赤穂四十七士をイロハ47文字にかけて「仮名手本」、 更には主人公の忠臣と大石内蔵助の蔵から 「忠臣蔵」を考え出して出来た題名が 「仮名手本忠臣蔵」なのである。 このお芝居は通しで全十一段からなる大作なのだが それを1日で見ることは先ず不可能だ。 何故なら、今、国立劇場で行われている 三、四、道行、七、十一段目ですら 5時間を超える大芝居となるのだから。 続きを読む #
by shige_keura
| 2010-12-10 10:10
| 観
今日の主人公は私にとって
印象の薄い存在である、 この1本の作品を除いては。 映画のタイトルは、「黄色いリボン」 西部劇の神様と謳われたジョン・フォード監督が 1949年に手掛けた初のカラー作品である。 カラーにしたわけは映画を見れば良く分るのだが その前にジョン・フォードの この映画に至るまでの心境の変化を説明しよう。 フォードは古典的西部劇の傑作 「駅馬車」を1939年に世に送った。 次に、これまた傑作との評判が高い 「荒野の決闘」を製作したのが1946年である。 インディアンの襲撃あり、騎兵隊の救援あり、 主人公と悪党一味の決闘あり、 西部劇のあらゆる面白さが凝縮されたのが「駅馬車」だ。 一方の「荒野の決闘」には 同じ監督の作品とは思えぬほど フォードの枯れた味が全編に漂っている。 何故、これほどまでに作風が変わったのか? それは両作品の間にある7年間の空白が鍵となる。 この間、フォードは 第二次大戦の従軍カメラマンを志願した。 任地は太平洋最大の激戦地ミッドウェー、 戦争の殺戮の真っ只中で 決死の覚悟で彼はフィルムを廻し続けた。 そのことがフォードの心に 既存の西部劇、即ち、人と人が、白人とインディアンが 争い殺しあう映画を作ることに ためらいが生じたのだと思う。 その結果、世に送り出したのが「荒野の決闘」、 静かなオリジナルタイトル、「My darling Clementine」に フォードの心境の変化が見て取れる。 続きを読む #
by shige_keura
| 2010-12-09 09:31
| 観
|
| ||||
ファン申請 |
||