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出雲~松江~米子~広島~丸亀~高松 -6-
情の人

巨人を9連覇に導いた川上元巨人監督の言葉から始めよう。

「意の広岡、知の森、情の藤田」、
いずれも巨人出身の名監督を評した言葉だ。

広岡は万年Bクラスのようなチームを
意のままに鍛えるのが向いている。

森はある程度出来上がったチームを
彼の知力で動かせばよい。

若手中心のチームには藤田の情が
チームの一体感、信頼感を高めていく。

今治から丸亀に向かう途中、
西条、新居浜と大好きな藤田さん出身地の標識が現れて胸が熱くなる。

藤田さんは新居浜の出身、
甲子園とは無縁の西条北高校から慶應に入学した。
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野球部初日の練習、
藤田さんがブルペンで投げ始めた瞬間、
それ以外の時は止まったかのようだった。

「誰だ?あいつは!!すげー球だな!!!」。

おまけに、投球フォームの格好の良さ、
あたかも大空に向かって羽ばたく鷹のような
伸びやかさと力強さがあった。
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その伸びやかさは今見る
風光明媚な瀬戸内海の景色と繋がっていることを感じた。
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慶応時代の成績31勝19敗は、
志村と並び宮武三郎に次ぐ2位。

抜群の成績ながら1年以外、
中心選手として優勝の経験はなかった。

ノンプロの日本石油時代に日本一を味わうも、
巨人の現役時代は一度として日本一になれなかった。

それでも彼は黙々と淡々と投げ続けた。
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巨人入団初年は17勝で新人王、
翌1958年、29勝、1959年は27勝で
連続MVPの栄誉を得たが日本一の美酒は味わえなかった。
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172センチ、夏場には60キロを切る痩身を使った全力投球、
いつしか藤田さんには「悲運のエース」、
「球界の紳士」とのニックネームが付けられていった。

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# by shige_keura | 2017-04-16 13:38 | | Comments(0)
出雲~松江~米子~広島~丸亀~高松 -5-
尾道から

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本州と四国を結ぶ道路は三本、
最も西に位置しているのが西瀬戸自動車道路であり
本州側の起点が尾道である。

今回の旅で残念だったのは
時間の関係で尾道を見学できなかったことだ。

ただ、通りすがっただけではあるが
緩やかな坂、見下ろすは瀬戸内海、
風光明媚でたおやかな町の表情が窺えた。
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尾道と言えば映画、小説に数多く登場するが
我々世代にとって最も親しみ深いのは
小津安二郎監督の代表作「東京物語」となろう。

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# by shige_keura | 2017-04-15 10:11 | | Comments(0)
出雲~松江~米子~広島~丸亀~高松 -4-
上質なること絹の如し

               (冬の色濃い中国山地を抜け広島に向かう)
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その時、彼は広島にただならぬ噴煙が上がるのを見た。
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その直後、黒い雨が彼の頭上に降り注いだと言う。
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1945年8月6日、広島に原爆が投下された時の事だ。
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彼とは後に六大学、プロ野球で活躍した広岡達郎さんのことだ。
当時13歳の広岡さんは歴史に残る暴挙の時、
呉の軍需工場で勤労奉仕活動をしていたのだった。

今回の旅は奇しくも若かりし頃、熱烈なファンとなった
三人のプロ野球人縁の地を巡る旅ともなった。

三人は共に巨人で活躍した藤田元司さん、水原茂さん、
そして広岡達郎さんである。

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# by shige_keura | 2017-04-09 17:30 | | Comments(0)
出雲~松江~米子~広島~丸亀~高松 -3-
庭園もまた一幅の絵画なり

米子から車で小1時間ほどにあるのが安来市。
安来と言えば「安来節」であり、
滑稽な仕草のドジョウすくいの踊りと共に全国に知られている。
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しかし昨今では足立美術館で日本ばかりか
世界にその名前を轟かせることとなった。
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なにしろ、アメリカの日本庭園専門誌である
「Sukiya Living Magagine/The Journal of Japanese Gardening」誌による
庭園評価の結果、14年連続日本一に輝いているのだ。

因みに2016年のベストファイブはこうなる。

1.足立美術館
2.桂離宮(京都)
3.山本亭(東京)
4.御所西 京都平安ホテル
5.養浩館庭園(福井県)

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# by shige_keura | 2017-04-07 08:38 | | Comments(0)
出雲~松江~米子~広島~丸亀~高松 -2-
-米子と言えば・・・-
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天守閣が国宝指定となっている松江城、
別名千鳥城を駆け足でめぐり
初日の宿泊地である米子に到着する。
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地方活性化の声がむなしく聞こえるほど
米子の街はさびれていた。
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旧市街の河童橋周辺も荒廃、
かつては漁師たちで賑わった飲み屋街も閑散としている。
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お勧めの居酒屋「稲田屋」、
猛者海老、ひと干しの烏賊をはじめ
当地の味に満足したがお客は入ってこない。
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昔日の米子は戻ってこないのか?

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# by shige_keura | 2017-04-03 18:36 | | Comments(0)
出雲~松江~米子~広島~丸亀~高松  -1-
-雨にけむる出雲大社-
               (出雲大社)
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全国で最も早い桜開花が東京で伝えられた頃、
三泊四日で山陰~山陽~四国の駆け足旅行を試みた。

羽田から飛行機で出雲へ飛び、
レンタカーで松江から米子。
               (松江城)
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翌日は足立美術館見学後広島。
               (足立美術館)
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               (原爆ドーム)
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3日目は尾道からしまなみ海道を経て
四国へ初めて足を踏み入れた。
               (しまなみ海道)
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最終日は金毘羅本宮にある「金丸座」見学後、
約800段の石段を上がって本殿へお参りし、
高松空港で車を乗り捨てて空路羽田、
忙しくも中身のある旅となった。
               (「金丸座」・現存最古の歌舞伎座)
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# by shige_keura | 2017-03-30 15:19 | | Comments(0)
雛祭りの黄色いバラ
2月に入ってリビングは雛祭り模様に変わった。
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しかし、雛祭りは桃の節句なのだが、
内裏雛の横には色鮮やかな黄色いバラが活けられている。
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黄色いバラを見ると子供のころから
連想的に頭に浮かぶのが
「テキサスの黄色いバラ」であり、
西部劇であり、「黄色いリボン」である。
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中でも映画、「黄色いリボン」の中で
首に黄色いリボンを巻き、颯爽と馬にまたがる
ジョーン・ドルーを思い出す。
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軽快なメロディーの「テキサスの黄色いバラ」が
一世を風靡したのが1955年。

ミッチ・ミラー指揮に因る美しくも勇ましい合唱が
アメリカから日本全国に流れていった。

この曲の最初の歌詞はこう始まる。

“There’s a yellow rose of Texas that I am going to see・・・・・“。
「テキサスの黄色いバラに逢いに行くんだ・・・」。

すなわち、歌の中の「テキサスの黄色いバラ」とは
ひとりの可憐な女性の事を意味している。

彼女の名前はエミリー・モルガン、
南北戦争前に実在した女性である。

メキシコからの独立を目指したテキサス軍は
「アラモの砦」に立てこもりサンタ・アナ将軍が率いる
メキシコ軍に勇敢に立ち向かうが
圧倒的な兵力の差で全滅してしまう。

このとき独立軍で活躍したのが伝説の英雄、デイビー・クロケットをはじめ
ナイフの名手、ジェームズ・ボウイ、
そして砦の守備隊長のトラビス大尉であった。
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ジョン・ウェインが監督・主演した「アラモ」が、
そのときの模様を詳しく伝えている。

但し、この映画ではエミリー・モルガンは何処にも登場していない。

彼女はその後、女だてらにメキシコ軍の内部に入り込み
敵情を独立軍に詳細に連絡したことで形勢は劇的に反転し
テキサスはメキシコからの独立を勝ち得たのである。

雛人形の横の黄色いバラ、
ヨーロッパでは黄色は春を告げる色。
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イタリアの3月8日はミモザの節句、
男性は女性にミモザをプレゼントするので
花市場は黄色で埋め尽くされる。
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ベルギーのブルージュをはじめ各地では
寒い冬が過ぎ去ろうとするとき
黄色いラッパズイセンが花を咲かせる。
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トスカーナでは野原一面の菜の花が春を告げる。
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我が家ではテキサスの黄色いバラが
春の訪れを知らせているようである。
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# by shige_keura | 2017-02-21 21:49 | その他 | Comments(0)
”鴨しゃぶ”は低温で
「しゃぶしゃぶ」の起源は中国のモンゴル地方を中心に
古来から人気があった火鍋(シュワンヤンロウ)、
羊肉を熱湯、出汁にくぐらせる料理にあるというのが定説である。
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それでは、火鍋からどのような経路でをたどって
「しゃぶしゃぶ」という名前が生まれたのだろうか。

それを辿ると昭和初期の民芸運動家として活躍した
吉田璋也という人物に行き着く。

元来、医師を本職とした吉田は1938年軍医として北京に召集された。

約7年間北京で滞在している間に
当地で盛んに食されていた火鍋の存在を知った。

1945年京都に帰ってきた吉田は
京都の料理店「十二段屋」の主人に火鍋の事を教えたところ、
それにヒントを得て1950年、お店で「牛肉の水炊き」の名前でお客に提供した。

その2年後の1952年、当時大阪の永楽町にあった「スエヒロ」が
水でおしぼりを洗っている音からヒントを得て
「しゃぶしゃぶ」と命名したと伝えられている。

このように「しゃぶしゃぶ」と言えば
昔は牛肉だけだと記憶しているが、
今では豚シャブも人気、鶏の胸肉のしゃぶしゃぶもある。

肉だけではなく海鮮を見ても、
ブリ、カニ、金目鯛、タコ実に多くのしゃぶしゃぶが存在している。

今日は、私にとっての初体験、「鴨しゃぶ」のお話だ。

1月中旬、東急デパートが定期的に開催している地方の物産展、
「島根物産展」で知ったのが「鴨シャブ」である。
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販売しているのは鴨専門通信販売店「カナール」、
2015年末、婦人画報の調査で
お取り寄せ鍋全国第1位に輝いたお店である。

鴨には目の無い爺、
早速に鴨のしゃぶしゃぶ用にとスライスした肉とつくねを購入した。
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そのときに、お店の人に受けたアドバイスが
絶対に肉を熱湯にくぐらせてはいけないと言うことだった。

つまり、鴨肉は鉄分を多く含んでいるの
で熱湯にくぐらせると“ギュツ!”と肉が硬くなってしまうのだ。

だから、最初に豆腐、野菜等を煮た後、
お湯の温度が70度ぐらいに下がったところを見計らて
「しゃぶしゃぶ」しないと本当の鴨肉の美味しさが味わえぬと言うことなのだ。

牛肉をはじめとした一般的なしゃぶしゃぶは
熱湯をくぐらせるものだが、
鴨肉に限っては熱湯は厳禁となる。

更に知ったのはラーメンが〆に最高とのことだった。
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ということで、豆腐、ネギ、シイタケ、牛蒡等を鍋に入れ
頃合いを見たところで火を止める。
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そこにクレソンを入れてお湯の温度が下がったところで鴨をしゃぶしゃぶ!!

鴨肉の濃厚な味と柔らかさ、実に美味しい。
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ぬる燗のお酒をちびちびとやりながら
鍋をつつくうちに身体がじわーっと温まってきた。

〆のラーメンも鴨肉のエキスがたっぷりと入った
だし汁との相性がこれまた乙なもの。

島根の「鴨しゃぶ」、隠れたる名品だ。
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# by shige_keura | 2017-02-01 09:12 | | Comments(0)
早春の熱海 ~ヨーロッパの旅館~
「ヨーロッパの旅館」、これが昨年10月末
“ひらまつ”グループが始めた
リゾート・ホテルのキャッチフレーズだ。

レストラン・ひらまつはホテルオークラで修業した
平松博利氏が、その後日本人として初めて
パリでオーナーシェフとしてミシェランの星を獲得したことで有名になった。
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今や、“ひらまつ”と言えば広尾の「ひらまつ本店」をはじめ、
代官山、銀座の“ASO”、ポールボキューズ、オーベルジュ・ドゥ・リルトーキョー、
アイコニック等のフレンチの名店を展開し
世のグルメ、グルマンにとっては堪らない存在となっている。

その“ひらまつ”が昨年の7月に賢島に
「ヨーロッパの旅館」をキャッチフレーズとしたリゾート・ホテルを開設した。
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今回滞在した熱海のホテルは昨年10月末開いたもの、
更に、矢継ぎ早に昨年末、箱根仙石原に三軒目のホテルを開設した。
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どのホテルも部屋数は少なく、熱海の場合も13室、
まさしく私が欧州に生活している頃愛用したシャトーホテルのコンセプトである。

シャトーホテルとは欧州の各所に点在している
貴族の館、僧院等をリゾート・ホテルとして改築したものである。

セールスポイントのひとつが
都市型のホテルに比べ小さいので
サービスが行き届いていることだ。

二番目は当時から地産地消を掲げ、
腕の良いシェフが腕によりをかけた料理を提供してくれることだ。

つぎにホテルのロケーションの大半が
街中の雑踏を離れ郊外の森の中、
或いは海辺に位置しているので、
ゆったりとした気分で真の休暇を満喫できるのが嬉しいことだ。
                (地中海に面したプチ・ニース)
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例えば、フランスのマルセイユ郊外に
地中海に面して建つ“プチ・ニース”、
プロバンス地方の山間に分け入った場所に
陽光を浴びて佇む“ボーマニエール”で過ごした時間は今でも忘れられない。
               (プロバンスの山間にあるボーマニエール)
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自家菜園で太陽を浴びて育ったトマト、ズッキーニや葉物、
地中海の海の幸に山の獲物を
ワインと一緒にやるのは至福のひと時である。

今回の熱海ではホテル側の格別な計らいで
思いがけず、ゆったりとした日本間に泊まれることが出来た。
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目の前に広がるのは伊豆の海、
すぐそばに浮かぶは初島、遠くに大島が霞んでいる。
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露天風呂でゆっくり身体を温め、いざ夕食!
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先ずは兎のリエットをおつまみにシャンパン。
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相模湾の赤座海老の備長炭・炭火焼、
蒸しアワビに肝のソース、フォアグラ等々、
シェフの選りすぐった食材に舌鼓を打つ。

勿論、紅白のワインが食事を盛り上げてくれる。

チーズにデザート、満ち足りた気分、
部屋に戻って一休みののち、
もう一度ゆっくりと温泉でくつろぐ。
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満天の星空、ゆったりと時が流れていく。
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# by shige_keura | 2017-01-28 22:12 | | Comments(0)
早春の熱海 ~熱海のローマ風呂~
昔々の事だが、そのころ熱海と言うと
何故か大野屋のローマ風呂が有名だったような記憶がある。

それは中学校の頃だと思うが、
偶々、大野屋のローマ風呂に入ってみた所、
普通の大浴場で拍子抜けしたことを覚えている。

さて、熱海は気候温暖にして良質の温泉が豊富とくれば
古くから多くの実業家、政治家等の別荘が軒を連ねていた。

中でも三大別荘と言われたのが
岩崎弥太郎の「岩崎別荘」(現在は非公開)、住友別荘(現存せず)に並び
唯一見学できるのがここ「起雲閣」である。

この別荘の特徴は時代と共に持ち主が替り、
その都度新たな増改築を行っているので
大正・昭和ロマンの香り豊かさを和洋折衷の建物に
たっぷりと味わえるところである。

この建物が最初に出来たのが大正9年(1919)、
持ち主は当時海運王と言われた内田信也が
母の静養のための別荘として新築したものだ。
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このときは純粋の和風建築であり、
それは薬医門の名前の表門(鎌倉・室町時代の武家・公家屋敷に使われた様式)や
麒麟の名前が付けられた凛とした佇まいの和室に見てとれる。
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尚、和室の壁の特徴的な群青色は
後に旅館となった時に、
持ち主の石川県出身の桜井兵五郎によって手が加えられたものだ。

桜井兵五郎は当時、石川県、金沢郊外の湯涌温泉に
東洋一と謳われた「白雲楼」ホテルの持ち主として名高い人物である。

               (金沢市郊外、湯涌温泉にあった白雲楼ホテル)
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10年ほど前に金沢に暮らしていた頃、二、三度訪れた折、
今や廃墟同然となった「白雲楼」を見て残念な想いをしたものだった。

話を「起雲閣」に戻そう。

時は大正14年(1925)、持ち主が変わった。

新たな持ち主は青山にある「根津美術館」で有名な根津嘉一郎、
彼は政治家として東武鉄道の社長等、実業家としても名を馳せた人物だった。
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根津の時代に「起雲閣」は洋風の味付けを加えていき、
三代目の持ち主で旅館として活用した
桜井兵五郎の手で、よりスケールを増していった。
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この時代にここで筆を執った文豪は
山本有三、志賀直哉、太宰治、舟橋聖一、谷崎潤一郎、
三島由紀夫等枚挙にいとまがないほどだ。
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そして、舟橋聖一が離れの「孔雀の間」で執筆した「雪夫人絵図」は
日本が誇る巨匠、溝口健二の手で映画化されるときに、
ここの洋館にあるローマ風呂を使って撮影された。
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出演は上原謙、木暮実千代、久我美子等々で、
由緒正しき家柄の久我美子の入浴シーンは特に話題を呼んだものだった。
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このローマ風呂は肌触りやすべり止めを考慮して
床は木製のタイルを使っているのだが、
一見したところ石と見まごうほど精巧に造られている。
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「起雲閣」のローマ風呂は
中学時代に見た大野屋とは比較にならぬほどの質感の高さを誇示していた。
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# by shige_keura | 2017-01-27 13:53 | | Comments(0)



2007年9月末にこちらに引っ越してきました。
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