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出雲~松江~米子~広島~丸亀~高松 -2-
-米子と言えば・・・-
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天守閣が国宝指定となっている松江城、
別名千鳥城を駆け足でめぐり
初日の宿泊地である米子に到着する。
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地方活性化の声がむなしく聞こえるほど
米子の街はさびれていた。
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旧市街の河童橋周辺も荒廃、
かつては漁師たちで賑わった飲み屋街も閑散としている。
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お勧めの居酒屋「稲田屋」、
猛者海老、ひと干しの烏賊をはじめ
当地の味に満足したがお客は入ってこない。
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昔日の米子は戻ってこないのか?

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# by shige_keura | 2017-04-03 18:36 | | Comments(0)
出雲~松江~米子~広島~丸亀~高松  -1-
-雨にけむる出雲大社-
               (出雲大社)
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全国で最も早い桜開花が東京で伝えられた頃、
三泊四日で山陰~山陽~四国の駆け足旅行を試みた。

羽田から飛行機で出雲へ飛び、
レンタカーで松江から米子。
               (松江城)
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翌日は足立美術館見学後広島。
               (足立美術館)
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               (原爆ドーム)
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3日目は尾道からしまなみ海道を経て
四国へ初めて足を踏み入れた。
               (しまなみ海道)
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最終日は金毘羅本宮にある「金丸座」見学後、
約800段の石段を上がって本殿へお参りし、
高松空港で車を乗り捨てて空路羽田、
忙しくも中身のある旅となった。
               (「金丸座」・現存最古の歌舞伎座)
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# by shige_keura | 2017-03-30 15:19 | | Comments(0)
雛祭りの黄色いバラ
2月に入ってリビングは雛祭り模様に変わった。
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しかし、雛祭りは桃の節句なのだが、
内裏雛の横には色鮮やかな黄色いバラが活けられている。
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黄色いバラを見ると子供のころから
連想的に頭に浮かぶのが
「テキサスの黄色いバラ」であり、
西部劇であり、「黄色いリボン」である。
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中でも映画、「黄色いリボン」の中で
首に黄色いリボンを巻き、颯爽と馬にまたがる
ジョーン・ドルーを思い出す。
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軽快なメロディーの「テキサスの黄色いバラ」が
一世を風靡したのが1955年。

ミッチ・ミラー指揮に因る美しくも勇ましい合唱が
アメリカから日本全国に流れていった。

この曲の最初の歌詞はこう始まる。

“There’s a yellow rose of Texas that I am going to see・・・・・“。
「テキサスの黄色いバラに逢いに行くんだ・・・」。

すなわち、歌の中の「テキサスの黄色いバラ」とは
ひとりの可憐な女性の事を意味している。

彼女の名前はエミリー・モルガン、
南北戦争前に実在した女性である。

メキシコからの独立を目指したテキサス軍は
「アラモの砦」に立てこもりサンタ・アナ将軍が率いる
メキシコ軍に勇敢に立ち向かうが
圧倒的な兵力の差で全滅してしまう。

このとき独立軍で活躍したのが伝説の英雄、デイビー・クロケットをはじめ
ナイフの名手、ジェームズ・ボウイ、
そして砦の守備隊長のトラビス大尉であった。
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ジョン・ウェインが監督・主演した「アラモ」が、
そのときの模様を詳しく伝えている。

但し、この映画ではエミリー・モルガンは何処にも登場していない。

彼女はその後、女だてらにメキシコ軍の内部に入り込み
敵情を独立軍に詳細に連絡したことで形勢は劇的に反転し
テキサスはメキシコからの独立を勝ち得たのである。

雛人形の横の黄色いバラ、
ヨーロッパでは黄色は春を告げる色。
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イタリアの3月8日はミモザの節句、
男性は女性にミモザをプレゼントするので
花市場は黄色で埋め尽くされる。
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ベルギーのブルージュをはじめ各地では
寒い冬が過ぎ去ろうとするとき
黄色いラッパズイセンが花を咲かせる。
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トスカーナでは野原一面の菜の花が春を告げる。
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我が家ではテキサスの黄色いバラが
春の訪れを知らせているようである。
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# by shige_keura | 2017-02-21 21:49 | その他 | Comments(0)
”鴨しゃぶ”は低温で
「しゃぶしゃぶ」の起源は中国のモンゴル地方を中心に
古来から人気があった火鍋(シュワンヤンロウ)、
羊肉を熱湯、出汁にくぐらせる料理にあるというのが定説である。
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それでは、火鍋からどのような経路でをたどって
「しゃぶしゃぶ」という名前が生まれたのだろうか。

それを辿ると昭和初期の民芸運動家として活躍した
吉田璋也という人物に行き着く。

元来、医師を本職とした吉田は1938年軍医として北京に召集された。

約7年間北京で滞在している間に
当地で盛んに食されていた火鍋の存在を知った。

1945年京都に帰ってきた吉田は
京都の料理店「十二段屋」の主人に火鍋の事を教えたところ、
それにヒントを得て1950年、お店で「牛肉の水炊き」の名前でお客に提供した。

その2年後の1952年、当時大阪の永楽町にあった「スエヒロ」が
水でおしぼりを洗っている音からヒントを得て
「しゃぶしゃぶ」と命名したと伝えられている。

このように「しゃぶしゃぶ」と言えば
昔は牛肉だけだと記憶しているが、
今では豚シャブも人気、鶏の胸肉のしゃぶしゃぶもある。

肉だけではなく海鮮を見ても、
ブリ、カニ、金目鯛、タコ実に多くのしゃぶしゃぶが存在している。

今日は、私にとっての初体験、「鴨しゃぶ」のお話だ。

1月中旬、東急デパートが定期的に開催している地方の物産展、
「島根物産展」で知ったのが「鴨シャブ」である。
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販売しているのは鴨専門通信販売店「カナール」、
2015年末、婦人画報の調査で
お取り寄せ鍋全国第1位に輝いたお店である。

鴨には目の無い爺、
早速に鴨のしゃぶしゃぶ用にとスライスした肉とつくねを購入した。
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そのときに、お店の人に受けたアドバイスが
絶対に肉を熱湯にくぐらせてはいけないと言うことだった。

つまり、鴨肉は鉄分を多く含んでいるの
で熱湯にくぐらせると“ギュツ!”と肉が硬くなってしまうのだ。

だから、最初に豆腐、野菜等を煮た後、
お湯の温度が70度ぐらいに下がったところを見計らて
「しゃぶしゃぶ」しないと本当の鴨肉の美味しさが味わえぬと言うことなのだ。

牛肉をはじめとした一般的なしゃぶしゃぶは
熱湯をくぐらせるものだが、
鴨肉に限っては熱湯は厳禁となる。

更に知ったのはラーメンが〆に最高とのことだった。
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ということで、豆腐、ネギ、シイタケ、牛蒡等を鍋に入れ
頃合いを見たところで火を止める。
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そこにクレソンを入れてお湯の温度が下がったところで鴨をしゃぶしゃぶ!!

鴨肉の濃厚な味と柔らかさ、実に美味しい。
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ぬる燗のお酒をちびちびとやりながら
鍋をつつくうちに身体がじわーっと温まってきた。

〆のラーメンも鴨肉のエキスがたっぷりと入った
だし汁との相性がこれまた乙なもの。

島根の「鴨しゃぶ」、隠れたる名品だ。
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# by shige_keura | 2017-02-01 09:12 | | Comments(0)
早春の熱海 ~ヨーロッパの旅館~
「ヨーロッパの旅館」、これが昨年10月末
“ひらまつ”グループが始めた
リゾート・ホテルのキャッチフレーズだ。

レストラン・ひらまつはホテルオークラで修業した
平松博利氏が、その後日本人として初めて
パリでオーナーシェフとしてミシェランの星を獲得したことで有名になった。
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今や、“ひらまつ”と言えば広尾の「ひらまつ本店」をはじめ、
代官山、銀座の“ASO”、ポールボキューズ、オーベルジュ・ドゥ・リルトーキョー、
アイコニック等のフレンチの名店を展開し
世のグルメ、グルマンにとっては堪らない存在となっている。

その“ひらまつ”が昨年の7月に賢島に
「ヨーロッパの旅館」をキャッチフレーズとしたリゾート・ホテルを開設した。
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今回滞在した熱海のホテルは昨年10月末開いたもの、
更に、矢継ぎ早に昨年末、箱根仙石原に三軒目のホテルを開設した。
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どのホテルも部屋数は少なく、熱海の場合も13室、
まさしく私が欧州に生活している頃愛用したシャトーホテルのコンセプトである。

シャトーホテルとは欧州の各所に点在している
貴族の館、僧院等をリゾート・ホテルとして改築したものである。

セールスポイントのひとつが
都市型のホテルに比べ小さいので
サービスが行き届いていることだ。

二番目は当時から地産地消を掲げ、
腕の良いシェフが腕によりをかけた料理を提供してくれることだ。

つぎにホテルのロケーションの大半が
街中の雑踏を離れ郊外の森の中、
或いは海辺に位置しているので、
ゆったりとした気分で真の休暇を満喫できるのが嬉しいことだ。
                (地中海に面したプチ・ニース)
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例えば、フランスのマルセイユ郊外に
地中海に面して建つ“プチ・ニース”、
プロバンス地方の山間に分け入った場所に
陽光を浴びて佇む“ボーマニエール”で過ごした時間は今でも忘れられない。
               (プロバンスの山間にあるボーマニエール)
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自家菜園で太陽を浴びて育ったトマト、ズッキーニや葉物、
地中海の海の幸に山の獲物を
ワインと一緒にやるのは至福のひと時である。

今回の熱海ではホテル側の格別な計らいで
思いがけず、ゆったりとした日本間に泊まれることが出来た。
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目の前に広がるのは伊豆の海、
すぐそばに浮かぶは初島、遠くに大島が霞んでいる。
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露天風呂でゆっくり身体を温め、いざ夕食!
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先ずは兎のリエットをおつまみにシャンパン。
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相模湾の赤座海老の備長炭・炭火焼、
蒸しアワビに肝のソース、フォアグラ等々、
シェフの選りすぐった食材に舌鼓を打つ。

勿論、紅白のワインが食事を盛り上げてくれる。

チーズにデザート、満ち足りた気分、
部屋に戻って一休みののち、
もう一度ゆっくりと温泉でくつろぐ。
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満天の星空、ゆったりと時が流れていく。
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# by shige_keura | 2017-01-28 22:12 | | Comments(0)
早春の熱海 ~熱海のローマ風呂~
昔々の事だが、そのころ熱海と言うと
何故か大野屋のローマ風呂が有名だったような記憶がある。

それは中学校の頃だと思うが、
偶々、大野屋のローマ風呂に入ってみた所、
普通の大浴場で拍子抜けしたことを覚えている。

さて、熱海は気候温暖にして良質の温泉が豊富とくれば
古くから多くの実業家、政治家等の別荘が軒を連ねていた。

中でも三大別荘と言われたのが
岩崎弥太郎の「岩崎別荘」(現在は非公開)、住友別荘(現存せず)に並び
唯一見学できるのがここ「起雲閣」である。

この別荘の特徴は時代と共に持ち主が替り、
その都度新たな増改築を行っているので
大正・昭和ロマンの香り豊かさを和洋折衷の建物に
たっぷりと味わえるところである。

この建物が最初に出来たのが大正9年(1919)、
持ち主は当時海運王と言われた内田信也が
母の静養のための別荘として新築したものだ。
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このときは純粋の和風建築であり、
それは薬医門の名前の表門(鎌倉・室町時代の武家・公家屋敷に使われた様式)や
麒麟の名前が付けられた凛とした佇まいの和室に見てとれる。
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尚、和室の壁の特徴的な群青色は
後に旅館となった時に、
持ち主の石川県出身の桜井兵五郎によって手が加えられたものだ。

桜井兵五郎は当時、石川県、金沢郊外の湯涌温泉に
東洋一と謳われた「白雲楼」ホテルの持ち主として名高い人物である。

               (金沢市郊外、湯涌温泉にあった白雲楼ホテル)
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10年ほど前に金沢に暮らしていた頃、二、三度訪れた折、
今や廃墟同然となった「白雲楼」を見て残念な想いをしたものだった。

話を「起雲閣」に戻そう。

時は大正14年(1925)、持ち主が変わった。

新たな持ち主は青山にある「根津美術館」で有名な根津嘉一郎、
彼は政治家として東武鉄道の社長等、実業家としても名を馳せた人物だった。
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根津の時代に「起雲閣」は洋風の味付けを加えていき、
三代目の持ち主で旅館として活用した
桜井兵五郎の手で、よりスケールを増していった。
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この時代にここで筆を執った文豪は
山本有三、志賀直哉、太宰治、舟橋聖一、谷崎潤一郎、
三島由紀夫等枚挙にいとまがないほどだ。
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そして、舟橋聖一が離れの「孔雀の間」で執筆した「雪夫人絵図」は
日本が誇る巨匠、溝口健二の手で映画化されるときに、
ここの洋館にあるローマ風呂を使って撮影された。
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出演は上原謙、木暮実千代、久我美子等々で、
由緒正しき家柄の久我美子の入浴シーンは特に話題を呼んだものだった。
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このローマ風呂は肌触りやすべり止めを考慮して
床は木製のタイルを使っているのだが、
一見したところ石と見まごうほど精巧に造られている。
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「起雲閣」のローマ風呂は
中学時代に見た大野屋とは比較にならぬほどの質感の高さを誇示していた。
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# by shige_keura | 2017-01-27 13:53 | | Comments(0)
早春の熱海 ~不老長寿~
ここは熱海梅園から緩やかな坂を下って
10分ほどの所にある「来宮神社」。
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最近はパワースポットして人気が高く
初詣の時期は神社境内が人の波となるそうだ。
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何故人気が高いか、
その訳はこの神社に祀られている楠の大樹にある。

樹齢推定2,000年を超えると言う巨木の楠、
江戸時代の末期まで、ここは「木宮明神」と名付けられていた。

これだけの樹齢を誇れば当然ながら
ご利益は「不老長寿」「無病息災」ということになるので
参拝客も年々増加しているとのことである。
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樹木の大きさは幹の周りで決まるが、
ここの楠の太さは23.9メートルで、
これは日本で二番目、本州ではナンバーワンの大きさを誇っている。

巨大な楠の左の幹は完全に死んでいるが
右側の巨木は今なお成長を続けている。
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根元が盛り上がっているようにも見える幹は
さながらモンスター、大魔神のように吾を圧倒し、
2,000年と70余年の差を実感させられる。

この神社には第2大楠と呼ばれる御神木もある。
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それはこの楠が雷で片側を削り取られ
幹の殆どが抉られているにもかかわらず
未だに生き続けているためである。

「成長のエネルギーを木の裏側で実感してください」、
との解説文に従って裏側に回って見ると、
確かに幹の中身は殆ど空っぽである。
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これは成長のエネルギーと言うよりも
良く言えば、骨と皮だけになっても飽くなき生への執着心、
端的には、最後のあがきのようなものを感じてしまった。
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因みに日本一の巨樹は鹿児島県の蒲生八幡神社にある
同じ楠で推定樹齢は1,500年と来宮神社の巨木より若いが
幹の太さは24.2メートルと僅かながらに凌駕している。

南の土地で育っているだけに成長も早いのだろうか。
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# by shige_keura | 2017-01-26 21:57 | | Comments(0)
早春の熱海 ~梅は咲いたか・・・・~
「梅は咲いたか、桜は未だかいな、
 柳ゃ、なよなよ風次第、山吹は浮気で色ばかり
 しょんがいなー、しょんがいな」

江戸時代、お座敷で流行った端唄、
「しょんがえ節」の一節である。

お座敷で好まれたものだけに
芸妓さんを花にたとえている。

梅は若い芸妓、桜はちょいと年増の姐さん、
柳は移り気芸者、山吹は実を結ばない浮気な芸妓となる。

又、季節の到来も意味しているのは
梅が咲いたけど、桜は未だだろうなの文句でも明らかである。

この画像は今年の1月19日熱海梅園前、
何と!既に桜は満開である。
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梅園の梅は木の種類によっても違うが全体的に七、八分咲き。

ということは、熱海では
「桜は咲いたが、梅はまだかいな」となってしまう。
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この桜は1965年熱海桜と命名され、
その後1977年に熱海市の木に指定され、
日本で一番早く開花を迎える桜である。

この桜はインドが原産で
日本に入ってきたのは明治4年ごろに訪れた
イタリア人によってとされている。

花弁が濃いピンク色で花が大きいのが特徴であり、
寒緋桜と山桜の雑種とされている。
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熱海梅園から坂を下り来宮神社を過ぎて
更に坂を下った市街地に流れる糸川の両側が
熱海桜の見どころである。
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花は満開、次から次へと黄緑色をしたメジロが
蜜をついばみに枝から枝へと飛び回っている。
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日本では「河津桜」が早咲きとして有名だが
実は「熱海桜」の方の開花が早く
今年は12月末に花がほころび始めた。

昨年末に花が咲き始めた桜が
今もなお満開で色鮮やかに咲き誇っているのはどういうわけか?
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通常の桜は満開時期が短く
「三日見ぬまの桜かな」という言葉も生まれているのに
熱海桜の満開が長いのは何故だろう。

その理由は一本の枝に早期に咲く花芽と
遅く出てくる花芽があるからだ。

早期に咲く花が散るのを待つように
第二弾の花芽が膨らんで花を咲かせる。

いずれにせよ、梅見は想定内だったが
思わぬ桜見物が出来るとは。
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「梅は咲いたし、桜も満開じゃ、
 ええじゃないか、ええじゃないか!」。
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# by shige_keura | 2017-01-25 21:19 | | Comments(0)
早春の熱海 ~紅白に黄色~
熱海と言う言葉から連想するのは
別府、草津等と同じく、温泉であるのが一般的だろう。

歴史をひもとくと1500年ほど前に
海中から熱湯が噴出したことが町の名前である熱い海、
熱海の由来であり、それが温泉に繋がっている。

江戸幕府を開いた徳川家康も一週間余り
熱海に湯治滞在したとの記録も残っている。

明治18年(1885年)には日本初の温泉療養施設が
噏滊館(きゅうきかん)の名前で当地に造られた。

その翌年に療養所に滞在する人々の自然浴を促進させるために
造られたのが熱海梅園の起こりであるそうな。

1月19日、天気予報が良いほうに外れ
雲間から日が拝める陽気。
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熱海への一泊旅行の折に
梅の具合は如何なものだろうかと梅園を訪れた。
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事前に調べたところでは未だ5分咲きとの話だったが、
どうしてどうして、白梅、紅梅見事な咲きっぷりで
我が目を楽しませてくれた。
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とりわけ見事だったのが堂々たる蝋梅が
香りと共に黄色い艶々とした花を満開にさせていたことだ。
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蝋梅は名前に梅の字があるが為に
梅の仲間(サクラ属)と誤解されることが多いが
梅とは違う仲間である。
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蝋梅の源を辿ると楠であり原産は中国、
日本には17世紀ごろ伝来してきたと言われている。

伝来してきた国の名前から
「唐梅」とも日本では呼ばれているが
中国の正式名称も蝋梅である。

この名前は本草綱目によれば
半透明で艶のある花弁が蝋細工のようでもあり、
且つ、蝋月(旧暦12月)に咲くからだとある。
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艶々とした蝋梅、紅白の梅、
春の訪れを知らせる梅林散歩は
まっこと、気持ち良きものでありました。
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# by shige_keura | 2017-01-23 15:08 | | Comments(0)
2017年お正月  -サビが効いてる!-
「サビ」とは音楽の曲の中の山場、
メロディーが最も盛り上がるところを言う。

その由来は松尾芭蕉が俳句の最も美しい部分を
「寂」(ワビ・サビ)と述べたことにある。

ただ、我々が「サビが効いてるーーー」と
良く口に出すのが鮨をつまんでいるときである。

このサビは勿論シャリとネタの間に入っている山葵の
つんとは来るが爽やかな風味を意味している。
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ワサビは漢字で書くと山葵、
諸説あるがワサビの葉が葵に似ているというのが有力だ。

奈良時代の718年に出された「賦役令」、
つまり、法人税法施行令に
初めて山葵という文字が記載されている。

恐らく土地の名産品、薬用に用いられていたのだろう。

室町時代に入ると現在と同じ、薬味として使われ
江戸時代、寿司、蕎麦をはじめ庶民に多く使われるようになっていった。
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江戸幕府を開いた徳川家の家紋が葵であったことで
山葵は幕府の庇護を受けて成長
日本を代表する薬味として現在の地位を築いた。
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暮れに白馬にスキーに行った次女一家、
その折に立ち寄った安曇野で
大層立派な山葵をお年賀として届けてくれた。
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我ら夫婦も5年ほど前に安曇野を訪れ
道祖神めぐりを愉しんだ後、「大王わさび農場」と名付けられた山葵園を見学、
その広大な農場と鮮烈な川が流れる風景に目を見張った。
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1月2日から山葵の有効活用を考えながらの食事が続いている。
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最初に考えるのは勿論刺身である。

ただ、刺身ならばどの魚でも良いと言うわけではない。

例えばイカ、鯵、鰯等は山葵よりも生姜の方が好ましいからだ。

その結果選んだのがカンパチとタコ。
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山葵は八の字を描き子供の様に柔らかな力で焦らず擦る。
じきに山葵特有の香りが強く漂ってくる。
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この日同時に、試したのは「菊五郎巻」、
かつての歌舞伎役者が好んで食べた山葵の細切りの巻物だ。
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しかし、これは期待外れに終わった。
やはり、山葵はすってこそなのだ。
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次の日は鉄板で蝦夷鹿の肉を焼き、
たっぷりと山葵を載せて食べた。
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ジビエと山葵、野生同士の絶妙のコンビネーションだった。
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昼食には、富山から送られてきた
つきたてのお餅をこんがり焼き上げ、
納豆、大根おろし、そして山葵で賞味する。
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大根のツンとくる辛味、
爽やかでこれまたツンと来る山葵が面白いハーモニーを奏でている。
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鯛茶漬けと豆腐の厚揚げ、
このときも本来は脇役のはずの山葵が主役を張った。
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お次に登場したのがローストビーフ、
肉は豪州産のお手頃価格ではあるが
ワサビ効果で、ワインと共に美味しくいただいた。
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これだけの料理に活用しても、まだ残っている。
さー、これからはどのように使おうか。
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# by shige_keura | 2017-01-12 08:52 | その他 | Comments(0)



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