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2017年お正月 -こいつは春から・・・-
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1月5日、国立劇場の舞台も大詰め、
お正月公演恒例の手ぬぐいのふるまいに入った。
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お芝居を盛り上げた役者が舞台に勢ぞろい、
記念の手ぬぐいを客席に投げ入れはじめた。

すると舞台中央の座長・尾上菊五郎の投げた手ぬぐいが、
どうしたものか、近くの椅子の角に当たって跳ね上がって視界から消えた。
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次に私の膝の上を見れば、
なんと、その手ぬぐいがちょこんと載っかてるではないか。

これぞ、歌舞伎の決め台詞、
「こいつは春から縁起がいいわい!」
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今回の演目は、国立劇場開場50周年記念の一環、
通し狂言「しらぬい譚(ものがたり)」。

江戸庶民の間で大人気をとった長編絵物語を
河竹黙阿弥が脚色し舞台化したものである。
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内容は江戸時代初期に起きた
筑前国黒田家のお家騒動を基本に
天草四郎が首魁とした島原の乱の味付けを加えている。

幕が開いた途端に広がるのは大きな壺が沈んだ海底、
2匹の巨大な烏賊が泳ぎ回り、
観客からはどよめきの声が挙がる。
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演目の横に「尾上菊之助交いの宙乗り相勤め申し候」とあるとおり、
今や旬を迎えた女形の一番手、
菊之助の妖艶華麗な宙づりの舞が
荒れ狂う海の舞台を見下ろす。

これだけの大掛かりで巧妙な舞台仕掛けをあまり見たことがない。

お正月に相応しく和服のお客様をはじめ
満場のファンからは「音羽屋!」の掛け声が盛んに飛び交う中、
熱気に包まれて初春の舞台の幕は閉じた。
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今年は国立劇場50周年の節目の年。
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その記念すべき年に音羽屋から手ぬぐいを頂戴するとは、
もう一回言おう。「こいつは春から縁起がいいわい!!」
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# by shige_keura | 2017-01-10 09:34 | その他 | Comments(0)
2017年お正月 -初夢の続き-
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初夢と言う言葉が歴史上最初に登場するのは
鎌倉時代の「山家集」と言われる。

「山家集」は西行法師の歌集と言われ
その「上、春・第一 たつ春の朝によみける」には
確かにこのような句が詠まれている。

年くれぬ 春来べしとは思い寝に
まさしく見えて かなふ初夢

「たつ春の朝によめる」のたつ春とは
「春が来る」すなわち節分と解釈され
ここでいう初夢は立春の日から節分にかけて見る夢となる。

それが時代と共に変化し、
江戸時代には大晦日から元旦、元日から2日、
正月2日から3日と諸説入り乱れている。

現代では初夢とは元日の夜から
2日の朝にかけて見る夢が定着しているようだ。
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「一富士、二鷹、三茄子(なすび)」が
縁起の良い初夢と言われていることはつとに知られている。

では、何故これが縁起が良いかの理由については
次の二つの説が有力だ。

ひとつは江戸幕府を開いた徳川家康に縁のある
駿河の国(静岡県)の誇れるもの三つというもの、
すなわち当時は他国より早く実る茄子、
最高峰、富士の山と、そこに住む鷹ということである。

もう一つの説は、富士は不死、鷹は高貴(貴、たか)
そして茄子は成すから子孫繁栄と
縁起が良い言葉であるとのものである。

そして、後者を取ると、その続きがある。

それが、「四扇、五煙草、六座頭」(しおうぎ、ごたばこ、ろくざとう)である。

これの由来はご賢察の通り、
扇は末広がり、たばこの煙は高く昇って運気上昇、
座頭は琵琶法師で分かるように
剃髪して毛がない(怪我がない)と言うこととなる。
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それでは、今年どのような初夢を見たのか?
それが例年同様、全く覚えていない。

これは齢を重ねたために忘れっぽくなったわけではなく、
いつもぐっすりと眠っている為である。
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# by shige_keura | 2017-01-09 11:08 | その他 | Comments(0)
2017年お正月 -賑やかな初釜-
元日、墓参りと愛宕神社参拝の後に向かったのは
いつも通りの六本木ヒルズ。
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雲ひとつない青空を背景にそびえる東京タワーが美しい。
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スカイツリーが出来た今も、
東京のシンボルは姿かたちの流麗なことからも
東京タワーに決まっている。

昼食、そしてエノテカでワインの福袋を購入するのも例年のごとし。

あとは一族郎党10名が我が家に集まって、
福袋を開けてワインの品定め。
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福袋だから定価以上のものが入っているのは分かってはいるが
好みのポーリャックが入っているか?
イタリアワインならバローロ?
トスカーナのアンテノーリ?
興味は尽きない。
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孫にとっては苦手の御屠蘇の儀式、
しかめっ面をしつつも無事こなした後は「初釜」となる。
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「初釜」とは新春を迎えて初めて開く茶会であり
茶道の仕事始めのことである。
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従って、茶道をたしなむ者にとっては
大切な厳粛なものであるのだろうが、
我が家の「初釜」は賑やかなことこの上もない。
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自分の子供の頃を顧みると
抹茶を美味しいとは思わなかったものだが
当世の孫たちは違う。

御屠蘇の時とは別人のように、
お代わりを所望している。

抹茶も好きだが、それ以上のお目当ては
金沢土産の和菓子、
福梅と落雁にあることは言うまでもない。
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「村上」の福梅と「諸江屋」の落雁、
老舗の味を子供のうちから覚えられるのは幸せだ。

その横のソファーでは
朝早く初詣を済ませた娘婿はうつらうつら、
初夢モードに入っている。

こうして、今年の元日も和やかに楽しく時が流れていった。
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# by shige_keura | 2017-01-08 10:13 | その他 | Comments(0)
2017年お正月 -願いは叶う-
港区にある愛宕神社は近年初詣の人気上昇中、
年ごとに訪れる参拝客の数は増えている。

その理由は、誰が仕掛けたか知らぬが
都内のパワースポットだと言うことと、
23区内の天然の山では最高峰であることに因る。

最高峰を具体的に言うと25.9メートル、
これをもって高い低いを論じることは意味がないが、
正面の男坂と呼ばれる階段を見上げると、
その高さは現実性をもって迫ってくる。
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この石段の数は86段であり、
最大傾斜40度に達していると言う。

この階段は俗に「出世の階段」と呼ばれており、
名前につられて息を切らしながら上る人の跡は絶たない。

命名の背景には次の話が残されている。

時は寛永11年(1634年)
三代将軍・家光が芝の増上寺参拝の帰りに
この石段の前を通りかかった。

そのとき将軍が見上げた石段の上に
梅の花が咲いていたので、
誰か勇気ある者、馬で取って来いと命じた。

尻込みする家来の中で
讃岐・丸亀藩士の曲垣(曲木)平九郎が
見事馬を御して梅の花を将軍に献上し、
彼の名前はたちまちのうちに広がったのである。
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急な階段を見上げると、
これは講談、浪曲の中の架空の話であると思えるのだが、
明治以降、実際に馬で山上の神社まで上った例が三件ある。

もっとも最近では1982年、馬術のスタントマンが
テレビの番組のなかで32秒で頂上まで到達した。

さて、この神社が創建されたのが慶長3年(1603年)、
江戸幕府を開いた家康が
江戸の町が火災から無事に守られることを願ったものである。

その後、江戸は振袖火事をはじめ
何回か大火事に見舞われたが、そのつど見事に復興した。

しかし、最大の危機は幕末、慶応4年(1868年)、
西郷隆盛率いる東征軍が計画した江戸総攻撃にあった。

もしも総攻撃が実行されるならば
江戸は猛火に包まれ灰塵に帰すところだったのだが、
西郷隆盛と勝海舟の会談の結果、
寸前で総攻撃は回避された。

このとき、二人は愛宕山に登り、
江戸の町を見下ろして語り合ったとの一説が残されている。
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もしも、これが事実ならば
家康の願いは260年も経過した後の世まで通じていたのだ。

出世には、時すでに遅しであるが、
孫につられて山頂を目指した。

幸いにして今年も息も上がらずして
愛宕神社遥拝を済ますことが出来た。
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但し、これはいつもの例だが
下山を横の女坂にしたのは、爺の高所恐怖症の為のものである。
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# by shige_keura | 2017-01-06 09:29 | その他 | Comments(0)
2017年お正月 -芋坂と言えば-
お正月には娘二人の一家、
総勢10名でお墓参りをすることにしている。

元日の晴れ渡った朝、いつものように、
まずは家内実家の菩提寺である日暮里の善性寺に向かった。
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朝、9時半集合、お参りを済ませた後に
必ず立ち寄る店が芋坂のたもとにある「羽二重団子」である。

この店の創業は文政2年(1819年)とあるので、
もうかれこれ200年続く老舗中の老舗と言えよう。

創業者は加賀藩の御出入り庭師をしていた庄五郎。

王子街道から天王寺の五重塔や谷中に抜ける
細いながらも旅人が多い芋坂に
「藤の木茶屋」の名前で店を出したのが始まりだ。
                (明治22年まで続いた創業店舗)
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それがいつしか「羽二重団子」という名前に変わったのは、
ひとえにきめ細やかな羽二重を思わせる団子が大評判となったからである。
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この店の入り口に近くに住んでいた俳人、
正岡子規の句が紹介されている。

芋坂も団子も月のゆかりかな   正岡子規

正岡子規をはじめ数多くの文豪、文化人の作中にこの店は登場してくる。
そのいくつかを紹介しよう。

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# by shige_keura | 2017-01-05 08:37 | その他 | Comments(0)
Post 2016
ここは自宅近所の、西郷山公園。

ここ4,5年の大晦日にはこの場所で、
その年最後の夕日を眺め
「行く年来る年」の思いを巡らせている。

そして帰宅後ブログの締めくくりに取り掛かる。

因みに昨年の大晦日はこんなことを画像と共に書いている。
               (2915年12月31日)
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「ここは、毎年の大晦日に訪れる西郷山公園。
昨年と比べ雲が厚く、時折太陽が顔を覗かせる。

今年(2015年)は自然界の脅威にさらされた。
人間が長きにわたって地球を痛めつけてきた、
そのツケが回って来たのでは・・・・・、

神の戒めに真摯に耳を傾け
行動せねばならぬ時になったのではないだろうか。」


さて、世界最大の英語辞典を出版している
英国のオックスフォード大学出版局が
毎年“Word of the year”、
その年を象徴する単語を発表している。

“Post Truth“が2016年を代表する言葉となった。

この言葉が最初に登場したのは1992年のことなのだが、
本年は昨年に比べ使用頻度が20倍以上にもなったと言う。

”Post Truth”をそのまま直訳すれば「真実のあと」になるのだが、
この言葉が頻繁に使われたのが、
英国がEU離脱を決めたとき、
そしてアメリカの大統領選の時だった。
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”Post Truth“が意味しているのはこういうことらしい。

「世論形成において客観的事実よりも
 感情や個人的信念に訴える者の方が影響力を持つ」。
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特に、言わんとしているのは、
感情的な訴えが政治に与える影響のことである。

英米で起こった衝撃的な事件ふたつに代表されるように
今や客観的真実だと誰しもが思っていたことが
感情の昂揚によって押し流され
思わぬ方向に行ってしまった。

ここで、これまでの“Word of the year”を紹介しよう。

2015年 Face with tears of joy・・・ 絵文字
2014年 Vape・・・電子煙草、火を使わず副流煙害のない煙草
2013年 Selfie・・・自撮り
2012年 Omnishamble・・・めちゃくちゃな・欧州金融危機による大混乱
2011年 Squeezed middle・・・搾取された中間層・景気減速時に影響を受けた中間層

過去5年と比べ今年の単語はなんと難しく、
ある意味で哲学的であることか。

まさに世界は今後ますます
混迷の時代に入っていくことを意味しているのか。

Post Truthによって生まれた新たな政治・経済体制が
新たな混乱を起こすのか?
或いは危惧とは裏腹に波風の立たない平和な時代へとなるのだろうか??

大半の人々は私と同様、
残念ながら前者になる公算が高いと見ているだろう。

だからといってどうしようもない。
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何が起こってもビックリせず
自然体で健やかに過ごすことを心がけよう。
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今年の大晦日の西郷山公園、
雲ひとつなく晴れ渡り、風もなく穏やか、
このように澄み渡った2017年になればと願わずにはいられない。
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それでは皆様、良いお年をお迎えください。
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# by shige_keura | 2016-12-31 17:00 | その他 | Comments(0)
輝ける馬たち
私の競馬歴もかれこれ50年以上にもなる。

その長い歴史の中で私の目を虜とした3頭のサラブレッドが居る。

最初はスピードシンボリ、
当時としては初の有馬記念連覇(1969、70)を達成した馬である。
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3歳の皐月賞、ダービーは取るに足らぬ成績だったシンボリが
急遽脚光を浴びたのが菊花賞の時だった。

大本命ナスノコトブキ大楽勝と思われた淀の直線、
後方から矢のように伸びてきた脚色に満場は度肝を抜かれた。

長い長い写真判定の結果ハナの差で屈したとはいえ
シンボリの名前は大きくクロースアップされた。

翌年、アメリカジョッキークラブ杯、目黒記念、
天皇賞と3連勝した後シンボリは日経賞に出走してきた。

無敵シンボリ、ライバルは恐れをなしたのか
わずか5頭の淋しいレースとなった。

このとき、私は中山のパドックで
今や遅しとシンボリの登場を待ち焦がれていた。

黒鹿毛の彼を見たとき、その気品のある美しさ、
とりわけ、これが牡馬かと思われる静かなるサラブレッドに
驚きを覚えたもにだった。

時に1967年の事だった。

サラブレッドは人間が作った最高の芸術品、
まさにその至宝とも言うべき姿が目の前に居た。

向こう正面でスルスルと上がっていくときの華麗なフットワーク、
夢見る想いで直線を先頭で駆け抜けるシンボリを見つめていた。

実際の姿は見ていないが
グラスワンダーが私を虜にした2頭目の馬である。
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1995年の朝日杯、西に傾いた夕日を浴びて
輝く金色の栗毛の美しさをテレビで見たときの感動は忘れられない。
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今や20歳を超す老境に差し掛かったワンダー、
その眼は現役のころと比べ優しさに溢れているが
金色の栗毛は当時の美しさを今に伝えている。

3頭目が先日の有馬記念を制したサトノダイヤモンドだ。
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鹿毛のダイヤモンド、馬券を取らせてもらったからではないが、
パドックを周回する彼のバランスの良い体型は抜きんでていた。

父はディープインパクト、祖父はサンデーサイレンスの良血、
競り市価格は2.4億円、
同じ父を持つ良血馬のロイカバード(2.6億円)との
5億円の新馬対決を制しクラシック候補に名乗りを挙げた。

しかし、皐月賞は仕上げ途上で3着、
ダービーは落鉄による不運で2着に終わった。

その無念を菊花賞で晴らしたサトノダイヤモンドが
年の瀬を飾るグランプリで良血の真価発揮、
並み居る古馬を一蹴した。
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馬体的には父のディープインパクトを圧倒するサトノダイヤモンド、
来年は凱旋門賞への挑戦が囁かれている。

しかし、私、個人的には日本に留まって
優美でありながら逞しい身体を緑のターフで躍動させ
ダイヤモンドの輝きで魅了して欲しい。
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# by shige_keura | 2016-12-30 08:39 | スポーツ | Comments(0)
ふるさと独歩行 -師走の金沢―
東京生まれの私にとって6年の間
暮らした金沢は第2の故郷のようなものだ。
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21世紀美術館を巡った後は、
まずは腹を満たさねば行軍には耐えられぬ。

そうかといって余り重たいものを食べてはいけない。

何故なら夕食は金沢郊外で「マタギ料理」、
鳥獣の肉が待ち構えているからだ。

こういう時に最適な店が香林坊裏にある
手打ちそば「藤井」である。
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古都金沢に相応しい小体な蕎麦屋、
ここでは「せり蕎麦」とか「牛蒡天蕎麦」等、
気の利いた品を出してくれる。
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昼食後の一人歩き、
自然と足が向かったのは兼六園。
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時々小雨がぱらつく陽気、
ひっそりとした庭園は雪吊りの冬構え、
雨合羽で庭の手入れを黙々とこなす人たちが目につく。
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一角に場違いのような名前が見える。
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その名も「松の傷」、
松の廊下の刃傷事件とは何ら関係ない。

第2次大戦末期、飛行機燃料が不足してきた日本
苦肉の策が、松の幹を削って松脂から油を搾取しようとしたもの。
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ここまでして、戦を続けたとは、
今となっては信じがたい話である。
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兼六園から真正面に見える卯辰山の一角に
我々の暮らしたマンションが雨にかすんで見える。

それはすでに15年ほど前の出来事となっている。
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金沢の文化、歴史の奥深さを感じながらの6年間は貴重な体験となっている。
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兼六園から金沢城を結ぶ石川橋、
今はひっきりなしに自動車が往来する道路はかつての百間堀、
スケールの大きさが実感となって迫ってくる。
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城を抜けると今年の3月に再現された玉泉院丸庭園。
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これは三代藩主前田利常の代に作られた庭で
兼六園がお客をもてなす庭だったのに対し、
おもに藩主の内庭的色彩が強かったとされている。
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ホテルに向かう手前が尾山神社、
当然お参りには欠かせぬところである。
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境内の母衣を纏った前田利家の騎馬像と
金色に輝く勝ち兜を今回もじっくりと見物した。
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神社には我が家と一族の幸せと
騎馬像には暮れの有馬記念必勝を祈願したことは言うまでもない。
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# by shige_keura | 2016-12-29 09:00 | | Comments(0)
「うまくち」は400年の歴史 -師走の金沢ー
今や定番化している師走の金沢旅行。

ブリ、香箱蟹、のどぐろ等の海の幸、
               (「千取鮨」の香箱蟹)
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熊、鴨、イノシシ、鹿等の「マタギ料理」
               (金沢郊外、「つばき」の熊の刺身)
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そして東茶屋街のフランス料理を今年も満喫した。
               (東茶屋街のフレンチ「ロベール デュマ」)
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食べることが主目的の旅だが、
食べるためには適度な運動も必要となってくる。

そこで、今回訪れたのが金沢港そばにある大野の町である。

ここは、今や世界的に好まれている
日本の伝統の味である醤油の五大産地として栄えた所なのだ。

五大産地とは千葉県の野田と銚子、
兵庫県の龍野、香川県の小豆島と、ここ大野を指す。

大野の醤油づくりは
加賀藩3代藩主である前田利常が
元和年間(1615~1623)に商人の直江屋利兵衛に
食文化向上と藩の財源確保の為に命じたことで始まった。
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利兵衛は紀州から醸造技術を学び
大野を醤油造りの町として育てていった。
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同時に、加賀藩は参勤交代等、
機会あるたびに街道筋の宿場で大野醤油の宣伝を行った。

最盛期には60軒の醤油醸造元が軒を連ねていたが
徐々に衰退したものの今でも22軒が
独特の大野醤油の味を産み出している。

大野醤油は食文化豊かな加賀料理と共に発展したと言っても良いだろう。

その味は普通の醤油に旨味を取り入れた
「うまくち醤油」として好まれている。
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今回訪れた「直源」の創業は文政8年(1825年)、
屋号は直江屋の源との意味合いを持っている老舗中の老舗である。
               (「直源」の昔の玄関)
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初めて経験した醤油テースティング、
その味は微妙に異なっている。
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甘味が薄い濃い、塩味が効いている効いていないだけではなく、
味の深みがそれぞれに違う。
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たかが醤油と言うなかれ、
加賀の食文化を支えてきた大野醤油
だてに400年の歴史を重ねてきただけではない。
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# by shige_keura | 2016-12-28 08:47 | | Comments(0)
仮名手本忠臣蔵は女が手本
12月の国立劇場は10月から3か月連続完全通し上演
「仮名手本忠臣蔵」の八段目~十一段目である。
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12月になると毎年、舞台やテレビで取り上げられるのが赤穂義士のお噺だが、
今回は3か月累計上演時間が15時間にも達すると言う超大作である。

人気演目だけにお客様も大勢、
中には丸髷のご婦人が彩りを添えている。
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12月はいよいよ本懐を遂げるクライマックスである。

しかし、お噺の中心は九段目の山科閑居の場である。
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ゆったりとしたテンポで進む九段目、
時には眠気を覚えたものの、
お芝居の為に作られた人物・加古川本蔵にまつわる顛末が興味深かった。

加古川本蔵は桃井若狭之助の家老で、
短気な殿を慮って高師直(吉良上野介)に賄賂を届け
主君の刃傷を未然に防いだ。

更には塩冶判官(浅野内匠頭)が刃傷に及んだ時に
後ろから抱え大事を防いだ男だ。
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判官と本蔵の因縁はこれだけではない。

本蔵の娘、小浪と由良之助の長男、力弥は婚約していたのである。

本蔵の母は小浪を嫁にやる為、
雪の降る中、山科の大星の閑居を訪ねた。

ところが、大星の妻、お石は
主君の刃傷の一件から、結婚を承知しない。

このように忠臣蔵は男の世界だけではなく
女の因縁話が重要な鍵を握っている。

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# by shige_keura | 2016-12-27 11:06 | | Comments(0)



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