人気ブログランキング | 話題のタグを見る
Top
思いでのプロ野球選手 21 (その4)
プロ野球歴史上
最高のレフトと言えば
誰もが、それは高田繁と言うに違いない。

3塁線を破られても
高田さんがレフトにいる限り
打者は滅多に2塁を陥れる事が出来なかった。

高田さんはどこの球場でも
フェンス際の構造を熟知し
捕球後目をつぶったまま
直ちに2塁にストライクを放る事が出来た。

その守備の名人が
1975年秋のオープン戦で
足を震わせて守っていた。

何故なら、その場所は
彼の住み慣れたレフトではなく
サードだったからだ。
思いでのプロ野球選手 21 (その4)_c0135543_9464724.jpg

その年、巨人は王と並ぶ主砲として
張本を東映より迎え入れた。

そのため、高田さんは
レフトを押し出され
サード転向を命じられたのだった。

プロ野球の生んだ最高の左翼手がサードへ!!

長嶋ならではの考えだ。

プロ野球の歴史を紐解くと
内野手から外野手転向への
成功例は数多い。

古くは南海の広瀬(ショートからセンター)、
巨人の松本(ショートから外野)を初め西武の秋山、
田口、福留等のメジャー組等々だ。

これが外野から
一塁以外の内野への成功例は
高田さんが唯一無二のものと言ってよい。




その昔、水原巨人時代
外野の岩本を3塁に転向させようとし
見事に失敗した。

また、エンディ・宮本にも
数試合3塁を守らせたが
その守備は及第に程遠く
すぐに元の住処に戻っていった。

それが、1976年、
3塁を守った初年度、
高田さんはなんとゴールデン・グラブ賞を獲得し
打率も0.305と自己最高を記録した。
思いでのプロ野球選手 21 (その4)_c0135543_9494231.jpg

なんという
有能な男なのであろうか、
高田繁という人は!!!

そして引退後の
軌跡もこれまたユニークである。

巨人のコーチのあと
日本ハムの監督を経験、
その後同チームの
ジェネラルマネジャーとなって
チームを日本1に導いた。

               (日本ハム監督時代)
思いでのプロ野球選手 21 (その4)_c0135543_9474859.jpg

そして昨年から
又もや現場へ復帰して
この活躍である。

あれこれ書いてみたが
高田ミステリーの解明には
至らなかった。

高校、大学、プロを通じ
スイスイと泳ぎ回った高田さん
これは”ツバメ”との相性は抜群だろう。
思いでのプロ野球選手 21 (その4)_c0135543_9484355.jpg

そういう高田さんに率いられる燕軍団、
ヒョットするとヒョットするかもしれない。
by shige_keura | 2009-05-22 09:50 | スポーツ
<< 名前は”ドン・レタス” 思いでのプロ野球選手 21 (... >>



2007年9月末にこちらに引っ越してきました。
→過去のブログを見る


ホームページ 



LINK 


LINK FREE

このブログの写真・テキストの無断使用はお断りします。

(c) 2007 shige_keura. All rights reserved.