11月20日、快晴。
ここは大井町線の等々力駅。 なんともローカル線の田舎駅の趣だが 今や、この地は都心の閑静な住宅街へと 変身している。 しかしながら、駅のほかにも 昔から変わらぬものがある。 それは、等々力渓谷。 ここには、武蔵野の台地を 谷沢川が浸食して出来た 約1キロにわたる渓谷が 昔ながらの自然の景観を残している。 その渓谷をまたぐように 目に鮮やかな赤い色をした橋がある。 名前は”ゴルフ橋”!! 何でこの橋に ゴルフの名前がついたのか? 何かゴルフ場と 関係があるのだろうか?? 実にその通り! その昔、この橋をバッグを担いで 当時のゴルファーがコースに行く為に 渡ったのが”ゴルフ橋”の名前の由来である。 時は昭和6年、 文部大臣、鳩山一郎氏が 東急の総帥、五島慶太氏に依頼して この地に完成したのが”玉川ゴルフコース”だった。 最初は6ホールで始まったコースは 後に等々力ゴルフ場と名前を変え 9ホールに増設、 瀟洒なクラブハウス、 夜間でも出来る練習場 更には硬式テニスコートも完備されていた。 きっと、昔ながらの 心地よいクラブ組織の中で ハイカラな人たちの憩いの場となっていたのだろう。 しかしながら開場後8年の昭和14年、 世情風雲急を告げる中 憩いの場は内務省が接収し 高射砲陣地へと姿を変えて行った。 世が世なら ゴルフの白球に代わって 高射砲の弾丸が飛び交う 地獄の修羅場になったかもしれない。 今は昔の面影は何処にも見当たらず 閑静な住宅街が続くだけである。 ゴルフ場開設80年足らず、 歴史の歯車は 思っても見ない回転をするものだ。
by shige_keura
| 2009-11-30 08:52
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