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”香り”を極めた男  -4-
楠香は欧州到着後
すぐに香料の研究を始めたわけではない。

始めたくても
出来ないわけがあったのだ。

当時も今も
ヨーロッパの中で
香料の最先進国はフランスと言ってよいだろう。

従って、楠香もフランスで研究を行う予定であった。

ところが彼は英語の知識はあるものの
フランス語は喋る事はおろか
読み書きすら出来なかったのだ。

フランス語の必要性に愕然とした彼は
ブラッセルでフランス語の特訓を始めた。

特訓の成果、いかばかりか?
それは分らぬが
半年後、楠香は勇躍フランスのグラースに入った。





               (ジュネーブの香料会社で研究中の楠香)
”香り”を極めた男  -4-_c0135543_19501358.jpg

グラースとスイスのジュネーブで
3年に渡る研究の成果を持って帰国した彼は
ミツワ化学研究所に入所する。

勿論、この研究所は
名前の通りミツワ石鹸の
お抱え組織である。

当初は順調に見えた
楠香の研究所での仕事だったが
やがて、親会社の方針
”利益優先”に疑問感じるようになった。

1920年、彼は仲間と共に研究所を出て
高砂香料を立ち上げた。

               (高砂香料設立時、仲間と一緒に)
”香り”を極めた男  -4-_c0135543_195194.jpg

総勢13名の小世帯、
しかも10名が技術者
3名が経理であり
営業不在の会社だった。

このときの楠香は
あくまでより良い香料を作りたい一心で
販売の事には全く目が行かなかっのだ。

仏語を知らずに欧州への渡航、
販売を考えずに会社設立、
無鉄砲極まりない行動ではあるが
”思い込んだら命がけ”
楠香の香料に賭ける純粋さが見て取れる。

それは数年後
本社を台湾に移すことにも
垣間見る事ができる。

当時も今も
折角作った会社の本社を
海外に移すことを考える人は稀だろう。

海外に本社を何故に移したのか?

それは台湾が
香料の原料である
樟脳の豊富な国だからであった。

その計画は図に当たり
会社は順風満帆の勢いだったのだが
戦争が暗い影を落とす事となった。

日本の敗戦により
中国政府の管理下に置かれるという
思っても見ない苦労を
背負い込むようになったのだ。

しかし、楠香の不屈な精神は
数年後、管理を解かれ
再度本社を移した
母国、日本で花開いた。

ところが、この頃より
当時の死病、結核に
楠香の身体は蝕まれていった。

香料が日本において普及していくのを横目に
彼は59歳の若さで世を去った。

これぞ、波乱万丈の一生と言って良いだろう。

最後に驚きの偶然の符合を紹介しよう。

彼の名前は楠香、
先祖の楠正成から一文字貰っている。

そして、生まれたときから
香りの研究を暗示しているかのように
”香”の文字を貰っている。

そして、彼が台湾に
本社を移した理由は
そこが樟脳の豊富な産地である事だ。

樟脳は樟の木から取れるのだが
別名をご存知だろうか?

樟の木の別名
それは楠なのである。

彼は生れると同時に
楠の香りを追求することを
運命付けられていたようである。
by shige_keura | 2010-02-07 19:56 | その他
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