1958年、空港全面返還の実現で 羽田の暗黒時代に終止符が打たれた。 名前も新たに”東京国際空港”と改め 国際化時代に対応する 日本の空の玄関として桧舞台に登場した。 しかし、ここから新たに 羽田は混迷の時代に入っていく。 それは空の需要が 予想を上回る速さで増大したこともあるが 基本的には行政の定見の無さにより 羽田は翻弄されたと言ってよいだろう。 東京国際空港を利用した国内旅客数実績と予測 1985年 2427万人 1990年 3809万人 1995年 4302万人 2000年 5950万人 2012年 7300万人 2017年 8030万人 2020年 8550万人 昨今の空港需要予測と実績の乖離をみると 将来の予測値は若干眉唾ものだが 成田の状況を考慮すれば 羽田は将来的にも空の需要は増えていくだろう。 さて、戦後日本の経済復興に伴ない 空の需要が急増したことを受け 政府は1967年羽田空港整備5ヵ年計画を発表した。 しかし、羽田のみでは需要をまかないきれず 1978年新東京国際空港(成田)が開港した。 これにより、羽田のお役目は国内便中心となり ”東京国際空港”はほぼ名ばかりのものとなった。 その後も空の需要は止まることを知らず 羽田は1984年”羽田沖展開事業”をスタートさせたが これでも十分とは言えず 2000年に”再拡張計画”を決定し 今日に至っている。 急激な日本の経済成長はあったにせよ いかにも”継ぎ足し、継ぎ足し”の観は否めない。 継ぎ足し計画の生んだ落し子が 現在使われている管制塔だ。 D滑走路が完成すると 現管制塔からコントロールすることは 視界不良で困難となる。 そのため、現管制塔の横に 日本一高い、115.7メートルの 新管制塔がほぼ完成している。 新管制塔が完成した暁には 現管制塔はわずか10年働いただけで そのお役目はご免となる。 以下は関係者の独り言だ。 「いやー、取り壊すわけにはいかんでしょう。 取り壊し費用も莫大だし面子もあるしね。 新しい管制塔に万一の事が起こったときの為に 残すでしょうけれでも・・・・・・ 普通は二つは要らないやね」 これは別の話となるが 将来、何の為に作ったかと思われかねぬ建造物の工事が 着々と進められている。 それはD滑走路の傍に作られている 大型タンカーの接岸スペースのことだ。 (遠くに見えるのがD滑走路 画像の中央部分にあるのがタンカー着岸場) D滑走路を向かいに見た現空港敷地内に 6基の燃料タンクがある。 (中央の建物の裏に並んでいるのが燃料タンク) この6基のタンクで 羽田離着陸飛行機のすべての燃料をまかなっている。 しかし、D滑走路完成により便数が増加すると 6基のタンクでは燃料が足りなくなる恐れが出てくる。 ならばタンクを増設すれば良いのだが 仮にスペースは見出せたとしても 配管工事に莫大な費用と時間がかかる。 そこで、タンクのお向かいの海上に 大型タンカー接岸スペースを設け 常にタンクを満杯にする作戦となった。 この作戦は 今のD滑走路完成までの 青写真を前提とすれば成功だ。 しかし、羽田には早晩 第5の滑走路建設の時が来るだろう。 展望台関係者の話では 既に建設場所までもがほぼ決まっていると言う。 何年先かは詳しくは分らぬが 第5の滑走路が出来た場合 タンカーのフル回転で燃料は足りるのか? その時になって 新燃料タンク設置が必要となり タンカー停泊施設が無用の長物とならねばよいが・・・・ 長期的視野に立って 計画を進めることは誠に難しい。
by shige_keura
| 2010-03-11 09:15
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