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才色兼備の大女優 -前編ー
大晦日、朝のNHKニュースがこう伝えていた。

「日本を代表する女優、高峰秀子さんが
 12月28日、86歳で肺がんの為逝去された」
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(浅草公会堂前、高峰秀子の手型の前に飾られた追悼の花束、1月6日)
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彼女は1925年、映画の老舗、松竹が
最初に設けた蒲田撮影所がを代表する
三大女優と言って過言ではない。

一人目が”日本の恋人”と呼ばれた栗島すみ子、
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次に、真の国際女優、田中絹代、
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そして蒲田時代は天才子役の名をほしいままにした高峰秀子である。
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尚、余談となるが
松竹蒲田撮影所が出来たことで
日本は活動写真から映画の時代を迎えることとなった。

蒲田撮影所の功績は数々あるが、
代表的なものとすれば
1.ハリウッドの技術、人材の導入
2.演技向上のための俳優学校の設立

そして、松竹のイメージともなった
映画専門女優の登用、育成だった。

蒲田撮影所が出来るまで
日本の映画界は歌舞伎を踏襲して
女性の出演を許さなかった。

映画専門女優の誕生!
この出来事が”女優の松竹”のイメージを
不動のものとしていった。






高峰秀子は1929年
松竹蒲田映画、「母」の子役オーディションに
飛び入りで応募し、合格!
銀幕に登場するや否や天才子役として注目を浴びた。

               (デビュー作品、「母」)
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以降、撮影所が蒲田から大船に移る約6年間に
35本の映画で活躍し
日本のシャーリー・テンプルと呼ばれるようになった。
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しかしながら、子役時代の彼女の映画は
私は1本も見たことがない。
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更には子役を脱皮した
1937年以降の作品も余り見たことが無い。

にもかかわらず、彼女の印象が鮮明であるのは
木下恵介、最大の傑作「二十四の瞳」の為だろう。
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今を去ること55年以上前
小学校から連れて行かれた麻布の映画館、
私は身じろぎもせずに「二十四の瞳」に食い入ったものだった。
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黒白画面からも感じられる
瀬戸内海のたおやかな海の色。

満開の桜花が風に吹かれて舞い踊る。

「蛍の光」、「アニーローリー」、「庭の千草」等
御馴染みのメロディーに乗って
大石先生と12名の子供たちの深い交流が描かれる。
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戦争直前、開戦、敗戦、戦争直後
当時の状況が良くのみ込めなかった小学生にとっても
胸が締めつけられるほどの感動を味わった。

「二十四の瞳」1本で私の心に入り込んだ高峰秀子。

しかしながら彼女は一体全体どのような女優、
いかなる女性だったのだろうか?

                (秀子と原節子の共演、「若き日の歓び」)
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原節子ほど清楚ではないが
ほどよい清潔感を醸し出している。

京マチ子の妖艶にはとても及ばないが
夜の世界に生きるしたたかさも垣間見させている。

吉永小百合の庶民性とは違った
大衆性も持ち合わせている。

若尾文子の平凡なる非凡とは似て非ざる
非凡なる平凡を感じることもある。

八千草薫ほどの可憐さはないが
乙女の可愛らしさも十分に持っている。

久我美子ほどの育ちの良さは感じられぬが
弟一級の教養と知性が匂ってくる。

謎めいた女優、したたかで芯の強い女性、
高峰秀子はどんな生涯を送ったのだろう?

続きは明日以降へ、
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by shige_keura | 2011-01-09 19:47 |
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