12月中旬の年中行事は
ここ数年は金沢訪問となっている。 今回は金沢に加え 福井の永平寺を訪れることとした。 20日午後4時近く、ホテルにチェックイン、 幸いなるかな金沢名物の雨はない。 夕闇までの少しの間を利用し 目の前の尾山神社を訪れた。 目的のひとつは孫3人への お守りを購入することだった。 尾山神社は1873年の創建 主祭神は無論のこと加賀藩祖、前田利家、 すなわち金沢の象徴である。 利家なくば現在の金沢の繁栄は無かったに違いない。 信長の小姓から直属の精鋭部隊 ”赤母衣衆”を束ねた勇壮な武将としての活躍、 当時は天下無双の槍の使い手、 ”槍の又左”の異名で恐れられていた。 しかし、利家には勇猛な戦国武将というよりも 冷静に世の中の状況を見据え 先見性に優れた良い意味での策士、傑物に見てとれる。 信長が光秀に撃たれた後、 彼は最初に秀吉に敵対する柴田勝家に組する。 だから、そののち、秀吉に臣従するも 普通ならば秀吉に疎んじられたことだろう。 ところが五大老の筆頭として秀吉の信頼を集め 狸親父の家康を牽制する。 その家康が天下を取り 利家、前田家には茨の道が続くのだが 結果的には徳川家を手玉に取り 加賀百万石の栄華を代々続けていった。 越後の上杉も有能だったのだろうが お国替えから石高を減らされ 辛酸を舐めたことを思えば 前田利家をはじめとする前田家のほうが よりしたたかであったということだろう。 尾山神社は正月を迎えるまさにアイドリング期間、 時期的に訪れる人の数もなく ひっそりと静まり返っていた。 そのなかで、赤母衣衆として活躍した 利家の騎馬銅像が夕暮れの中にそびえていた。 馬上凛々しい前田利家、 持つ手の槍は力強く天を指す。 それは、あたかも金沢の永遠の繁栄を願っているようだった。
by shige_keura
| 2011-01-04 08:41
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