イランの生んだ名匠、アッバス・キアロスタミの話題作
「トスカーナの贋作」を鑑賞した。 彼は、「友だちのうちはどこ」、「オリーブの林をぬけて」、 「桜桃の味」等の評判作で名声を確立している。 しかしながら、今まで私は彼の作品を見ていない。 それには確たる理由が存在するわけではなく 何となく肌が合わないと感じていたからだ。 更に、彼は1940年生まれの70歳、 ということは、名監督晩年にありがちな 独りよがりの罠に陥っているのではないだろうか? クリント・イーストウッドは例外中の例外、 黒澤しかり、ジョン・フォード、フェデリコ・フェリー二 アルフレッド・ヒッチコックでさえ 晩年は目を覆うような作品を作っていた。 今回は私の悪い予感が的中した。 舞台はイタリア中部、トスカーナ州の 小さな町、アレッツォ。 尚、この町はロベルト・ベニー二の名作 「ライフ・イズ・ビューティフル」の 舞台となった美しき田園の地でもある。 この町でイギリスの作家、ジェームスの 講演会が行われようとしている所から映画は始まる。 講演内容は、彼の最近作、「贋作」について、 即ち、これがタイトルの「トスカーナの贋作」に繫がる。 但し、オリジナルタイトルは、”Copie Conforme”、 直訳すれば「認証された贋作」となり 意味する所はもっと奥が深い。 作家は講演の中でこう言う、 「本物を証明する意味で贋作にも価値がある」 つまり、偽者は偽者と見破られぬ限りは本物だ。 又、ひとたび偽者として見破られても 本物を証明した意味で価値がある。 意味が分らんわけではない。 講演会に参加していた一人の女性、(ジュリエット・ピノシェ好演) 美術ギャラリーを経営している彼女は なんとなく作家に心魅かれる。 彼女は作家と共に街を案内する途中、 とあるカフェで夫婦と間違えられる。 ここから物語りは現実を離れ 虚構と思える世界に入っていく。 二人は夫婦として街を散歩し 広場で語り合い、レストランで食事し、教会にも入っていく。 その間、常に二人は意見の違い、ズレを感じ 特に作家はストレスから感情を爆発させる。 最後に女性は15年前、 新婚の時に宿泊したと言うホテルに作家と入っていく。 女性は妻になりきろうとしているのか? 昔の影を追い求めているのか?良く分らない。 一方、男は違和感を持ち続け鏡に見入るが 混沌とした気持ちは益々深まっていくようだ。 そこに映っているのは 本物なのか?偽者?なのか 鏡に映る姿は単なる虚像なのか? 鏡のこちら側にいる自分は本物なのか? 本物であれば、それは真実なのか? 教会の鐘が鳴るうちに映画は終了する。 監督は何を言いたかったのだろうか? 「”真実”のみが絶対的なもの! ”本物”(オリジナル)と”偽物”(コピー)の概念など ”真実”に比べれば取るに足りないのだ」 このことが貴方は言いたかったのだろうか? 良く分らない???? 悪い映画とも思えないのだが・・・・・、 単純な私には、どうにも手に負えぬ作品だった。
by shige_keura
| 2011-03-11 08:52
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